裁判官 ☆ データベース - 大阪高判R1.7.16 殺人等被告事件
和歌山小5殺害、完全責任能力を認定 大阪高裁、懲役16年判決

 和歌山県紀の川市で平成27年、小学5年の森田都史(もりた・とし)君=当時(11)=を刺殺したとして、殺人罪などに問われた中村桜洲(なかむら・おうしゅう)被告(26)の控訴審判決公判が16日、大阪高裁で開かれた。和田真裁判長は中村被告の完全責任能力を認定し、責任能力を限定的と判断していた1審和歌山地裁の裁判員裁判判決を破棄。一方、1審の量刑は犯行の状況や動機などから判断されており妥当だとして、改めて1審と同じ懲役16年を言い渡した。
 1審判決は、被告が統合失調症か妄想性障害による心神耗弱状態にあり責任能力は限定的と判断していた。控訴審では高裁が職権で精神鑑定を実施。鑑定した医師は被告について、対人関係を築くことが難しい発達障害の一種「自閉スペクトラム症」で症状は軽度だとする、1審と異なる鑑定結果を示していた。
 和田裁判長は判決理由で、1審の精神鑑定について「無視しがたい不整合があり、動機の解明にも至っていない」と指摘。新たな鑑定結果に基づき責任能力の程度を検討した。その結果、被害者が悪人だとする妄想を被告が抱いたのは自閉スペクトラム症の影響だったとしながらも、「殺害が違法だと理解できる程度の判断能力はあった」と述べ、完全責任能力を認定。1審判決を破棄した。
 一方、懲役16年とした1審の量刑判断は「心神耗弱かどうかにとらわれず、犯行の様態や動機などを考慮した」と指摘。改めて量刑を検討した高裁も、恨みを動機とする同種事件の量刑や1審が裁判員裁判だったことを考慮し「改めて同じ量刑が相当だと判断した」と述べた。
 判決後、大阪市内で記者会見した森田君の父親(71)は「完全責任能力を認めたことには感謝したい」としつつ「量刑には納得できない」と話した。
 判決によると、中村被告は27年2月5日、自宅近くの空き地で、自閉スペクトラム症の影響で自身に嫌がらせをしていたと考えていた森田君を刃物で胸を切りつけるなどし、殺害した。
(2019.7.16 21:40 産経新聞)

和歌山小5殺害、二審も懲役16年 大阪高裁で判決

 和歌山県紀の川市で2015年、小学5年の森田都史君(当時11)を刺殺したとして、殺人などの罪に問われた中村桜洲被告(26)の控訴審判決が16日、大阪高裁であった。和田真裁判長は、一審・和歌山地裁の裁判員裁判の判決を破棄したうえで、改めて一審と同じ懲役16年を言い渡した。
 一審判決は検察による起訴前の精神鑑定に基づき、被告が統合失調症か被害妄想による心神耗弱状態で、責任能力は限定的だったと認定した。懲役25年を求刑していた検察側は「障害の程度は軽く、量刑が軽すぎる」と主張。弁護側は「被告は心神喪失だった疑いもある」として減軽を訴えていた。
 控訴審で大阪高裁は、中村被告の精神鑑定を職権で実施。鑑定の担当医は「被告は(対人関係が苦手な)軽度の自閉スペクトラム症(ASD)だった」とし、一審とは異なる鑑定結果を示していた。
 控訴審判決で和田裁判長は「被告は善悪を判断する能力があった」として完全責任能力を認めた上で、自閉スペクトラム症の影響による憤まんから、犯行に至ったと認定した。
 控訴審判決によると、中村被告は15年2月5日、自宅近くの空き地で森田君の胸を刃物で突き刺すなどして殺害した。
(2019/7/16 12:54 日経新聞)

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令和元年7月16日大阪高等裁判所第1刑事部判決
平成29年(う)547号殺人,銃砲刀剣類所持等取締法違反被告事件
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役16年に処する。
原審における未決勾留日数中500日をその刑に算入する。
押収してある鉈様の刃物1本を没収する。
理由
第1控訴の趣意等
検察官の控訴趣意及び当審における事実取調べの結果に基づく弁論の要旨は,検
察官宮本健志作成の控訴趣意書及び同田中嘉寿子作成の弁論要旨に,弁護人の控訴
趣意及び上記弁論の要旨は,主任弁護人水谷恭史及び弁護人我妻路人連名作成の控
訴趣意書及び弁論要旨に,検察官の控訴趣意に対する答弁は,上記主任弁護人及び
弁護人連名作成の答弁書に,弁護人の控訴趣意に対する答弁は,検察官田中嘉寿子
作成の答弁書にそれぞれ記載のとおりであるから,これらを引用する。
検察官の論旨は,量刑不当の主張であり,弁護人の論旨は,訴訟手続の法令違反,
事実誤認及び量刑不当の主張である。
なお,本件においては,結審後の令和元年6月3日に,被告人から控訴取下書が
提出されているが,当裁判所は,次のとおり,控訴取下げの効力は生じていないも
のと判断した。
本件は,検察官及び被告人双方からの控訴申立ての事案であるため,被告人によ
る控訴の取下げは,訴訟手続の終了の効果をもたらすものではなく,被告人にとっ
て全く利益のないものである。後述するA鑑定によれば,被告人は自閉スペクトラ
ム症の障害のため,物事を客観的にみることができず,自分に都合よく解釈する特
性のあることが認められる。本件控訴取下書が提出されたのは,被告人が不本意と
受け取ってもおかしくない状況で本件が結審になって間もない時点のことで,その
頃から,被告人は弁護人や家族等との接触も一切拒否するようになっている。その
時期や,弁護人への相談もなく行われたものであることからすると,被告人が上記
障害のために,本件控訴取下書を提出することで,不本意な本件訴訟を終わらせら
れるものと勝手に解釈して行ったものである可能性が高い。そうすると,本件控訴
の取下げは,自己の権利を守る能力が著しく制限された状態で行われた疑いが否定
できず,これは無効と解される。
第2本件公訴事実の要旨と原判決の概要
1本件公訴事実の要旨は,
原判示の空き地において,当時11歳の被害者に対し,殺意をもって,持っていた
鉈様の刃物で,その右前胸部,左腰背部等を突き刺し,その頭部を切り付けるなど
当な理由による場合でないのに,刃体の長さ約48.2センチメートルの前記鉈様
の刃物を携帯した,というものである。
2原審の審理経過
検察官は,原審第1回公判前整理手続期日に先立つ平成27年7月17日提
出の証明予定事実記載書において,上記公訴事実に沿った犯行状況等を主張すると
ともに,当時,被告人が心神耗弱状態であったことを主張していた。これに対し,
原審弁護人は,平成28年4月25日に,被告人が公訴事実のとおりの犯行を行っ
たことと心神耗弱状態であったことは争わない旨の予定主張記載書面を提出し,原
審第18回公判前整理手続期日において,罪体及び当時被告人が心神耗弱の状態に
あったことは当事者間に争いがなく,争点は情状及び量刑であるとの争点整理の結
果がまとめられた。
原審第1回公判期日(平成29年3月6日),被告人は,公訴事実についての
意見として,「違います。全部違います。」などと陳述したが,直後に原審弁護人の
求めで一時休廷となり,原審弁護人と打ち合わせを経ての再開後には「(被告事件を)
認めます。」と陳述し,原審弁護人は,被告人と同様であるとしながら,心神耗弱状
態であったことを主張した。原審第3回公判期日(同月9日)での被告人質問にお
いて,原審弁護人から,被害者を殺したことは間違いないかと問われると,被告人
は,「やってません。」「この前ももっと罪重くなるよて言われたんで認めただけで
す。」「若干,脅迫,怖かったから認めた。」などと供述した。しかし,原審第4回公
判期日(同月13日)の被告人質問では,被害者を殺害したことを認め,被害者を
捕まえ,持っていた刃物でその身体を刺して殺害したことなどを供述した。
原審第5回公判期日(平成29年3月15日)には,起訴前に被告人の精神
鑑定を行ったB医師の証人尋問が行われた。
同医師の原審証言(以下「B鑑定」という。)の要旨は,以下のとおりである。
被告人は,中学2年生であったころから,関係妄想を特徴とする妄想や,当たり
前のことを当たり前と受け止められない一種の思考障害などの精神障害が認められ
るようになり,これに伴って明るい人柄から内向的へと性格が変化し,社会から引
きこもる傾向が生じている。被告人の症状からみると,統合失調症または妄想性障
害と考えられるが,両者の鑑別を行うには今後の経過観察が必要になる。広汎性発
達障害や知的障害は否定される。
被告人は,平成26年10月頃から近隣に住む被害者とその兄の言動に関心を持
つようになり,平成27年1月頃には,両名が自転車に乗って棒を振り回している
のを認めて,自分への嫌がらせである旨の被害妄想を抱くに至り,被告人は,被害
者兄弟から叩かれるなどするとの危険を感じて追いかけるなどの行動に出るように
なった。被告人の被害妄想の対象は,被害者兄弟以外にも拡散していき,本件犯行
の約5日前には,被害者兄弟や近所の別の家族を名指しして,「違反者と思われる人」
として入国管理局に通報した。この通報からは,被告人の被害妄想が確信的である
ことや,それに対する対応策を考える自由はあるものの,その思考には一定のまと
まりの悪さがあることがうかがえる。
被告人は,初回の鑑定面接では本件犯行の動機に関して,「棒を振ってたから殺し
ただけ」「あんなんに殴られたら嫌やなと(思った)」「(被害者が)うっとうしかっ
た」などと述べたが,2回目以降の面接では犯行自体を否認したため,それ以上の
説明は得られなかった。
状況からみると,犯行動機の中核には,被害者に対する被害妄想があると考えら
れるが,被害者らから殺されるかもしれないというような切迫した危機感の訴えは
なく,何がしかの被告人自身の考えで被害者の殺害を決意したと考えられる。妄想
を前提とすれば,犯行動機は心理学的に了解可能であり,その動機に照らして犯行
時の行動は合目的的といえる。犯行直前,直後の行動は,普段と変わらず,社会生
活を送る上での判断,認識は保たれていて,易怒的な点は見当たらない。犯行後に
洗濯したり,刃物を洗ったりした点は,自己防衛的な行動と評価できる。事後に犯
行を否認したことも,自己防衛目的と考えられ,解離性現象によるとは考えられな
い。被告人には犯行前から家族に対する暴力があったから,本件犯行についての平
素の人格との異質性はそれほど大きいとはいえない。
被告人の被害妄想が犯行に及ぼした影響は無視できないものであるから,精神症
状の本件犯行への影響の程度は著しかったといえるが,被害妄想の内容は切迫して
おらず,意思決定の自由が保たれていて,易怒性などは出現しておらず,本人なり
の意思決定に基づいて行動ができていたと評価できる。
原審第6回公判期日(平成29年3月21日)には,論告・弁論が行われた。
論告において,検察官は,B医師の供述を前提に,被告人の責任能力に関し,妄想
にすっかり支配された精神状態ではなく,目的に向けて合理的な判断をして行動す
る能力が十分に残されていたなどとして,心神耗弱状態を前提にしても厳しい刑事
的非難を与えることは十分可能であると主張した。これに対し,原審弁護人は,B
医師は,被告人の心理面やこれまでどのような精神状態で過ごしてきたかを軽視し
ているなどとその判断を批判した上で,本件は,被害妄想に基づく犯罪で,劣等感,
心理面での脆弱性,思考障害が不安を増幅していたことなどからすると,被告人に
責任を問えない部分があると主張した。
3原判決の判断の要旨
原判決は,被告人が公訴事実のとおりの犯行に及んだことと,当時,統合失調症
ないし妄想性障害による被害妄想の影響により心神耗弱の状態にあったことを認定
し,被告人を懲役16年に処したのであるが,犯行に至る経緯として,要旨,以下
のとおり摘示している。
被告人は,中学2年生の頃から,他人の言動など周囲で起こる出来事が被告人の
家庭内での会話や言動と関連しているのではないか等という関係妄想を抱くように
なり,家庭内の様子が他人から盗聴,盗撮されていると考えるようになった。被告
人は,この頃から自宅に引きこもるようになり,高校を中退してからは,約半年間
アルバイトをした以外は引きこもりの生活を送っていた。被告人は,平成26年夏
頃に被害者及びその兄が近所に住むようになったことにより,その存在を強く意識
するようになり,被害者兄弟からにらまれる,路上で奇声を上げられる等の嫌がら
せを受けているように感じ,被害者が棒を持って遊んでいるところを見て,嫌がら
せが一層悪化したと考え,いつか襲われるのではないかという被害妄想を抱くよう
になった。そして,被害者兄弟からの嫌がらせを止めるために,平成27年1月9
日,被害者の兄を刃物を持って追いかけたり,同年2月1日,入国管理局に被害者
兄弟の情報をメールで送信するなどしていた。
第3弁護人の訴訟手続の法令違反及び事実誤認の主張について
1控訴趣意の要旨
被告人の原審における犯人性自認供述や捜査段階の自白は,精神症状の影響によ
り,判断能力及び自らの行動を制御する能力が著しく損なわれた状態でなされたも
ので,任意性もなければ,事実認定の基礎として用いるに足る信用性もないから,
事実認定の基礎から排除されなければならない。しかるに,原判決は,被告人の原
審公判供述を事実認定の基礎的事情として用い,不利な量刑事情としても援用した
から,判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反が認められる。
また,上記の被告人の供述を証拠から排除すると,その余の証拠関係のみからは,
本件の公訴事実が合理的疑いを差し挟む余地のないほどに証明されているとはいえ
ないから,被告人は無罪であるのに,いずれも有罪とした原判決には,判決に影響
を及ぼすことの明らかな事実誤認がある。
2当裁判所の判断
上記第2,でみたとおり,被告人が,原審第1回公判期日において,突然犯
行を否認し始めたため,原審弁護人らが休廷を求めて被告人を説得し,その結果,
被告人は犯行を認めたものの,原審第3回公判期日で再び犯行を否認し,先の公判
期日に犯行を認めたのは,原審弁護人から否認すれば罪が重くなる旨言われて怖か
ったからだと述べたことが認められる。このような経緯に照らすと,被告人にとっ
て,原審弁護人の説得が不本意なものであり脅迫的なものと受け取ったことは否定
できない。しかし,公判前整理手続の経過や本件の証拠関係からすれば,原審弁護
人が上記のような説得をするのはやむを得ないところであって,これを不当とする
ことはできない。しかも,被告人は,原審第4回公判期日では,犯行の経緯や動機,
犯行状況等に関する,訴訟関係者からの質問に対し,被告人にとって答えやすい点
は詳細に答える一方,答えにくい点は答えず,再度,原審弁護人に誘導されてしぶ
しぶ答えるなど,その意思に基づいて応答していたことが明らかである。その供述
態度等には,後記A鑑定が指摘する,被告人の精神症状の特徴が表われているもの
の,それが判断能力等に及ぼす影響の程度は,後に検討するとおり,所論が前提と
するほど大きなものではない。被告人が原審公判で述べた内容は,原審では任意性
に争いがなかった被告人の検察官調書(原審乙2ないし5)を敷衍するもので,被
告人特有の解釈等が含まれているため,その信用性等に慎重な配慮を要するとはい
えても,任意性に疑いを生じさせるものではない。所論のうち,訴訟手続の法令違
反の主張には理由がない。
そして,これらを除く他の証拠から,被告人が原判示の各事実の犯人であること
は優に認めることができるため,原判決の犯人性にかかわる点に関して事実誤認が
あるとはいえない。すなわち,被害者が,原判示第1記載の空き地において,何者
かによって刃物で身体を突き刺したり,切り付けたりされ,搬送先の病院において
死亡した事実は,原審において取り調べられた捜査報告書(原審甲1等)によって,
優に認められる。被害に遭って倒れた被害者を発見したCは,原審に証人として出
廷し,直前に被害者宅近くで刃物を携行してうろついていた男と会話したこと,そ
の男が被害者の後ろをつけていったこと,被害者の叫び声を聞いた直後に男が立ち
去るのを見たことなどを供述し,その日に見た男は被告人であるとも述べる。Cが,
現場で見かけた男を被告人であるとした根拠(以前にも見かけたことがあった,肌
荒れなどの特徴が一致)は,合理的なもので,捜査時点から一貫していることもう
かがえ,その信用性は極めて高い。そして,捜査報告書(原審甲20,21)等に
よれば,本件発生の翌日,犯人として浮上した被告人方を令状に基づいて捜索した
結果,被告人の自室の衣装ケースから刃物3本が発見され,そのうちの1本である
鉈様の刃物(通称コピスマチェット)に被害者のDNA型と一致する血液が付着し
ていることが判明したこと,被害者の遺体の傷の状況は,上記鉈様の刃物が成傷器
であると考えて矛盾のないものであったことも認められる。したがって,上記鉈様
の刃物が被害者殺害に用いられた凶器であると推認され,被告人は,それを犯行の
翌日時点において自室内に隠匿保管していたとみられる。これらの事情を総合すれ
ば,被告人が,上記鉈様の刃物を用いて被害者を殺害した事実を認定することがで
きる。
Cが当日に見かけた男の視認条件は良くなく,被告人
が犯人である旨の報道に接するなどして先入観を抱いて証言に臨んだことを考慮す
に被告人方に侵入し,被告人の自室に凶器を隠した可能性は否定できない,などと
主張し,被告人の自白を除いた証拠関係のみをもってしては,被告人の犯人性を基
礎づけることはできないと主張する。
とは考えられない。すなわち,原審に証人として出廷した被告人の両親の証言等に
よれば,本件当時,被告人は,両親と同居していて,いわゆるひきこもり状態で,
長時間自室を空けることがあまりなかったことが認められ,被告人以外の犯人が,
被告人にもその両親にも気づかれることなく,被告人方に侵入し,被告人の自室の
衣装ケースに刃物を隠匿することは,現実的には不可能であったと考えられる。ま
た,犯行翌日に被告人方が強制捜査の対象とされたのは,その時点でCが目撃した
男を被告人と同定したことによると考えられ,したがって,Cは,その当時から原
審証言時まで一貫して見かけた男が被告人であることを供述しているとみるべきで,
を考慮に入れてもなお,その点の信用性が揺らぐとは考えられない。
所論は,いずれも採用できない。
上記のとおり,本件犯行の犯人が被告人であることは他の証拠からも明らかであ
るから,これと整合し,体験したことや考え等を被告人の視点から述べた原審公判
供述及び検察官調書(原審乙2ないし5)の内容は,そのようなものとして信用で
きる。
以上のとおり,原判決が被告人の原審公判供述やその捜査段階の供述をもとに事
実認定や量刑判断をしたことに特段の問題は認められないから,所論はいずれも理
由がないというべきである。
第4職権判断(事実誤認)
1弁護人及び検察官の各控訴趣意には,原判決の責任能力の認定に関する主張は
ないものの,当裁判所は,この点について職権で調査を行い,そのために必要があ
ると認めて当審において改めて被告人の責任能力の鑑定を行った。その結果,本件
各犯行当時,被告人が統合失調症ないし妄想性障害による被害妄想の影響により心
神耗弱の状態にあったとする原判決の責任能力の認定は,論理則,経験則に照らし
て不合理と認められるとの結論に達した。以下においては,その調査の経緯と判断
の理由について述べる。
2原判決は,心神耗弱と認定した理由について,格別の補足説明をしているわけ
ではないが,原審の審理経過や犯行に至る経緯の認定内容に照らせば,B鑑定に依
拠したものと考えられる。
しかし,B鑑定では,善悪の判断能力及びその判断に従って行動する能力が障害
されており,その程度は著しかったとの表現が用いられる一方で,被害者に対する
被害妄想の内容は,被害者らから重大な危害を加えられるというような切迫したも
のではなく,社会生活を送る上での判断,認識は保たれており,本人なりの考えに
基づいて殺害を決意し,その意思決定に基づいて行動することもできていたとされ
ており,これらを字義どおりに解するなら,妄想から犯行動機が形成されたといえ
るものの,是非善悪に関する判断能力や意思に基づいて行動を制御する能力は大き
く障害などされてはいなかったとみるのが正当と考えられる。B鑑定自体も,被害
妄想が大きく影響したといえるための指標として,被害妄想の内容の切迫性と易怒
性の二つを上げながら,本件では双方ともに認められないとしている。また,B医
師は,精神障害が本件犯行に及ぼした影響は無視できない,という意味で,「精神症
状の本件犯行への影響の程度は著しかった」と判断できる旨を述べるのであるが,
これを文字どおりにとらえれば,無視できないというだけで直ちに「著しい」影響
があるとしたものと解されるのであり,このような解釈は一般的なものとはいえな
い。
これらからすると,B鑑定の判断過程と結論の間には無視し難い不整合があり,
独自の基準をもって精神症状の影響を著しいと評価したものである疑いがある。
3さらに,B鑑定については以下の問題点も指摘できる。
B鑑定は,動機の背景事情として被告人が被害者から嫌がらせを受けているとの
被害妄想を抱いており,棒で叩かれるなどの一定の危害を加えられるおそれを感じ
ていたとするのであるが,そこから小学生児童にすぎない被害者への殺害の決意ま
ではかなりの飛躍があるのに,その間の説明として「なにがしかの被告人の考えが
あった」と述べるだけで,動機形成過程について十分な心理学的解明がなされてい
るとはいい難い。B医師は,被告人が鑑定面接で十分な説明をしなかったこともあ
って,犯行時の心境が解明できなかったことを率直に認めつつ,妄想を前提とすれ
ば心理学的に動機は了解可能であるとも述べていて,解明できていない動機が了解
できるという判断は,やや拙速にすぎるように思われる。
被告人は,本件犯行に先立って被害者兄弟らを入国管理局に通報しており,B鑑
定は,入国管理局に問題解決を委ねたことは適切さを欠くものであって,対応策を
考える自由はあるものの,思考のまとまりの悪さがうかがえると判断しているので
あるから,殺害の決意についても同様に思考の問題点が影響を及ぼした可能性を検
討する必要があるのに,この点についての説明もない。
さらに,B医師は,被告人が犯行を否認するなどしている言動を自己防衛目的と
説明するが,被告人は,原審公判においても否認と自白の態度をめまぐるしく変転
させているのであって,知的障害が否定される被告人について,これを自己防衛の
ための打算とみるのは困難である。
以上からすると,被告人の精神障害の有無や程度,これが犯行の心理学的要素に
与えた影響の有無や程度に関するB鑑定の説明内容は,鑑定の前提となる事実関係
のうちの犯意自体の奇妙さや事後の認否の態度の不可解さなどについて十分に説明
するものとはなっておらず,しかも,動機の解明に至っていないのに安直に了解可
能としている疑いを否定できない。したがって,B鑑定が被告人の責任能力を判断
するに当たって依拠し得るものといえるかについても,疑問の余地が残るものとい
うべきである。
4上述のとおり,B鑑定については,その内容に無視し難い不整合を指摘できる
ほか,幾つかの問題点があると思料されたため,当審において,新たにA医師を鑑
定人として選任し,被告人の精神鑑定を実施した。同医師の鑑定書(当審職権2)
及び当審証言を総合すると,その鑑定結果(以下「A鑑定」という。)の要旨は,次
のとおりと認められる。
被告人の精神面を精神医学的な見地から考察すると,次のような特徴が認められ
る。
被告人には「心の理論」の障害に由来する特徴,つまり,ものごとを自分以外の
者がその状況でどのように受け取るかを想像するのが不得手で,そのことが意思疎
通の困難さをもたらしている。また,外界の事象と距離を置くことが苦手で,身の
回りの出来事を自分にとって特別な意味があると理解してしまい,それが思うよう
にならないことから,被害妄想のような考えを結実させやすい。本人なりのこだわ
りが強く,臨機応変な対応が困難で,一定の行動パターンに固執しやすい。痛み刺
激に鈍感である反面,音刺激には過敏という特徴もみられる。被告人は,中学生の
頃から,自宅内での自分と家族の会話を他人が被告人に聞こえるように再現して話
すという体験を繰り返しており,これは一種の幻聴といえるが,その機序は,過去
の音声記憶が想起されるときに現在の出来事として体験されること(タイムスリッ
プ現象)によるものと考えられる。被告人の鑑定面接での犯行に関する説明は,当
初は単純な否認であったが,やがて,多人数で被害者を殺害したとか,他人に命令
されて被害者を殺害したというような荒唐無稽なストーリーに変化しており,その
内容からは,被告人に未熟で幼稚な空想にふけりやすい傾向があることが見て取れ
る。その他にも,被告人には,認知,作業の能力に偏りや障害があることが示唆さ
れるエピソードも散見される。
これらの特徴をDSM5の診断基準に照らすと,自閉スペクトラム症/自閉症ス
ペクトラム障害の診断基準を満たしており,そのうちの知能・言語の障害を伴わな
いもので,重症度はレベル1(支援を要する)に該当する。
被告人は,かねて被害者兄弟が自転車やスケートボードに乗って会話するなどし
ているところに遭遇した折に,同人らが被告人の家族の会話を大きな声で再現して
いると認識していたが,これは,聴覚過敏やタイムスリップ現象の結果としての幻
聴であったと考えられる。このような体験を重ねたことなどから,被告人は,被害
者らがストーカー行為をしている悪人であるとの被害妄想を抱くに至っており,こ
の妄想の形成には,聴覚過敏ゆえに被害者らの騒ぐ声がより気になりやすかったこ
とが寄与している可能性も十分にある。その上で,被害者らは「暴力団員」,あるい
は「不法入国者」であるとも考えていたが,これは,悪いことをする人は暴力団員
ないし不法入国の外国人である,という整理されやすい図式が被告人によくはまっ
たからと思われ,このように整理しやすい図式(パターン)を常に適用しやすいと
いうのも自閉スペクトラム症の特徴である。
本件犯行は,基本的に被害者による発声や行動に対する憤懣から攻撃したものと
考えられるが,その憤懣は,聴覚過敏ゆえに被害者兄弟の発声を不快に感じやすか
ったこととともに,上記のような幻聴も加わり,被害者兄弟が被告人へのストーカ
ー行為をする不法入国者,あるいは暴力団員であって,そうした悪人が自分の周り
に数多くいるという妄想によって修飾ないし増幅され,動機の形成につながったも
のである。
また,憤懣から犯行に移る過程には,殺害という行動がどのような結果を招き,
社会的にどのように受け止められるかを推し量ることが正確にできていないという
自閉スペクトラム症における想像力の障害が,行動選択面に影響を与えている。
5A医師は,これまで多数の重大事件で精神鑑定を手掛けてきた経験豊かな精神
科医で,その識見や能力の高さは当事者双方も争っておらず,A鑑定は,意思疎通
面の問題,聴覚の過敏さ,幻聴の特殊性など被告人の精神活動の特徴について,多
方面から焦点を当てて考察したもので,鑑定の前提となった資料の選択も適切であ
る。A鑑定をB鑑定と比較すると,被告人には被害者兄弟への被害妄想があり,そ
れが動機の形成につながったこと,本件犯行時に易怒性などは出現しておらず,本
人なりの意思決定に基づいて行動していたことなどの点では共通するが,被告人の
抱えていた精神障害の内容が異なるのに伴い,被害妄想などが出現した機序やその
内容,性質についての考察に相違がある。A鑑定では,B鑑定では疑問に思われた
本件の犯意自体の奇妙さや事後の認否の態度の不可解さについても,得心がいく説
明がなされているから,その信用性はより高いとみるべきである。
A鑑定と原審関係証拠からすると,被告人の精神障害は,自閉スペクトラム症と
診断できるものであること,本件の犯行の動機の中核は,被害者兄弟の発声や行動
に対する憤懣が基本となり,それが,被害者兄弟が自分の家族の会話を再現してい
るというような幻聴,被害者兄弟がストーカー行為をしている暴力団員,あるいは
不法入国者であるという妄想によって修飾ないし増幅されたと考えられること,こ
のような憤懣を背景に,被告人は,遅くともCと会話した時点で,被害者の殺害を
決意し,その意思に従って本件犯行に及んだこと,自閉スペクトラム症における想
像力の障害が社会的に適切な行動選択を妨げ,被害者殺害という意思決定に影響し
ていたものの,殺人が違法な行為であるとの認識自体は被告人にあったことなどを
認めることができる。これらによれば,被告人には,被害者が悪人であるとの妄想
があったとはいえ,その殺害が違法であることは理解できる程度の是非善悪の判断
能力があり,自らの意思で行動を制御することにも支障はなかったから,犯行時に
は完全責任能力であったと解される。
6他方,弁護人は,弁論において,A鑑定を前提としても,以下の事情からする
と,被告人の是非善悪の判断能力や行動の制御能力は,著しく障害されていたか,
欠如していた疑いがある,と主張する。
被告人は,自閉スペクトラム症ないしこれから派生した二次障害に起因する
聴覚過敏,度重なる幻聴,これらの不快な体験に関する欲求不満や憤懣から生
じた被害妄想,皮相的かつ訂正困難なパターン認識への囚われの影響によって,
被害者に対する敵意ないし害意を抱くにいたっており,幻聴及び妄想という精
神機能の障害が動機を形成したといえる。
被告人は,自閉スペクトラム症に由来する心の理論の障害により,常識ない
し道徳規範を共有し,内在化することが困難であるがゆえに,自分自身の行動
を常識に即して合理的かつ規範的に選択し,制御する能力を著しく欠いていた。
所論の指摘のうち,被告人には幻聴及び妄想と評価できる精神障害があり,これ
が動機の形成に寄与したことや,心の理論の障害により,自分の行動がどのような
結果を招き,どのような評価を受けるかを常識に照らして判断する能力が劣ってお
り,そのために合理的かつ規範的な行動選択に失敗して,被害者の殺害を決意した
と考えられることは,A鑑定も示唆するところといえる。
もっとも,A鑑定によれば,被告人の妄想の中核は,被害者兄弟が嫌がらせをし
ているというもので,同人らが暴力団員ないし不法入国者であるとの妄想で増幅等
されたとはいえ,生命,身体に対する切迫感や危機感が生じていたわけではなく,
動機の根本は,憤懣といえる。そして,被告人は,障害により他者の視点を持つこ
とが困難であるため,自分が殺人をした場合,捜査から犯行を隠し通すことはかな
り難しく,犯行が発覚すれば,周囲から厳しく非難されて罰を受けるということが
現実的なものとして想像できず,自分だけの未熟な視点でもって憤懣を被害者の殺
害の決意に結びつけてしまったのであるが,殺人が犯罪で,許されない行為である
こと自体は知っており,それゆえに甚だ不十分ながらも犯行直後に刃物や衣服を洗
うなどの罪証隠滅工作を施したり,問い詰められない限りは犯行を否認する供述を
したりしているものと考えられる。また,被告人は,本件の数日前には,インター
ネットにより入国管理局に被害者兄弟を通報していることからすると,それが非常
識な手段であることを考慮に入れても,殺害以外に憤懣を解決する方策を全く思い
つくことができない状況であったとは解されない。
以上からすると,被告人は,被害者兄弟への憤懣が根拠のないものであることが
理解できず,殺人が被害者に与える苦痛や社会に与える影響についての理解や共感
に基づいて自己の行動を規律するというような健全な違法性の意識がないため,容
易に殺意を形成し,しかも,周囲から非難され,罰を受ける現実的なおそれが感じ
られなかったから,脆弱な反対動機しか形成できなかったと考えられ,それらが本
件に大きく寄与したこと自体はそのとおりと考えられる。しかし,本件の直接の動
機は,憤懣という了解可能なもので,被告人がともかくも殺人が処罰の対象となる
犯罪であることは理解しており,適切さを度外視すれば他の行為を選ぶことも可能
であったから,反対動機を形成して思い止まることがかなり困難であったとはいえ
ず,是非善悪の判断能力が欠如していたとか,制限の程度が著しかったということ
はできない。そして,被告人が,被害者の殺害を決意した後,それを実現するため
に合理的な行動をとっていることは,関係証拠から十分に認めることができる。被
害者を多数回突き刺したり,切り付けたりした場面では興奮状態になっていた可能
性があるとしても,それは殺人の事案で通常あり得る事態であるし,以後の行動に
特段の異常性はうかがえないから,行動を制御する能力に不足があったとも認めら
れない。
弁護人が,所論の中で指摘する妄想等の動機への影響や,常識や道徳規範の欠如
が合理的な選択肢を狭めた可能性は,被告人の責任の程度を軽くする要素として量
刑において十分に考慮すべき事情に当たるが,本件当時,被告人が心神喪失ないし
心神耗弱状態にあったと認めるべき事情になるとはいえない。
7以上によれば,原判決の責任能力についての認定は,公判前整理手続段階で当
事者双方が犯行時に被告人が心神耗弱であったと主張していたことに引きずられ,
その前提となったB鑑定に,鑑定の前提となる事実関係について十分な考察を加え
ておらず,かつ,精神障害の犯行に対する影響の程度について一般的な基準によら
ずに判断している面があることを見落としたものというべきで,当審において採用
したより信用性の高いA鑑定に照らしてみれば,それにより不合理な結論に至った
ものといわざるを得ない。
8本件においては,弁護人からの控訴趣意はもとより,検察官からの控訴趣意も
責任能力についての原判決の事実認定の誤認を主張しておらず,弁護人は,こうし
た場合に裁判所が職権判断で事実誤認を理由に原判決を破棄し,被告人に不利益と
なる自判をすることは,当事者主義の観点及び不利益変更禁止の趣旨から容認でき
ないと主張する。
不利益変更禁止の趣旨をいう点は,本件のように検察官側からも控訴されている
事案では,説得的なものではないが,控訴審においても当事者主義が基調とされる
ことは確かであり,それゆえに,一審判決のうちの被告人に有利な判断が分割可能
であって,その判断に検察官が控訴せず,あるいは,控訴趣意での主張がないと,
控訴審裁判所は,その判断に対して職権調査を行うことができなくなる場合がある
(攻防対象論)。しかしながら,責任能力の認定の判断は,当該事件が控訴された以
上,有罪・無罪のみならず,量刑を判断する上でも避けることはできない問題であ
るから,一審判決が心神耗弱を前提に有罪認定した判決に対し,当事者双方から責
任能力の認定に対する主張がない場合であっても,責任能力の問題が攻防対象から
外れることは考えられない。したがって,控訴審裁判所は,当事者の控訴趣意にか
かわらず,一審判決の責任能力の認定に対して職権調査を及ぼし得ると解される。
職権調査を行い得る以上,調査の結果,原判決のこの点の認定が不合理であるとの
結論に至った場合,事実誤認を理由に原判決を破棄し得ることも当然であり,被告
人に不利益な自判のみ禁じられるとする理由もない。
本件では,原審の公判前整理手続段階から被告人が心神耗弱であったことは争い
がなかったとはいえ,論告・弁論での当事者の主張をみると,B鑑定の信用性や被
告人に刑事責任を問いうる程度については相当の隔たりがあったことがうかがえる
から,原審裁判所は,これらを争点として明示し,事実認定あるいは量刑の理由の
中で明確に判断する契機を与えられており,そうすべきであったといえる。
しかるに,原判決は,これらを実質的な争点と自覚することなく,B鑑定の妥当
性について問題があることを見過ごし,責任能力の障害の程度が著しいとの記載に
漫然と依拠して,被告人が犯行当時心神耗弱状態にあった旨を認定したものと考え
られ,その結果,実態とは異なる責任能力判断に至ったと認められるから,破棄を
免れない。
第5破棄自判
よって,検察官及び弁護人からの各量刑不当の控訴趣意に対する判断を省略し,
刑訴法397条1項,382条により原判決を破棄する。その上で,原審で重要な
量刑事情については立証が尽くされており,当審においてA鑑定が実施され,改め
て被害者の実父の心情に関する意見陳述もなされ,量刑判断に必要な資料が出そろ
っていること,本件の発生から既に4年以上が経過していることなどを考慮し,同
法400条ただし書により当裁判所において更に判決する。
(当審において新たに認定した罪となるべき事実)
被告人は,
1自閉スペクトラム症の影響により,かねて自分に嫌がらせをしている悪人と考
えていた被害者(当時11歳)への憤懣を晴らすため,平成27年2月5日午後
4時14分頃,和歌山県紀の川市a番地b東側空き地において,被害者に対し,
殺意をもって,持っていた鉈様の刃物(刃体の長さ約48.2センチメートル)
で,その右前胸部,左腰背部等を突き刺し,その頭部を切り付けるなどし,よっ
て,同日午後7時5分頃,D病院において,同人を心臓刺創による失血により死
亡させて殺害した。
2業務その他正当な理由による場合でないのに,同日午後4時14分頃,前記空
き地において,前記鉈様の刃物1本を携帯した。
(量刑の理由)
本件は,自閉スペクトラム症を有していた被告人が,その影響で近隣に住む小学
生の男児がストーカー行為をしているなどの妄想を抱き,憤懣から,男児を刃物で
突き刺すなどして殺害した事案である。被告人の憤懣は,妄想に彩られた独特のも
のであるが,怨恨に類するといえるから,本件は,怨恨を動機とする殺人の事案に
属すると考えてよい。
何らの抵抗もしない被害者を大型の刃物で複数回にわたって突き刺し,あるいは
切り付けていることからすると,態様は残忍で,強い殺意があったことに疑問の余
地はない。また,事前に殺人を計画していたとまで認めるに足る証拠はなく,当日
の近隣住民の発言に触発されて殺意を抱いた可能性があるものの,被告人は,以前
にも被害者やその兄を追い回しており,当日も自宅から大型の刃物を持ち出して被
害者を待ち受けていて,全くの偶発的事案ともいえない。本件の態様は,同種事案
の中ではやや悪質といえる。
他方,動機についてみると,それ自体は短絡的で同情の余地のないものであるが,
その形成過程に被告人のために有利に考慮すべき事情が認められる。本件では被害
者に落ち度は認められず,それなのに,被告人は,一方的に被害者が悪人と思い込
んで殺害にまで及んでおり,この経緯は,被害者にとってあまりに理不尽というほ
かない。しかし,この動機は,生来の自閉スペクトラム症の影響を色濃く受けたも
ので,加えて,最終的に被告人が殺人という過激な手段を選んだことにも自閉スペ
クトラム症の影響がある。上述のとおり,本件当時,是非善悪を判断し,行動を制
御する能力が著しく制約されていたとはいえないものの,全く健全であったともい
えないのであって,これらの点は,犯情として十分に考慮せねばならない。
以上からすると,本件は,態様面では悪質さがあるものの,動機面には軽重両様
の側面があり,被告人のために酌むべき事情も一定程度はある以上,同種事案の中
で重い部類ということは躊躇される。幼い被害者の理不尽で酷い死に直面し,遺族
が強い処罰感情を抱くことは十分理解できるものであるし,近隣社会への影響も否
定できないなどの事情もあるが,被告人に前科前歴がなく,家族による支援が見込
めることなども認められ,一般情状が極めて悪いわけでもない。被告人が罪証隠滅
工作をしたことや真摯な反省を示していないことは,生来の自閉スペクトラム症の
影響を受けている側面が大と考えられるから,量刑を左右するものとして大きく考
慮することは相当ではない。
怨恨を動機とする被害者1名の殺人1件を中心とする量刑傾向をみると,特殊な
事案を除けば,概ね懲役13年から15年を中心に分布している。上述した本件の
犯情,特に自閉スペクトラム症の影響の大きさや,一般情状の評価は,本件が中程
度の事案で,この辺りの量刑を相当とすることを示唆している。
原判決は,被告人に対して懲役16年の量刑をしているところ,これは,上述し
た本件事案の評価に沿うものであるとともに,心神耗弱を前提にした量刑としては,
かなり重いものと考えられる。すなわち,裁判員制度施行後の殺人1件に対して心
神耗弱が認定された事案の量刑例をみると,事案の個別性が高いために一定の傾向
を看取することは困難ではあるが,懲役10年以下となっているものが比較的多い。
懲役16年を超える量刑例は1件のみである。原審検察官の論告でも,本件類似の
殺人で心神耗弱状態にあった事案の量刑傾向は,懲役3年以下から懲役10年以下
辺りに集中しているとされている。そうでありながら,原審検察官は,対象となる
事案の多くは本件とは前提や本質が異なるので,これを参考とすることなく量刑す
べきことを求めており,他方,原審弁護人は,具体的な刑に言及することなく,被
告人に責任を問えない部分が残ることを量刑において考慮するよう求めていた。原
判決の量刑の理由の記載は,どのような思考過程を経て懲役16年という量刑を導
いたかを明示するものではないが,犯情の評価としては,態様が執拗で残忍である
こと,被告人が被害妄想の影響下にあり,動機を形成する過程で影響があるものの,
態様は被告人の目的にかなったもので,その影響は限定されたものであることなど
を説示している。こうした説示や原審検察官の論告の内容に照らすと,原審裁判体
は,被告人が心神耗弱状態であったことを出発点として量刑傾向を探ったのではな
く,むしろ,それにとらわれることなく,態様や動機などを実質的に考慮してある
べき量刑を考察し,その上で心神耗弱状態であったことを酌むべき事情の1つと考
えて量刑したことがうかがえる。このような被告人の精神症状の位置づけは,当裁
判所の量刑判断の枠組みにおけるのと同様であり,そして,そこで説示された態様
や動機などの評価や,妄想の影響の評価については,当裁判所としても異論がある
ところではない。
なお,検察官は,殺人についての量刑傾向を探るに当たっては,被害者が親族で
あるか,それ以外であるかを分けて考えるべきであると主張するので,この点につ
いて付言する。この主張は,被告人が心神耗弱状態であったことを前提に,量刑傾
向を探るための資料を限定しようとする意図からされたものと解される。しかし,
上述したとおり,当裁判所は,本件について,被告人に完全責任能力を認めた上で,
怨恨を動機とする殺人の事案として量刑傾向を探るのが相当と解しており,検察官
とは異なる前提に立つ。そもそも,被害者が親族であろうとなかろうと,その命の
重さに変わりがあるはずはなく,一般に親族が被害者となる殺人で軽い量刑がされ
る例が多いのは,親族間の殺人では,親族間の軋轢等が背景となり動機等に酌むべ
きものが多いためであると考えられる。怨恨を動機とする殺人の量刑例においては,
逆恨みともいうべき事案では重く,恨みにもっともな理由がある場合には軽く量刑
される傾向がある一方,被害者が親族か否かでは明確な量刑傾向の差は見られない。
被害者が親族以外である点を重視すべきであるとの検察官の主張は,本件の量刑に
当たり,有意な視点を提供するものではない。
以上の検討結果から,当審と原審とで責任能力についての判断を異にするとはい
え,原判決の量刑の判断枠組みや量刑事情の評価は,当審において新たに量刑をす
る上で尊重できるものであり,原判決が裁判員を含んだ裁判体による判断であるこ
とも考慮し,改めて同じ量刑をすることが相当であると判断した。
よって,主文のとおり判決する。
(原審における求刑・懲役25年,主文掲記の没収)
令和元年7月16日
大阪高等裁判所第1刑事部
裁判長裁判官 和田真
裁判官 坪井祐子
裁判官 真鍋秀永