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主 文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟の総費用は原告の負担とする。
事 実 及 び 理 由
第1 請求
被告が原告に対し平成16年2月16日付けでした退去強制令書発付処分を取り
消す。
第2 事案の概要
本件は,イラン・イスラム共和国(以下,単に「イラン」ともいう。)の国籍を
有する原告が,被告から平成16年2月16日付けで退去強制令書(以下「本件令
書」という。)の発付処分を受けたことから,本件令書発付処分が出入国管理及び
難民認定法(平成16年法律第73号による改正前のもの。以下「入管法」又は
「法」という。)53条3項に反する違法なものであると主張して,その取消しを
求める事案である。
1 前提事実(争いがないか,証拠上明らかである。)
(1) 当事者
原告は,▲年(昭和▲年)▲月▲日,イランで出生したイラン国籍を有する外国
人男性であり,いずれもイラン国籍を有する妻P1(▲年▲月▲日生。),長男P
2(▲年▲月▲日生),長女P3(▲年▲月▲日生)と共に肩書地で生活している。
(2) 原告の不法入国,不法残留
原告は,平成3年12月18日,「短期滞在(90日)」の資格で本邦に入国し,
その後在留期限を超えて本邦に不法残留した後,平成5年12月11日,イランへ
帰国した。
そして,原告は,平成12年3月9日,P1及び子らを連れて再来日し,寄港地
上陸許可(72時間)を得て上陸した後,許可期限である同月12日午後4時16
分を超えて本邦に不法残留していた。
(3) 本件令書発付処分に至る経緯
ア 原告は,平成▲▲年▲▲月▲▲日,入管法違反の容疑で現行犯逮捕された
上,法70条1項7号違反の罪で公判請求された結果,平成16年1月30日,名
古屋地方裁判所において,○の有罪判決の言渡しを受けた。なお,原告は,愛知県
弁護士会(当時の名称・名古屋弁護士会)所属弁護士金岡繁裕(原告訴訟代理人。
以下「金岡弁護士」という。)の弁護を受けた。
イ 名古屋入国管理局(以下「名古屋入管」という。)入国警備官は,平成1
6年1月28日付けで被告から収容令書の発付を受けた上,同月30日,原告を名
古屋入管収容場に収容して,違反調査を実施した。原告は,自らの出生地をイラン
のテヘランであると述べ,「私と妻と子供2人は,ビザがありませんが,イランに
は帰りたくありません。日本で家族一緒に暮らせるよう手続してください。」,
「私及び家族はクルド人でイランにいると危ないので逃げて来ました。イランに帰
ることはできません。もしビザがだめでもどこに行くか分かりません。」などと述
べた。
ウ 名古屋入管入国審査官は,同日,日本語で違反審査を実施した。原告は,
自らの出生地をイランのテヘランであると述べ,「私はトランジットのビザで日本
に来ましたが,不法残留しています。私はクルド人でイランに帰ると危険なので日
本で住みたいです。なお家族も不法残留しています。」と述べた。
エ 名古屋入管入国審査官は,同年2月13日,通訳人を介して違反審査を実
施した。原告は,自分はイランのクルディスタンで生まれたクルド族であり,クル
ド族の反政府組織を支援していたから,自分や家族が政府や警察から事情聴取を受
けたことがあり,11か月間イランを離れてはいけないという罰を受けたり,警察
に車や携帯電話を取り上げられたり,6日間警察署で殴る蹴るといった暴力を受け
たことがあるなどと述べたが,「弁護士から,私に在留特別許可がもらえる可能性
は低い,1年近く収容された上,見込みも分からないとアドバイスされましたし,
私自身も日本でビザがもらえないと考えています。ですから,私は1度イランに帰
りますが他の国で暮らすことになります。貴官から,私には在留特別許可をもらえ
るようにお願いする手続を受けることができると説明を受けましたが,そのもらえ
る可能性も期間もいつになるか分からない不安定な状態にはいたくありません。で
すから私はイランに帰る決心をしています。ただ,帰るための荷物整理,車を売っ
たり子供とも話し合いたいので1か月程度家に帰らせてください。」などと述べた。
同入国審査官は,同日,原告が法24条6号に該当する旨認定し,原告に対して
その旨通知するとともに口頭審理の請求ができることを告げた。原告は,上記認定
に服し,「私はイランに帰ることに決めましたので,口頭審理は請求しません。」
と述べ,口頭審理放棄書に署名指印した。
オ 被告は,原告が法24条6号に該当する旨の認定に服し口頭審理を放棄し
た旨の通知を受けて,同月16日,原告に対し,送還先をイランとする本件令書発
付処分をした。
(4) 本件令書発付処分の後の経緯
ア 原告は,日本在住のアフガニスタン人の友人であるP4に依頼して,アラ
ブ首長国連邦内務省が平成16年2月16日付けで作成した同連邦への入国を許可
する旨の証書を入手した上,同月17日,同年3月24日名古屋発のクアラルンプ
ール及びドバイ経由テヘラン行きの航空券を予約した(なお,ドバイはアラブ首長
国連邦を構成する首長国の一つである。)。
イ P4は,予約した書類を名古屋入管に持参したところ,係官からドバイを
経由する航空券では同年2月2日付けで請求した帰国準備を理由とする仮放免も認
められないと言われたため,同月18日,クアラルンプールからテヘランまで直行
する航空券に予約を変更した。
ウ 原告は,同年2月19日,被告により仮放免された後,P4から,名古屋
発クアラルンプール経由テヘラン行きの航空券に変更されたことを聞いた。
エ 原告は,同年3月22日,P1と共に,名古屋入管において法務大臣に対
し難民認定申請をした。
オ 原告は,同月24日の出国予定日に出国せず,同月25日,仮放免期間が
満了となったため,同月30日,名古屋入管収容場に再度収容されたが,同年10
月8日,再び仮放免された。
(5) 本訴の提起
ア 原告は,平成16年5月14日,金岡弁護士を訴訟代理人として,名古屋
地方裁判所に対し,本件令書発付処分の取消しを求める本件訴えを提起した(同裁
判所平成16年(行ウ)第30号)。同裁判所は,2回の口頭弁論を経て,同年8月
26日,原告は,法24条6号に当たるとの入国審査官の認定に服し,口頭審理放
棄書に署名指印しているから,自らの意思で退去強制手続の中で実体上の難民の該
当性について判断を受ける機会を放棄したといわざるを得ず,もはや実体上の難民
に該当することを理由に本件令書発付処分の取消しを求めることはできないとして,
原告の請求を棄却する旨の判決を言い渡した。
イ 原告は,金岡弁護士を訴訟代理人として,名古屋高等裁判所に対し,上記
判決を不服として控訴した(同裁判所平成16年(行コ)第32号)。同裁判所は,
約1年間に及ぶ進行協議,2回の口頭弁論(ただし,いったん1回の口頭弁論で終
結した後,弁論を再開した。)を経て,平成18年6月21日,法53条3項はノ
ン・ルフルマン原則(難民の地位に関する条約《以下「難民条約」という。》33
条1項)を国内法化した規定であり,主任審査官は,本国政府を迫害主体とする難
民と認定されるべき者を当該本国に送還することは許されず,当該外国人が難民に
該当するか否か,送還先が法53条3項に適合しているか否かを,実質的に判断し
た上で送還先を指定すべきであるところ,原審ではこの点の審理がされていないと
して,上記アの判決を取り消して,本件を当庁に差し戻す旨の判決を言い渡した。
(6) 難民認定申請に対する決定,異議等の経緯
ア 法務大臣は,平成16年7月5日,原告及びP1に対し,それぞれ難民認
定をしない旨の処分をした。原告及びP1は,同月15日,同難民不認定処分に対
し異議を申し立て,平成17年11月29日,代理人である金岡弁護士と共に出頭
して,難民審査参与員の面前で口頭意見陳述をし,また,同参与員の審尋を受けた。
イ 原告は,いずれも金岡弁護士を訴訟代理人として,平成16年7月28日,
名古屋地方裁判所に対し,上記難民不認定処分の取消しの訴えを提起したが(同裁
判所平成▲▲年(行ウ)第▲▲号),平成17年9月8日,原告の請求を棄却する旨
の判決の言渡しを受け,名古屋高等裁判所に対し控訴したが(同裁判所平成▲▲年
(行コ)第▲▲号),平成18年4月28日,控訴を棄却する旨の判決の言渡しを受
け,最高裁判所に対し上告するとともに上告受理を申し立てたが(同裁判所平成▲
▲年(行ツ)第▲▲号,同年(行ヒ)第▲▲号),平成18年11月24日,上告を棄
却しかつ上告審として受理しない旨の決定を受け,同判決は確定した(以下,この
事件を「別件難民事件」という。)。
ウ 法務大臣は,平成18年2月24日,P1に対し,上記難民不認定処分に
対する異議申立てを棄却する旨の決定をした。
2 争点
上記1(3),(5)により,当審における主たる審理の対象は,本件令書発付処分の
法53条3項適合性の有無であり,具体的には,次の2点が争点となった。
(1) 送還先をイランと指定する本件令書発付処分が法53条3項に適合している
か否か。
(2) 本件令書発付処分の手続違反の有無。
第3 争点に関する当事者の主張
1 争点(1)について
(原告の主張)
(1) 難民条約33条1項が定めるノン・ルフルマン原則及びこれを国内法化した
法53条3項の規定により,主任審査官は,退去強制令書を発付する際,当該外国
人の送還先が法53条3項に適合しているか否か(換言すれば,当該外国人が難民
条約上の難民に該当するか否か)を実質的に判断した上で送還先を指定すべき義務
を負うところ,原告は,次に述べるとおり,難民条約上の難民に該当するので,迫
害国であるイランに送還することを内容とする本件令書発付処分は違法として取り
消されるべきである。
本件で原告の主張する難民性は,「人種」,「宗教」,「特定の社会集団の構成
員であること」,「政治的意見」に根拠をおいている。これは,具体的には,原告
が,イランにおける民族的少数者クルド人であること,イランにおける宗教的少数
者のスンニ派イスラム教徒であること,反政府組織であるP5の支援者であり,現
にP5に対する支援活動歴があり,それに起因する被迫害歴を有することである。
このうちで特に重要な要素は,原告が反政府組織であるP5の支援者であり,現に
P5に対する支援活動歴があり,それに起因した被迫害歴を有することである。
(2) イランにおけるクルド人の一般的事情について
ア クルド人が,民族的自立を求めて,イランを含むクルディスタン地域で度
々蜂起してきた歴史的経緯があること
(ア) クルド人は,中東地域の三大先住民族の一つであり,クルド語という固有
の言語を持ち,山岳部での牧畜農耕を通じて独自の文化を形成し,現在の人口は約
2500万〜3000万人といわれているが,国境線を持つ独自の国家を有してい
ない。
クルド人の居住地域を一般に「クルディスタン」といい,具体的には,トルコ南
東部,イラク北部・北東部及びイラン西部・北西部にまたがる地域を指し,その面
積は約50万劭押米本の約1.5倍)である。
(イ) クルド人は,その祖先のメディア人が,紀元前612年,アッシリア帝国
の首都を陥落させ,初めて自立した民族として歴史に登場したが,その後,他民族
により繰り返し征服・支配を受け,ティムール帝国滅亡後は,イスラム教スンニ派
トルコ人王朝であるオスマン帝国とイスラム教シーア派ペルシャ人王朝によって,
民族的に分断されるようになった。
19世紀に入ると,クルド人は,オスマン帝国による中央集権の強化に伴う自治
権の剥奪等に対して数十回に及ぶ反乱を繰り返し,また,ペルシャ帝国内における
クルド人国家設立を目指す反乱も起こしたが,いずれも不成功に終わった。
(ウ) 第1次世界大戦後,敗戦国オスマン帝国と戦勝国との間で締結されたセー
ブル条約により,クルド人及びクルディスタンを分断する内容ではあったが,クル
ド人の地方自治の枠組みが規定された。
しかし,1923年に締結されたローザンヌ条約により,セーブル条約は無効と
され,北クルディスタンはトルコに,西クルディスタンはフランス統治下のシリア
に,東クルディスタンはペルシャ帝国の領土に,南クルディスタンはイギリス統治
下のイラクに,それぞれ併合又は残置されることになった。
イ イランクルド人が,イラン政権から反政府勢力と認定され弾圧対象とされ
た歴史的経緯があり,P5はこれに対峙する,代表的反政府組織であること
(ア) イスマイル・アー・スィムコは,1920〜1925年,東クルディスタ
ン(現在のイラン北西部)で,各地のクルド人に独立を呼びかけてペルシャ帝国
(カジャール朝)に対し武装蜂起したスィムコの反乱を起こしたが,スィムコは,
1930年,パーレビ朝(1925年に成立したイラン人政権)により暗殺された。
イランクルド人は,第2次世界大戦中の1942年,クルド復興委員会を結成し
て民族運動を開始し,1945年,同組織を中心にしてイラン・クルディスタン民
主党(以下「KDPI」という。)を結成し,KDPIは,第2次世界大戦後の1
946年1月,ソ連軍進駐の情勢を利用して,クルド史上初の独立国家であるマハ
バド共和国(正式名称はクルディスタン人民共和国)を樹立したが,マハバド共和
国は,ソ連軍が撤退して孤立無援の状態に置かれた上,パーレビ朝のイラン軍の侵
攻を受けて,同年12月に崩壊した。マハバド共和国初代大統領カーズィ・ムハン
マドと閣僚は,イラン政府により公開処刑された。
原告が支援したP5は,1967年(一説には1969年)に設立され,イラン
政府に対し民族自治を掲げて軍事活動と政治活動を行うようになった。
(イ) ホメイニは,1979年1月,パーレビ朝を打倒し,同年4月,イラン・
イスラム共和国を樹立してその実権を握った(イラン・イスラム革命)。
イランクルド人は,イラン・イスラム革命においてホメイニの行動に協力し,同
時に自治権確立闘争を展開し,ホメイニが権力を掌握したのとほぼ同時に,KDP
Iは事実上の自治政府を樹立した。
しかし,イラン・イスラム革命後のホメイニ政権においては,ウマラ一体原則,
すなわちシーア派イスラム教の理念の下に国家の一体性を強調する建前から,これ
と相容れないスンニ派を基調とする異民族であるクルド人を排除する動きが起こり,
イランクルド人の自治政府は,その後,ホメイニから攻撃を受け,停戦交渉と戦闘
が継続された。
(ウ) イラクのフセイン大統領は,1980年9月,イランの混乱に乗じてイラ
ンへの侵攻を開始して,イランイラク戦争が始まったが,イランはイラクのクルド
人勢力を支援し,イラクはKDPIを支援し,クルド人勢力同士が直接戦火を交え
ることはなかったものの,それぞれの国においてクルド人勢力は弾圧され,特にイ
ラクにおいては多数のクルド人が虐殺された。
イランクルド人も,KDPIやP5において,東クルディスタンを中心にイラン
政府に対して抵抗を続け,イラン領内での地域支配が困難になってからもゲリラ戦
を展開して抵抗を続けた。
イランイラク戦争後の1989年6月,イラン政府がKDPIとの交渉を要請し
たが,それは罠であり,ガッセムルー議長をはじめとするクルド人指導者ら複数名
が交渉がもたれたウィーンで暗殺された。
ウ イランでは,裁判手続もないままに政治的民族的宗教的な少数者に対し,
容易に人権侵害が加えられている現状があること
(ア) 国連人権委員会イラン特別代表が平成14年1月に報告したところによれ
ば,イラン社会では,反道徳的行為・他人の人権を踏みにじる行為を神の名で正当
化する傾向があると指摘されている。
(イ) 平成14年2月の第56回国連総会において示されたイランの人権状況に
関する懸念では,「残酷な公開処刑」,「裁判に関する国際基準の不十分な遵守,
公正な手続の欠落,個人の権利を否定するための国家治安維持法の適用」,「拷問
その他の残虐な,非人道的な,または品位を傷付ける刑罰の適用」,「スンナ派を
含む宗教的少数者への継続的な差別」,「1998年末から1999年初頭におけ
る知識人及び政治活動家の疑惑が伴う死や殺人に関する状況の解明に向けての努力
の欠如」等が具体的に指摘されている。
(ウ) 現在でも,イランにおける人権状況に改善は見られず,反政府的な民族運
動を展開することは,いまだ国家理念(ウマラ一体原則)に反する反国家犯罪であ
り,革命裁判所において極めて不透明なうちに断罪されている。
エ イランにおけるクルド人の人権状況は劣悪であり,依然として弾圧が継続
する中,P5についても,その支援者の投獄・拷問・処刑は枚挙に暇がないこと
(ア) P5という組織は,イラン史上,第2次世界大戦中に反政府活動を行った
クルディスタン復興委員会(この組織は1945年にKDPIに再編成されて現存
しない。)と,1967年に設立されたP5の二つが存在するが,原告が支援した
のは後者の組織である。
P5は,原告の出身地であるサナンダジュ(クルディスタン州の州都)を中心に
活動するゲリラ部隊を有するクルド人政治組織であり,ー由,国家的迫害の根
絶,C羆政府による抑圧的官僚的支配の根絶,ぅルド人がその固有の独立国家
を設立すること,ゥルディスタンにおける政治的権利と社会正義の拡大,Εぅ
ン国民の意思によって統治し,イランクルド人労働者の利益を反映・保障する民主
的政府の創設,以上の6点を勝ち取ることがP5の終局的な目的である。
(イ) P5は,マルクス主義・毛沢東主義に則っているといわれているところ,
イスラムの一体化を掲げるイラン・イスラム共和国は,マルクス主義を無神論を唱
えるものとし,これに親和的なP5を敵視して迫害し,P5の代表的活動家(P6,
P7,P8等)や構成員らを殺害したり,逮捕した後に処刑した。
P5は,中央政府による抑圧的官僚的支配の根絶と,クルド人の固有の独立国家
設立といった党の理念をホームページ等で公然と掲げ,過去20年間イラン国内に
おいて最も強硬な反政府勢力として政治活動・軍事活動を続け,現在もなおイラン
国内で反政府活動を継続している組織であり,「人種」,「宗教」及び「政治的意
見」の違い,P5という「特定の社会的集団の構成員」であることを理由として,
身柄拘束されたり,処刑されたりしている。
なお,P5の代表的活動家に対する迫害事例は,氷山の一角にすぎず,政治的弾
圧においては「指導者達は1人で残され,迫害の矛先はその権利が容易に侵害され
やすい一般の党員たちに向けられる」ことが常であって,代表的活動家が処刑され
るまでには,P5の支援者らに対し,活動内容,活動拠点の情報を集めるために拷
問するなど,数多くの迫害が行われたことは明らかであって,原告のように中核的
な活動家ではない支援者であっても,迫害の対象となり拷問を受けるおそれが高度
に認められる。
(3) 迫害を受けるおそれを基礎付ける原告固有の事情について
ア 原告にはP5を支援した経歴があること
原告は,以前に就労目的で来日したことがあるが,その帰国後,山中でゲリラ戦
を展開するP5のために食糧等を募り,これを山中まで受渡しに行くという支援活
動を行うようになった。
原告の出身地であるクルディスタン州のαは,クルディスタン運動の中心地域の
一つでP5支援者が多い地域であるから,このような地域での上記活動はP5支援
者であると疑われる重要な事実であって,原告が,イラン政府から上記活動をした
ことが疑われれば,ゲリラ活動の要人と繋がりがあること,ひいては同要人に関す
る情報を原告が有していることが疑われ,そのような情報目当てで拷問等を受ける
おそれが高まることは明らかである。
イ 原告はP5党員としての活動歴があること
原告代理人がP5海外代表に文書で問い合わせたところ,原告は積極的なP5支
持者であり,ゲリラへ食料品を届ける活動などを,単なる支援者ではなく活動家と
して行ったこと,原告がテヘランへ移住したのはP5の助言に基づくものであり,
原告はテヘランにおいて更に危険が高まったため,最終的に国外脱出を余儀なくさ
れたことが確認された。
反政府組織であるP5が,全く無関係の者の日本での難民申請のために虚偽を述
べるいわれはないから,P5海外代表が上記のように原告に関する問い合わせに応
じている事実は,原告が明らかにP5との関係を有する人物であることを示す。
ウ 原告は反政府活動の疑いで逮捕・拷問され,また,原告の自宅が家宅捜索
を受けている等のイラン政府との紛争を抱えていたこと
原告は,商売上イランと韓国との往復をしばらく続けていたが,平成11年11
月ころ,韓国から帰国した際,イラン政府の「エッテラート」と呼ばれる情報機関
に逮捕され,情報機関の施設内で,クルド人の反政府活動との関わりについて厳し
く追及された。この逮捕は7日間ほど続いたが,手錠をかけられて逆さ吊りにされ
たり,殴られたり,強い光を目に照射されるなどといった拷問を受けた。その際,
原告の自宅は,捜査官による家宅捜索を受けた。
原告が空港で逮捕されて,その後にP5との関係を問い質す拷問が引き続いたの
は,反政府活動の疑いを持たれたこと以外には考えられない。
また,原告の自宅が家宅捜索を受けたことについては,当時幼少であった原告の
子らの記憶に刻み込まれており,数年以上が経過した現在でもある程度具体性をも
って説明できるほどである。
このように,原告は,イラン政府に対する反政府活動が疑われて逮捕され拷問を
受けており,原告の難民性を基礎付ける事実が存することは明らかである。
エ 原告は,唐突に国外脱出を決意し,P1及び子らと共に陸路で国境を経由
してトルコへ逃れたものであり,迫害のほかに,家族ぐるみで国外へ移住する動機
がないこと
(ア) 原告は,イラン人の知人が自宅を担保にして保証金を支払ってくれたため
に釈放され,裁判を待つ身となったが,裁判をおそれ,イラン政府に所在が分から
ないようにするため引っ越しをした。しかし,その後,原告と比較的活動が近接し
ていたP5支援者が逮捕され,P5との関係や構成員の情報を自白したとの情報を
受け,更に原告の長女が通う学校に原告の住所を調べようとする不審人物が現れる
に至ったため,原告は,逮捕が迫っていることを知り,出国を決意した。原告は,
家族と共にメヘラバード空港(「テヘラン空港」ともいう。)から国内線でトルコ
の国境付近の町β(「○○」ともいう。)に行き,陸路でトルコに入国して航空券
を入手し,韓国を経て日本に入国した。
(イ) 原告は,子らの教育に熱心であるにもかかわらず,子らのイランでの学業
の途中で,突然家族ぐるみでの移住を決断したものであり,その理由は,イラン政
府からの迫害問題以外にはあり得ない。仮に原告が出稼ぎ目的であったなら,原告
のみが来日すれば足りるはずであるから,原告はそうした目的で来日したものでは
ない。また,原告ら家族は本邦に入国して不法滞在となることが確実であり,本邦
での生活はかえって生活水準が下がることになるから,原告は,家族に良い生活を
させたいという目的で来日したものでもない。
(ウ) 原告が,それまでメヘラバード空港を利用して出国していたのに,陸路で
国境を経由して出国したのは,メヘラバード空港が情報機関の監視下にあり,かつ
て逮捕された時のように出国に支障があることが予想されたからにほかならない。
オ 来日後の刑事裁判でも危害を逃れての来日であることが認定され,口頭審
理放棄には合理的理由があること
(ア) 原告は,本邦に入国して初めて司法機関の前で事情を述べ,平成16年1
月30日,名古屋地方裁判所において,○の有罪判決の言渡しを受けたが,同判決
において,原告が危害を逃れてイランを脱出し本邦に入国するに至った事実が認定
されている上,不法在留事件にして異例な禁錮刑で処断されたことは,その来日動
機が非破廉恥であるとされたことによるものである。
難民性に関しては,原告に疑わしきは申請者の利益にという「灰色の利益」が認
められなければならないことからすると,原告が既に裁判所によって上記のような
判断がされた以上は,特段の理由なくこれに反する判断がされてよいはずがない。
(イ) 原告は,刑事判決の言渡しを受けた後,長期にわたって難民認定を得るた
めの裁判を戦い抜くよりも第三国に逃れる方がよいという思惑からいったんは口頭
審理を放棄したものの,第三国への出国が不可能と分かるや,難民認定を申請する
という方針に転換した。このように,原告が口頭審理を放棄したことには合理的理
由があり,難民認定を受けることができないおそれを伴う長期間の収容よりも,第
三国へ出国して即時に得られる自由な生活を選択することに非難を加える余地はな
い。
カ 政治難民の供述については,様々な事由により重要事実の隠匿や変遷があ
り得ることから,信用性を否定するには極めて慎重であるべきこと
(ア) 原告は平成9年半ばころ情報機関から家宅捜索を受けエヴィン刑務所に9
か月間収容されたことを含めて,被逮捕歴が実際には1回であるにもかかわらず2
回ある旨の虚偽の供述をしているところ,これは,原告が難民性があるように装う
ためには被逮捕歴を複数回と偽る方がよいと考えたことによるものであり,難民心
理として充分に考え得ることである。
すなわち,恐怖の心境にある者が難民認定の申請をする際にその供述に虚偽が含
まれていたとしても,直ちに純真な申請者でないとはいえないし,虚偽は逆の結論
を立証するものでもなく,供述の本質的部分が信じられない場合でも,難民と認定
すべき場合があり得るのである。
また,原告が政治難民であることからすると,原告が,最終的にイラン政府へ自
身が引き渡されるような場合に備え,難民性を基礎付けるもののイラン政府に対し
迫害のきっかけを与えるような事実,例えばP5に関する重要情報やP5との緊密
な関係を明らかにする事実関係等を秘匿している可能性もある。
このように,原告の供述の信用性については,難民の供述心理を十分に踏まえた
上で判断する必要がある。
(イ) 原告の供述は,P5を支援し,そのためにイラン政府から疑惑を持たれて
拷問を受け,イランにおいて安全を確保できなくなったと判断したために,唐突に
家族を伴う国外脱出を決断し,監視の厳しいメヘラバード空港ではなく国境を突破
するという異例の選択を行ったという一連の本質部分において些かも動揺しておら
ず,高度に信用性が認められる。
逮捕及び拷問という本質的供述が一貫しているなら,その回数などは装飾可能な
辺境部分の要素にすぎず,逮捕及び拷問の事実そのものを捏造することとは格段の
相違があるから,原告の供述の一部に虚偽があることをもって不認定の理由とする
ことはできないというべきである。
(被告の主張)
(1) イランにおいて,クルド人であり,スンニ派イスラム教徒であることを理由
とする迫害のおそれが認められないこと
ア イランにおいては,憲法上,民族による差別は禁止され,スンニ派につい
ては,国教でこそないものの,同じイスラム教の学派として完全に尊重され,信教
の自由が保障されている。
イ 米国国務省レポート(2004年2月25日)によれば,イラン国民はほ
ぼ99%がイスラム教徒で,その89%がシーア派,10%がスンニ派(その大部
分がトルコマン人,アラブ人,バルーチー人,クルド人)であるとされており,国
民の10人に1人はスンニ派イスラム教徒であって,その宗教人口はイランにおい
て2番目であり,そもそも宗教的少数者といえるかも疑義がある。さらに,同レポ
ートによれば,「イスラム教スンニ派は憲法の条文のもとで十全な敬意を受けてい
るが,スンニ派グループの中には,政府から差別されていると主張するものもあ
る」とのことであり,少なくともイランにおいて,原告主張のように,スンニ派イ
スラム教徒であることを理由として迫害を受ける状況にあるとは到底認められない。
ウ また,クルド人についていえば,確かにクルド人の自治を求める反政府組
織の指導者や,これを支持する武装勢力のメンバーであれば,政府当局から逮捕・
勾留される等の危険性があること自体は否定できないが,少なくともイランにおい
て単にクルド人であることを理由として迫害を受けるおそれがあるとは到底認めら
れない。
エ さらに,原告自身の供述からも,原告がイランにおいて平穏に,むしろか
なり裕福な生活を送っていたことや,原告のイラン本国にいる家族(原告と同じく
スンニ派イスラム教徒であると思われる。)が何ら迫害など受けることなく平穏に
暮らしていることが認められる。
(2) また,原告はP5支援を行ったとして,クルド人ゲリラに食糧を届けたり,
韓国に住んでいるクルド人から集めた資金をP5へ送金したことなどを供述するが,
その供述内容は,その陳述書(乙30。甲C39と同じ)を除き,非常に漠然とし
ているのみならず,P5のメンバーであったか否か,韓国からの送金は1回限りな
のか,それとも原告が18歳であった1980年当時から30回ほども行っている
のかどうか等,重要な部分においてその時々で食違いがあるところ,このような重
要な部分において供述に食違いを生ずることについては何ら合理的な説明はしてお
らず,そもそも原告が真にP5に対して支援を行っていたこと自体についても,甚
だ疑わしいといわざるを得ない。
さらに,仮に原告の供述内容に一部事実が含まれていたとしても,原告が行った
と主張するP5に対する支援はせいぜい,山岳地帯にいたゲリラに食糧を受け渡し
たことがあるとか,韓国からのP5に対する送金を受け渡したことがあるというに
すぎないところ,英国内務省移民局(2003年10月)の報告によれば,イスラ
ム政権は,自治を求めるクルド人反体制派指導者(特にイランのクルド人民主派で
あるKDPIとマルクス主義のP5)並びにこれを支持する武装勢力に対しては極
めて強硬な態度で臨んでいるとされてはいるものの,逆に,単なる一支援者にすぎ
ないような者に対してまで迫害を行っているといったような報告は見当たらないの
であって,原告が,クルド人反体制派指導者であることも,これを支持する武装勢
力であることも到底認め難い。したがって,原告がP5に対する支援活動を理由と
してイラン当局に個別に把握され,イラン当局から迫害を受けるおそれがあるとは
認め難い。
(3) 原告は,イラン本国において迫害を受けたとして,テヘランのエヴィン刑務
所に入れられたことや,同刑務所を出所してしばらくして逮捕され拷問を受けたこ
となどを供述するが,その供述内容は,そもそも刑務所において1年近くもの間,
拘束されたことがあるのか,空港で逮捕されてその後6日間にわたって拷問を受け
たことがあるのか等,非常に重要な部分においてその時々で食違いがあり,また,
一方で,原告は刑務所に約11か月間拘束され,その後1年間出国禁止になったと
述べているにもかかわらず,他方で,1998年に入りしばらくして釈放されたが,
尾行されていると感じたためイランを出る計画を立て,そのための資金を韓国で稼
ぐべく韓国との往復をしばらく続けていたと述べるなど,相互に相矛盾する供述を
繰り返しているのであり,このような供述の変遷や供述相互間の矛盾については何
ら合理的な説明をしておらず,原告の供述の信用性は極めて低いものといわざるを
得ない。
ところで,原告は,エヴィン刑務所に入れられた旨の供述に関し,差戻前の控訴
人準備書面(6)において,「(原告が)1997年半ばころに,イランの情報機関
から家宅捜索を受け,エヴィン刑務所に9か月間収容されたこと……は,その後の
逮捕・拷問時における経験をも参考にしながら,自己の難民性を強化するためにし
た虚偽である」として,従前の主張を翻している。この点,たとえ難民申請者特有
の心理的要因,文化的要因等に最大限に配慮をするとしても,原告が主張する迫害
事実の核心部分について,明らかに意図的な虚偽の供述を行うことの合理的な説明
は見いだせない。原告は,従前,自分はP5の支援者で,現に,イランの情報機関
によりそれが原因と見られる2度の逮捕歴がある旨主張していたところ,そのうち
のより長期間の逮捕歴が虚偽だというのであれば,原告の迫害に関する主張は,果
たして,何れの部分が真実なのか,一部でも真実の部分があるのかさえ明らかでな
く,結局のところ,原告が本国において受けたとする迫害に関する供述は,全体と
して信用性に乏しいものといわなければならない。
(4) 原告は,本国において迫害を受けたと主張する時期以後,来日以前に韓国や
トルコへの渡航歴を有するにもかかわらず,これら他国においても何ら難民認定申
請を行わず,2度目に来日して以後は不法就労を続け,原告名義の車が事故を起こ
したことがきっかけで受けることとなった退去強制手続の過程においても,当初は
本国に帰国する意思を表明していたものである。
その後,原告は帰国意思を翻して難民認定申請を行ったものであるが,原告は,
帰国意思を翻したきっかけについて,平成16年3月24日に帰国するという理由
で仮放免を受け,その約3日後にイラン在住の反政府クルド人組織の仲間の1人に
自分がイランに帰国することを電話で伝えたところ,今イランに帰国したら空港で
警察に捕まり殺される可能性が高いなどと言われたなどと供述するが,上記のよう
なイラン在住の反政府クルド人組織の仲間との電話のやりとりの真偽はともかく,
過酷な迫害の体験を有する旨主張する原告が,上記のような電話を受けるまで難民
認定申請も行わず,退去強制手続において帰国意思を表明するなどということは経
験則上も信じ難く,原告が真にイラン本国において迫害を受けるおそれを抱いてい
たとは到底考えられない。
なお,付言するに,上記のイラン本国の仲間との電話のやりとりについても,原
告が本邦に今次入国してから何ら反政府活動を行っていないこと,原告が今次本邦
に入国してから既に約4年が経過していること,原告はその間本国の家族とほぼ週
1回ずつの頻度で話をしているにもかかわらず,原告が空港で警察に捕まり殺され
る可能性があるなどということについて話題にならなかったのは極めて不自然であ
ること等にかんがみれば,そもそもイランに住む仲間から本国出国後4年も経過し
た後,突如として上述のような電話を受けたとする原告の供述に信用性は到底認め
られない。
(5) 原告は,本国において,迫害を受けたと主張する時以降も含めて,今回本邦
に入国するまでに10冊もの旅券の発給を受け,観光旅行も含めて約70回も外国
との出入国を繰り返し,今次本邦入国後には在日イラン大使館において旅券の更新
まで受けているところ,イランにおいて政府当局との間に何らかの問題を有する者
が旅券の発給や更新を受けたり,合法的に出入国することは非常に困難であること
が明らかであるから,上記のようにイラン政府当局から何度も有効な旅券の発給,
更新を受け,合法的に出入国を繰り返している原告が,イラン政府当局との間に何
らかの問題を抱えているとは到底考え難い。
(6) 原告は,原告代理人がP5海外代表に文書で問い合わせたところ,原告は積
極的なP5支持者であり,ゲリラへ食料品を届ける活動などを,単なる支援者では
なく活動家として行ったこと,原告がテヘランへ移住したのはP5の助言に基づく
ものであり,原告はテヘランにおいて更に危険が高まったため,最終的に国外脱出
を余儀なくされたことが確認された旨主張し,これらを裏付ける証拠として書証
(甲C47の1〜49の2)を提出する。
しかし,甲C47の1,49の1は,その記載内容又は体裁に照らしてP5が作
成した文書であるか疑問がある上,P5が反政府組織として活動を展開するために
は秘密主義を厳格に採用しているはずであり(P1も,P5が秘密組織でメンバー,
人数等は分からないと述べている。),P5が照会に応じてその構成員の氏名等を
公表することはおよそ考えられないことに照らすと,P5が上記書証を作成したと
いうのは不合理というほかない。
2 争点(2)について
(原告の主張)
主任審査官は,退去強制令書を発付するに当たり,難民条約に定められたノン・
ルフルマン原則及びこれを国内法化した法53条3項の規定により,送還先が法5
3条3項の規定に適合しているか否か,換言すれば,当該外国人が条約難民か否か
を実質的に判断した上で送還先を指定する義務がある。
条約難民にとって,迫害国へ送還されることは文字どおり生死に関わる問題であ
って,たとえ退去強制される場合であっても,その送還先が迫害国と指定されるか
否かは処分の本質に関わる重要事項であるから,主任審査官が送還先を指定するに
当たり,当該外国人が条約難民であるか否かについて審査を尽くし,かつ,これに
ついて判断を行うことは,退去強制令書発付処分の不可欠の前提をなす。
被告は,上記のとおり原告の条約難民性を審査・判断すべきであるにもかかわら
ず,これをしないで本件令書発付処分を行ったものであるから,この審査・判断の
欠缺は,難民条約33条1項及び法53条3項並びに憲法31条の行政行為に対す
る適正手続の要請の観点から,本件令書発付処分の違法原因となるというべきであ
る。
(被告の主張)
原告は,被告が原告の条約難民性を審査・判断すべきであるにもかかわらず,こ
れをしないで本件令書発付処分を行ったものであるから,適正手続を欠く違法なも
のである旨主張する。
しかし,原告は,名古屋入管入国警備官の違反調査を受けた上,名古屋入管入国
審査官の審査を受け,その審査において,「送還先はイランしかありません。」,
「私はイランに帰る決心をしています。」,「私はイランに帰ることに決めました
ので,口頭審理は請求しません。」などと述べていることから明らかなように,原
告の国籍国であるイランについて「生命又は自由が脅威にさらされるおそれ」(難
民条約33条1項)があるか否かについてその意見を述べる機会を与えられていた。
そして,同入国審査官は,原告が法24条6号の退去強制事由に該当する旨認定
し,原告に対し,理由を付した書面をもってその旨通知するとともに口頭審理の請
求ができることを告げたところ,原告は,認定に服し,口頭審理の請求をしない旨
を記載した文書に署名したのである。
被告は,以上の経過に加え,イランにおいてもクルド人又はスンニ派イスラム教
徒であることのみをもって迫害を受ける状況にはないという一般的情勢をも踏まえ
て,法53条1項所定の原告の国籍の属する国であるイランへ原告を送還する旨の
本件令書発付処分をしたものである。
したがって,被告は,本件令書発付処分をするに当たり,ノン・ルフルマン原則
に適合しているか否かについて審査し,イランを送還先と指定することが同原則に
反するものではないと判断したものであるから,本件令書発付処分が適正手続を欠
く違法なものであるとの原告の主張は理由がない。
第4 争点に対する判断
1(1) 前記前提事実記載のとおり,原告は,名古屋入管入国警備官の違反調査を
受けた上,名古屋入管入国審査官の審査を受け,同入国審査官は,原告が法24条
6号の退去強制事由に該当する旨認定し,原告に対し,理由を付した書面をもって
その旨通知するとともに口頭審理の請求ができることを告げたところ,原告は,上
記認定に服し,「私はイランに帰ることに決めましたので,口頭審理は請求しませ
ん。」と述べ,口頭審理放棄書に署名指印した。被告は,原告が法24条6号に該
当する旨の認定に服し口頭審理を放棄した旨の通知を受けた以上,原告に対し,退
去強制令書を発付しなければならないのであるから(法47条5項),被告が退去
強制令書を発付すべきものと判断したこと自体に何ら違法はない。
ところで,主任審査官は,法51条の規定による退去強制令書を発付するに当た
り,当該外国人が難民に該当するかについてを実質的に判断して,その送還先が法
53条3項に適合しているか否かを審査すべきものと解される。したがって,被告
が原告に対しイランを送還先として本件令書を発付したことが,難民条約33条1
項に規定する領域の属する国への送還に当たるのであれば,すなわち,原告が難民
に該当し,原告をイランに送還することが,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会
的集団の構成員であること又は政治的意見のためにその生命又は自由が脅威にさら
されるおそれのある領域の属する国に送還することになるのであれば,被告の送還
先の指定には違法があることになる。
(2) 難民条約および難民の地位に関する議定書(以下「難民議定書」という。)
によれば,難民とは,難民条約1条A(1)に規定する者のほか,「人種,宗教,国
籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受
けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる
者であって,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を
有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの」及び同様の立場にあ
る無国籍者をいうとされている(難民条約1条A(2),難民議定書1条2項)。
そして,ここにいう「迫害」とは,通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす
攻撃又は圧迫であって,生命,身体又はその自由の侵害又は抑圧を意味するものを
いい,「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」という
ためには,当該外国人が迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いているという
主観的事情に加えて,通常人が外国人の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱く
ような客観的事情が存在していることが必要と解すべきである。
なお,法53条3項に反するとして退去強制令書発付処分の取消しを求める訴訟
において,送還先が難民条約33条1項に規定する領域の属する国に当たること,
すなわち,当該原告が難民に当たることは,当該原告において主張立証責任を負う
ものと解するのが相当である。
以下,上記観点から,原告が難民に当たるか否か検討する。
2 争点(1)について
(1) イランにおいてクルド人又はスンニ派イスラム教徒であることを理由として
迫害を受けるおそれがあるか否かについて
原告は,クルド人でスンニ派イスラム教徒のイラン国籍を有する外国人であると
ころ,後掲各証拠及び弁論の全趣旨によれば,イランにおけるクルド人の状況につ
いて,次の事実が認められる。
ア クルド人とイラン政府との関係について(甲B1,5,25)
(ア) クルド人は中東地域の三大先住民族(アラブ人,ペルシャ人,クルド人)
の一つであり,クルド語という固有の言語を持ち,山岳部での牧畜農耕を通じて独
自の文化を形成している民族であり,現在では,その人口が約2500万〜300
0万人と推定され,中東世界の民族構成において,アラブ人,トルコ人,ペルシャ
人に次ぐ第4の民族である。クルド人の居住地域は,一般に「クルディスタン」と
いわれるが,トルコ南東部,イラク北部,イラン西部,シリア北部,アルメニア,
アゼルバイジャンにまたがり,その面積は約50万劭押米本の約1.5倍)であ
るが,クルド人は,国境線を持つ独自の国家を有していない。
(イ) イラン在住のクルド人は,第2次世界大戦中の1942年,クルド復興委
員会を結成して民族運動を開始し,1945年,同組織を中心にしてKDPIを結
成し,KDPIは,第2次世界大戦後の1946年1月,ソ連軍進駐の情勢を利用
して,マハバド市においてクルディスタン人民共和国(別名マハバド共和国)の樹
立を宣言したが,同共和国はソ連軍が撤退して孤立無援の状態におかれた上,パー
レビ朝のイラン軍の侵攻を受けて,同年12月に崩壊した。
1967年(一説には1969年),P5が設立され,イラン政府に対し民族自
治等を主張して政治活動を行うようになった。
(ウ) ホメイニは,1979年1月,パーレビ朝を打倒し,同年4月,イラン・
イスラム共和国を樹立してその実権を握った(イラン・イスラム革命)。イラン在
住のクルド人は,イラン・イスラム革命においてホメイニの行動に協力し,同時に
自治権確立闘争を展開し,KDPIは,ホメイニが権力を掌握したのとほぼ同時に
事実上の自治を宣言したが,しばらくして,ホメイニから攻撃を受け,停戦交渉と
戦闘が継続された。
(エ) イラクは,1980年9月,イランの混乱に乗じてイランへの侵攻を開始
して,イランイラク戦争が始まったが,イランはイラク在住のクルド人勢力を支援
し,イラクはKDPIを支援したため,クルド人勢力同士が直接戦火を交えること
はなかったものの,それぞれの国においてクルド人勢力は弾圧され,特にイラクに
おいては多数のクルド人が虐殺された。
イラクは,1990年8月,軍隊をクェートに侵攻し,その後湾岸戦争が始まり,
その停戦合意の後,北イラクのクルド人が反フセインを掲げて蜂起したが,イラク
軍により蜂起は鎮圧され,その際,多数のクルド人が殺害されるとともに,100
万人以上のクルド人が難民となって,トルコ,イランへと逃走した。
(オ) イランでは,ホメイニ死去(1989年6月)後,1989年にハメネイ
大統領が最高指導者に選出され,ラフサンジャニ政権(2期8年),ハタミ政権
(2期8年)を経て,2005年8月にアフマディネジャード政権が発足した。
イ P5について(甲B1,14の1・2,25)
P5は,1967年(一説には1969年),テヘランで学生グループによって
設立された北西イランの南部地域(サナンダジュを中心とする地域)で活動するゲ
リラ部隊を有するクルド人政治組織であり,ー由,国家的弾圧の根絶,C羆
政府の抑圧的官僚制度の根絶,ぅルド人固有の土地におけるクルド人主権の実現,
ゥルディスタンにおける政治的権利と社会正義の拡大,Εぅ薀鷽楊韻琉媚廚亡
づいて行動し,イラン・クルディスタンの労働者の利益を尊重,保障する連邦政府
の創設,以上の6点を勝ち取ることを目標としているとされている。
クルド人自治を主張する政治組織は,P5のほかにも,クルディスタン労働者党
(PKK),イラク・クルディスタン民主党(イラクKDP),クルディスタン愛
国者同盟(PUK),イラン・クルディスタン民主党(KDPI)等があり,この
うちイランを中心に活動しているのは,イラン領土内クルディスタンで最も影響力
があり北西イラン全域で活動しているKDPIと,北西イランの南部地域で活動す
るP5であり,両者は緊密な協力関係にあるとされている。
ウ イランの国内政治,人権状況について
(ア) イランの宗教,人種について(乙26,29の1・2)
イラン国民は,ほぼ99%がイスラム教徒で,その89%がシーア派,10%が
スンニ派(その大部分がトルコマン人,アラブ人,バルーチー族,クルド人)であ
るとされ,また,クルド人はペルシャ人,トルコ(アゼルバイジャン)系イラン人
に次ぐ人口を有し,全国民の9%を占めている。
(イ) イラン憲法について(乙25の1・2)
イラン憲法は,「イランの国教はイスラム教・12イマーム派のジャアファル学
派(注:5大法学派の一つで,シーア派の主流である12イマーム派の法学派)で
あり,この原則は永遠に変更することができない。ただし,イスラム教の他の学派
であるハナフィー学派,シャーフィイー学派,マーリク学派,ハンバル学派(注:
以上の4学派は,イスラム教スンニ派の4正統法学派),ザイド派(注:シーア派
の1分派)は完全に尊重され,これらの宗派の信徒が自らのイスラム法学に従い宗
教儀礼を行うことは自由である。宗教教育,私人的行為(婚姻,離婚,相続,遺
言),及びそれに関する訴訟は法廷において有効とする。これらの宗派の信徒が多
数を占める全ての地域においては,条例が地方評議会の権限においてその教義に基
づき制定される場合,他宗派の信徒の諸権利を保障すること。」(12条),「ゾ
ロアスター教徒,ユダヤ教徒,キリスト教徒のイラン人は宗教マイノリティとして,
法律の範囲内で自らの宗教儀礼を行う自由並びに自らの教義に基づいて私人的行為
及び宗教教育を行うことが認められる。」(13条),「イラン人民は,民族,種
族の如何を問わず平等な権利を享受し,肌の色,人種,言語等により差別されるこ
とはない。」(19条)と規定している。
(ウ) イランにおける人権状況
a 米国国務省の「人権慣行に関するカントリー・レポート(2004年2
月25日)」によれば,スンニ派イスラム教徒に対する差別について「イスラム教
スンニ派は憲法の条文のもとで十全な敬意を受けているが,スンニ派グループの中
には,政府から差別されていると主張するものもある。」とされ,クルド人に対す
る差別について「クルド人は,中央政府に対して自治権の拡大を求め,相変わらず
政府の差別を受けている。スンニ派クルド人と,シーア派が支配的な政府との緊張
関係は,1979年の革命以前にまでさかのぼる。クルド人は,分離主義者,また
は外国人のシンパをかくまっていると疑われることがしばしばであった。こうした
疑いから,散発的に政府軍とクルド人グループとの間の戦闘が起きるという結果が
生じた。近年では,クルド文化の表現の拡大が認められ,クルド語の出版物や放送
が拡大されてきた。ただしいまなお,公立学校では,クルド語での教育は行われて
いない。」とされている(乙29の1・2)。
b 英国内務省移民局の「イランのカントリーレポート(2003年10
月)」によれば,「一般的に政府は人種に基づいた差別は行っていない。しかし場
合によっては,クルド人,アゼリー(アゼルバイジャン)人,アフワージー・アラ
ブ人などのように,言語によって差別を受けることもある。」,「イスラム政権は,
自治を求めるクルド人反体制派指導者(特にイランのクルド人民主派であるKDP
I:イラン・クルディスタン民主党とマルクス主義のP5),ならびにこれを支持
する武装勢力に対し,きわめて強硬な態度で臨んでいる。イラン軍はクルド人居住
地域に常駐し,地域のイラク・クルド民主党メンバーの活動を監視している。しか
しながら,クルド人はイランの民間および公共の経済分野や,軍および民間施設な
ど,国民生活のあらゆる場で見かけられる。」,「イランにおけるクルド人の地位
は,1989年から基本的に変わっていない。国連特別報告者は,政府がクルドの
文化表現を奨励しており,クルド語による授業に助成金を提供していると報告して
いる。クルド語による出版物の数は増加し,クルド語によるテレビ放送制限につい
ても話し合いが始まった。しかしクルド語による公教育はまだ行われていない。K
DPIとP5は,地域自治獲得を目指して今でも武装闘争を続けており,現在イラ
クのクルド自治区である場所に活動の拠点を置いている。2000年末には,クル
ド人国会議員が,イランのクルド人社会に対し,弾圧キャンペーンと連続殺人が存
在すると公式に告発し,翌年2001年10月には,イラン国会のクルド地方代表
議員6名全員が集団辞職した。彼らが共同で内務大臣に送った書簡では,特にスン
ニ派クルド人の法的権利が否定されていると主張している。クルド人国会議員は何
人かいるが,親クルド政党を結成することはできず,それぞれ独立候補として議席
を保有している。」とされている(乙27の1・2)。
c デンマーク移民局による「イラン調査団の報告書(2000年9月9日
〜17日)」によれば,代表団がイランにおけるクルド人の状況についてテヘラン
の某西側大使館の代表者と短い討議を行った際の報告として,「イランの北部地域
においてイラン政府に対するクルド人の敵対行為がある。このような敵対行為は主
としてイランクルド民主主義党(KDPI)の活動により表現されている。」,
「当局はクルド人を差別している。この消息筋によると,このような差別の一例は
学校でクルド語が使用できないという事実である。しかし,この消息筋は,イラン
のクルド人がそのことによりイラン当局により迫害されているとは考えていな
い。」とされている(乙28の1・2)。
d 国連は,2002年2月,第56回総会において採択された「イラン・
イスラム共和国での人権状況」において,「拷問及びその他の残虐な,非人道的な,
または品位を傷つける刑罰の適用。特に切断の実施や公開むち打ち刑の増加」,
「裁判に関する国際基準の不十分な遵守,公正な法手続の欠落,個人の権利を否定
するための国家治安維持法の適用」,「宗教的少数者,特にバハーイ教,キリスト
教,ユダヤ教,イスラム教スンニ派に属する人びとに対する継続的な差別」や「1
998年末から1999年初頭における知識人及び政治活動家の疑惑を伴う死や殺
人に関するあらゆる状況の解明に向けての努力の欠如」について懸念を表明すると
ともに,「宗教上の理由による差別や少数者集団に属する者への差別を完全に排除
し,この問題の解決には,少数者自身の参加を含めて公に行うこと。また,バハー
イ教徒をはじめとしたマイノリティ集団が保護されるよう,宗教的不寛容に関する
人権特別報告官からの結論,提言に従うこと」や「政治的権利を行使することで罰
せられないよう,できるだけ早く法制度を整備すること」などを提言した(甲B2
4の1・2)。
e アムネスティインターナショナルによる「2001年次報告」によれば,
イランにおいては,「多くの政治犯が投獄され続けている。その中には,『良心の
囚人』(良心に従ったがゆえの囚人)や不公正な裁判の結果有罪とされた人たちが
含まれている。表現の自由に対する弾圧は,多くのジャーナリストの専断的な逮捕
・投獄となって現れている。拷問や虐待の報告は後を絶たない。西暦2000年の
1年間に少なくとも75人が処刑されたとされているが,本当の数はそれよりずっ
と多いと思われる。」とされている(甲B4の1・2)。
f イランでは1990年以降においても,反政府組織の活動家が逮捕され
て処刑されたり,暗殺されるケースが複数報告されており,イラン政府に対する戦
闘を指揮してきたP5指導者P9は2003年2月に処刑され(P9と共に逮捕さ
れた数十名は長期刑の言渡しを受けた。),P5の活動家P6は同年3月に処刑さ
れ,P5の活動家P7は2002年8月に逮捕され,2005年に処刑された(甲
B2の1・2,15〜19,弁論の全趣旨)。
エ 小括
以上の事実によれば,イランにおいて,クルド人は9%,スンニ派イスラム教徒
は10%を占めており,憲法上,イスラム教シーア派の12イマーム派のジャアフ
ァル学派が国教とされているものの,スンニ派についても,同じイスラム教の学派
として完全に尊重され,宗教儀礼を行うことの自由が保障されている。また,民族,
種族,言語による差別も禁止されており,米国国務省,英国内務省,デンマーク移
民局のイランに関する報告書によれば,クルド人は中央政府に対して自治権の拡大
を求め,相変わらず政府の差別を受けているとはされているものの,近年ではクル
ド文化の表現の拡大が認められ,今なお公立学校ではクルド語での教育は行われて
いないものの,クルド語の出版物や放送が拡大されていることが認められる。
一方で,イランにおいては,クルド人の自治を求める反政府組織の指導者等が逮
捕されて処刑されたり,拷問を受けたり,あるいは暗殺された事実が多数報告され
ているから,クルド人の反政府組織の指導者がイラン政府によって自由が奪われ又
は生命,身体に危害が加えられるなどの迫害を受けるおそれのあることが認められ
るし,反政府組織の活動を支援する者についてもその支援活動の内容によっては指
導者と同様の迫害を受けるおそれがあることを否定することはできないが,単にク
ルド人であることを理由として迫害を受けるおそれがあるものとは認められない。
(2) 原告の本邦への入国及び在留の経緯,原告及びP1の家族の生活状況につい

ア 前記前提事実に証拠(甲C1〜7,26〜39,44〜46,乙2,4,
6,7,30〜41,43〜47)及び弁論の全趣旨を総合すると,原告の本邦へ
の入国及び在留の経緯につき,次の事実が認められる。
(ア) 原告は,イランのクルディスタン州のαで,クルド人から生まれ,6人き
ょうだいの2番目であった。
原告は,中学校を卒業した後,αで民族服を作る工場で約5年間働き,1984
年(昭和59年)ころにP1(両親はクルド人)と結婚してから,住宅販売や婦人
服販売の仕事をしたものの,期待したほどの利益が出なかった。そこで,日本に行
って稼ぐことを決意し,平成3年12月18日,家族をイランに残したまま,「短
期滞在(90日)」の資格で本邦に入国して,栃木県足利市のプラスチックの工場
で働き,イランにいるP1に1回当たり約20万円を送金していたが,平成5年1
2月11日,家族に会いたくなってイランへ帰国した。
(イ) 原告は,イランに帰国後,約2年間は仕事をしなかったものの,ウズベキ
スタンや韓国との貿易業を始め,1996年(平成8年)ころ,テヘラン(テヘラ
ン在住のクルド人の割合は約10%)でマンションを借りて,家族と共に移住し,
事務所を開設して韓国との貿易業を始め,かなりの収入を得た。原告は,本邦に再
来日するまで,仕事や観光のために,イランから,韓国(約30回),ウズベキス
タン(5〜6回),マレーシア(15回)等,十数か国に合計70回以上も渡航し
ている。
原告は,後記のとおり平成12年1月19日に家族と共にイランを出国したが,
その直近においても,平成11年11月10日にキルギスタンへ(帰国日不明),
同年12月14日にマレーシアを経由してタイへ(平成12年1月7日帰国),同
年1月8日に韓国へ(同年1月15日に帰国),それぞれ渡航している。なお,原
告は,平成11年10月19日に韓国に渡航している(同月25日に帰国)。
また,原告は,パスポートの入国印・出国印が一杯になったことから,10冊く
らいのパスポートの発行を受けている。その最後に発行を受けたのは,本邦に不法
滞在中の平成16年1月7日付けで在日イラン大使館(東京)より発行されたもの
(乙1)である。
(ウ) 原告は,韓国への入国ビザを取得した上,平成12年1月19日,P1及
び子らと共に,テヘランからトルコの国境付近の町βまで飛行機で移動し,そこか
らバスで国境を越えてトルコに入国し,しばらく滞在した後,同年2月3日,韓国
に入国した。
原告は,当初,従前仕事で何度も行き来していた韓国で家族一緒に暮らすつもり
であったが,韓国の生活が合わないと思うようになり,カナダ,タイ,シンガポー
ル等の大使館を訪れてビザの取得を相談したが,いずれも困難であるとの回答であ
った。原告は,本邦へ入国して生活することを決意し,日本を経由してイスタンブ
ールに行く航空チケットを購入して,同年3月9日,本邦に入国し,寄港地上陸許
可(72時間)を得て上陸した。
(エ) 原告は,寄港地上陸許可の許可期限を超えて本邦に残留し,当初は不法在
留しているイラン人の知人を頼って名古屋に行き,イラン料理の弁当を作って販売
するようになった。
(オ) 原告は,原告名義の車両を運転していた者が歩行者をはねて逃走したこと
から,不法滞在が発覚して逮捕された(逮捕後の経過は,前記前提事実(3)記載の
とおり)。なお,原告は,上記車両について,原告が弁当配達に日常的に使用して
いたものであり,上記事故当時,上記車両が故障し,修理のため預けていた旨供述
している。また,原告は,我が国で運転免許を受けておらず,無免許運転を繰り返
していたことを自認している。
イ 証拠(乙31,43)及び弁論の全趣旨によれば,原告及びP1の親族の
生活状況につき,次の事実が認められる。
(ア) 原告の母P10(無職),弟P11(アルバイト),弟P12(アルバイ
ト),弟P13(アルバイト),姉P14(無職),妹P15(主婦)は,いずれ
も原告の出生地のクルディスタン州αで暮らしているが,イラン政府から迫害を受
けておらず,平穏に暮らしている。
(イ) P1の父P16(イランの軍隊で事務員として勤務し定年後は無職),母
P17(無職),兄P18(以前公務員として勤務し現在はアルバイト),妹P1
9(無職)は,いずれもクルディスタン州で暮らしているが,イラン政府から迫害
を受けてはいない。
ウ 小括
上記事実によれば,原告は平成3年ころ本邦に不法滞在して不法就労をしイラン
の家族に送金したこと,本邦から帰国した後に貿易業を始め,1996年(平成8
年)ころには,貿易業を行う目的で,家族と共にクルド人が人口の多数を占めるα
からクルド人が人口の10%程度のテヘランに移住し,事務所を構え,数十回にわ
たり海外に渡航して十分な利益を上げていたこと(原告は,平成12年1月19日
にトルコへ出国する直前までタイや韓国へ渡航している。),原告及びP1の親族
はいずれもクルド人でスンニ派イスラム教徒であるが,現在もイランのクルディス
タン州で平穏に暮らしており,迫害を受けず,平穏に暮らしていることが認められ
る。これらの事実に上記(1)の事実関係を併せ考えれば,原告について,クルド人
あるいはスンニ派イスラム教徒であることを理由として,直ちに迫害を受けるおそ
れがあるとは認められない。
(3) 原告が主張するP5への支援活動について
ア 原告は,就労目的で本邦に入国し平成5年12月にイランに帰国した後,
山中でゲリラ活動を展開するP5のために食糧等を募り山中まで受渡しに行くとい
う支援活動を行ったと主張しているところ,原告は,P5への支援活動について,
平成15年12月4日,名古屋地方検察庁において「私は,韓国にいるクルド人か
ら金を集めて,イラン国内で反政府活動をするクルド人に,その金を渡すパイプ役
のことをしていたのでした。」と供述し(乙38),平成16年1月23日に刑事
事件の公判廷で「私は,18歳ころから,韓国にいるイラン人からお金を集めるた
め,約30回イランと韓国を往復しました。集めたお金はP5に送金し,闘争資金
として使用しました。」と供述し(乙37),名古屋入管においては,平成16年
4月8日の調査の際に「このグループ(P5)が目標としているのは,クルディス
タンの独立で,私は町の中での貧しいクルド人のための募金活動に参加し,クルド
人の集会,デモにも参加しました。」と供述し(乙31),同月9日の調査の際に
「クルド人ゲリラグループに食料を時々持って行きました。」,「クルド人グルー
プが生活していた所は見たことがありません。いつも私が食料を持って行くと中間
地点で,ロバに乗って受け取りに来るグループの人に渡していたからです。」,
「韓国に住んでいるクルド人から集めた4万ドルをイランのリアルに換金して,ク
ルディスタンのクルド人グループに届けたこともあります。」などと供述しており
(乙33),金岡弁護士録取に係る同年6月15日付け陳述書(乙30。甲C39
と同じ)において「私の支援活動は,αで食糧を集め,それを車で運び,山中でゲ
リラ戦を展開する部隊に受け渡すことでした。」,「運ぶ先はαとサナンダジュの
間にあり,αから80劼らい,サナンダジュから10劼らい離れたγ山でし
た。」などと供述している。
このように,原告がP5への支援活動について供述する内容は,当初は韓国のク
ルド人から集めたお金を送金したことについて供述し,その後,この送金行為では
なく,山中のゲリラグループへ食糧を運んだ事実を供述するようになり,しかも,
韓国からの送金は1回限りなのか,それとも30回ほども行っているのかなど重要
な部分において食違いがあるところ,このような供述の変遷,食違いについては何
ら合理的な説明はしておらず,これらの供述から原告がP5に対して支援を行って
いたことを直ちに認めることはできない。
イ なお,原告は,原告代理人の金岡弁護士がP5海外代表に文書で問い合わ
せたところ,原告は積極的なP5支持者であり,ゲリラへ食料品を届ける活動など
を,単なる支援者ではなく活動家として行ったこと,原告がテヘランへ移住したの
はP5の助言に基づくものであり,原告はテヘランにおいて更に危険が高まったた
め,最終的に国外脱出を余儀なくされたことが確認された旨主張し,これらを裏付
ける証拠としてP5海外代表P20作成名義の2007年(平成19年)7月11
日付け及び同年8月14日付け書面(いずれも「To Whom It May
Concern」あてに作成されたもの)並びに原告代理人が上記P5海外代表に
あてた質問文書(甲C47の1〜49の2)を提出する。
しかし,これらの書証は,〆耕畍紊諒神19年9月10日に提出されたもので
あるが,仮にP5海外代表から真正の文書を入手するという立証手段があったので
あれば,難民認定申請に係る手続においてはもとより,なぜ本件訴えの提起時(平
成16年5月14日)から3年以上が経過するまで提出できなかったのか,その合
理的な理由が見当たらないこと,■丕騎こ安緝縮承舛両綉各書面においては,原
告の生年月日が「▲ ▲,▲」と記載され,原告の旅券記載の生年月日(▲年▲月
▲日)と異なっていること,P5海外代表名義の上記各書面は別々の日に作成さ
れたものであるにもかかわらず,通し番号が同一であること,ぞ綉各書面のうち,
一方は発行機関の印章が押印してあるが,一方は同印章の押印がないこと,ィ丕
のような反政府組織が,照会に応じて構成員に関する情報を公表することは考え難
いこと,などの点において不自然である上,P5海外代表名義の上記各書面には,
原告が家族と共にテヘランに移住した理由について,「1996年に政治活動を拡
大し,テヘランに移り,テヘランで積極的に参加した」(甲C47の1・2),
「P21氏とその家族がわれわれの組織を支援していた当時,彼ら(P21氏とそ
の家族)が危険な状況にあると知り,テヘランが非常に大きな都市であり,誰でも
しばらくの間なら隠れることができることから,テヘランに移り住むように助言し
ています。」(甲C49の1・2)と記載してあるが,原告は,テヘランへ移住し
韓国との貿易のための事務所を開いた旨述べており(乙33),P1も,テヘラン
に引っ越したのは夫の仕事の都合であり,クルド人がテヘランで暮らすことはαよ
りもストレスが増す旨述べているのであって(甲C46),P5海外代表名義の上
記各書面はテヘランへの移住の経緯が原告及びP1の供述と食い違っており,テヘ
ランへの移住を意図的に政治活動に結びつけているような内容になっていること,
また,P5海外代表名義の2007年8月14日付け書面(乙49の1)は,その
形式から見ても内容から見ても,金岡弁護士の同代表にあてた質問文書(乙48の
1)に対する回答として作成・送付されたものとは直ちに認め難いものであること
などに照らせば,P5海外代表名義の上記各書面を原告がP5への支援活動を行っ
ていたことを示す証拠としては直ちに採用することができない。
(4) 原告が主張する迫害の事実について
ア 原告は,平成11年11月ころ,韓国から帰国した際,イラン政府の情報
機関に逮捕され,情報機関の施設内で,クルド人の反政府活動との関わりについて
厳しく追及され,この逮捕は7日間ほど続いたが,手錠をかけられて逆さ吊りにさ
れたり,殴られたり,強い光を目に照射されるなどといった拷問を受けた上,原告
の自宅は捜査官による家宅捜索を受けており,これらは反政府活動の疑いを持たれ
たことを理由とするものである旨主張する。
イ 原告がイラン政府から迫害を受けたとして供述した内容は,次のとおりで
ある。
(ア) 平成15年12月4日,名古屋地方検察庁において「私は,クルド人とい
うイスラム教のスンニ派を信仰している少数民族であり,イスラム教のシーア派の
人間で構成されているイラン政府に対向して活動しているとして,私もこれまで秘
密警察に数週間身柄を拘束されたり,家の中に捜索に入られたりしていたことがあ
りました。」などと供述した(乙38)。
(イ) 平成16年1月23日,刑事事件の公判廷で「私はイラン政府ににらまれ,
ブラックリストに載り,イラン出国禁止や再入国禁止などの命令を受けました。ま
た,秘密警察に逮捕され,約11か月間拘束されたこともあります。」などと供述
した(乙37)。
(ウ) 同年2月13日,名古屋入管において「私は今から4年半くらい前から,
政府や警察より,私がこの組織を支援したり援助したりしているのではないかと疑
われ,何回か話を聞かれたり,家族にも私の話を聞かれたこともありました。私は
11か月間イランを離れてはいけないという罰を受けたこともあります。……私は,
クルド族の反政府組織を支援していました。ですから,警察に車や携帯電話を取り
上げられたこともありますし,6日間警察において暴力や,けられたり,殴られた
ことがあります。」などと供述した(乙7)。
(エ) 同年4月8日,名古屋入管において「私や私の家族に現在迫害があるとは
いえませんが,私だけはこれまで2回イランで迫害を受けました。1度目は,今か
ら約2年前,1998年頃,韓国にいたクルド人組織の活動資金を集めてイランに
持ち込んだことが政府に知れて,秘密警察に捕まりました。……その後,理由もな
く目隠しされ,私1人家から連れ出され,調べられることもなく,刑務所に入れら
れたのです。それから3か月経って,私が入れられたのがテヘランのAVIN刑務
所と分かりました。……刑務所では,私は1人部屋に入れられましたが,面会は入
所して3か月後に家族のみが可能となり,9か月その刑務所にいた時は1度も拷問
を受けたことはありませんでした。食事も普通に出ました。収容人数は不明です。
……迫害を受けた2度目は,AVIN刑務所から出所して半年後の1999年頃,
韓国のソウルからテヘラン・メヘラバード空港に到着したところ,空港の制服警官
に捕まり,テヘラン市内の情報機関の施設に連れて行かれ,拷問を受けたのです。
……私を拷問したのは3人がかりで,昼間際限なく続いたと思います。尋問の時間
よりも私を自白させるために暴力を振るわれる時間の方が長く,そこに私は6日間
拘禁されました……。」などと供述した(乙31)。
(オ) 同月9日,名古屋入管において「1998年頃,私は昨日言ったように刑
務所に入り,刑務所を出てからは,商売のために2回韓国に行きました。それで2
回目韓国からイランに帰国した時に,空港で逮捕されたのです。この時,情報機関
から出所した時,友人P22(当時50歳)が保証人になってくれました。私が出
所できるように金を渡してくれたのですが,あらかじめ以前に2万ドル彼に渡して
あったのです。」などと供述した(乙33)。
(カ) 同年6月10日,名古屋入管において「私は,これまで2度イランにおい
て秘密警察に拘束されました。1度目は,今から6年半ぐらい前のことで約9か月
間,AVINという刑務所に入っていましたが,その時は拷問等迫害は全くありま
せんでした。しかし,10日ごとに刑務所内でクルディスタンのクルド人について
話を聞かれました。1度目は,テヘランの自宅に秘密警察の者3人が来て,1人が
私を捕まえ,あと2人は家の中にクルド人組織の証拠がないか捜索しました。何度
も言いますが,逮捕状もなく理由もなく逮捕されたのです。……私はAVIN刑務
所では絶対にP5のことを話しませんでしたので,急に出所できることになりまし
た。夏頃だったと思います。2度目の逮捕は,AVIN刑務所から出所して約半年
後,冬であったかはっきり覚えていませんが,今度は,仕事のために韓国からテヘ
ランに戻ったところ,メヘラバード空港パスポートコントロールの検査の後,私服
の警察官に止められ,空港の外に停めてあった車で,北に15分くらい行った所の
δという所にあった,情報機関の建物に連れて行かれました。私を拘束した理由を,
私服警官は外国との間を何度も行き来している,クルド人として疑っていると逮捕
の理由を言っていました。……6日間,毎日同じやり方で拷問を受けたのですが,
日を追うごとに厳しくなり,私は気持ちが悪くなり,食事も摂れなくなったのです。
6日目には電気ショックも与えられ,気を失ったこともありました。」などと供述
した(乙32)。
(キ) 金岡弁護士録取に係る同月15日付けの陳述書において,「(テヘランに
引っ越して)1年半くらい経ったとき,午後2時ころのことでしたが3人の男が家
にやってきました。3人とも私服で,短銃を携帯し,政府の情報機関であるエッテ
ラートを名乗りました。うち1人が私の見張りをし,他の2人が一通り家の中を捜
索し,それから私は,何処かに連れて行かれました。後からそこが,酷い虐待行為
が行われることで知られたエヴィン刑務所であると知りました。エヴィン刑務所で
は,最初の1か月間,取調が10日に1度ほどありました。名前経歴住所や,どこ
に出かけるのか,どういう活動をしているのか,といった質問がされました。それ
から2か月は取調も何もありませんでした。ランプが一つしかなく,セメントと石
で作った部屋に座らされ,1日中何もすることがありませんでした。精神的に孤立
させて屈服させようと言う狙いがあると思います。」,「最後に韓国からイランに
戻ったとき,空港で,私服の職員3名に逮捕されました。この職員は,ラフサンジ
ャニ大統領の組織であるエッテラートに所属していたと思います。……私は,……
場所を移された上,最後にエッテラートの事務所であるεに連行されました。事務
所には,地下4階に小部屋があり,私はそこで生活させられました。また,地下2
階に取調室と拷問部屋がありました。拷問部屋では,私は,金属の手錠で後ろ手に
縛られ,更に足首を縛ったひもに太い鈎を引っかけられ,天井に付けた滑車を使っ
て4人がかりで逆さづりにされました。1日1回,10分くらい逆さづりにされた
のです。拷問に武器が使用されることはありませんでしたが,最後の日である6日
目には,黒い布で目隠しされたうえ,強い光を5分間くらい照射され続けました。
このため,私の目は悪くなりました。」などと供述する(甲C39,乙30)。
ウ 以上の原告の供述やその他の事実関係を基に,原告がイラン政府から迫害
を受けていたか,迫害を受けるおそれが認められるか否かを検討する。
(ア) 上記のとおり,原告は,エヴィン刑務所で9か月間拘束され,同刑務所を
出所した後,韓国からテヘランに戻った際,空港で逮捕されて6日間拘束され,逆
さ吊りにされたり強い光を照射されるという拷問を受けたと供述しており,その内
容は,当初はそれほど具体的ではなかったものの,金岡弁護士録取に係る平成16
年6月15日付け陳述書において,詳細かつ具体的に供述していた。しかしながら,
原告は,差戻前の控訴審における平成17年7月14日付けの控訴人準備書面(6)
において,エヴィン刑務所において9か月間拘束された旨の供述は虚偽であったこ
とを自認するに至った(なお,原告は,平成16年4月9日,名古屋入管において,
イランで家を建てていたもののそれを2万ドルで売却してイランを出国した旨述べ
ていたが《乙33》,平成17年11月29日,難民審査参与員の審尋において,
イランの持ち家はテヘランに移った時に売り,テヘランでは借家に住んでいた旨供
述し《乙41》,この点においても供述の変遷が認められる。)。
P1も,名古屋入管における平成16年4月1日,同月15日,同年5月27日
の調査等の際,原告がエヴィン刑務所に9か月間拘束された事実を供述しており
(乙43〜45),原告と口裏合わせをして,虚偽の供述をしていたものと認めら
れる。
このように,原告及びP1が供述していた最も重大かつ長期間にわたる迫害の事
実が虚偽であったというのであるから,原告及びP1が供述している他の迫害の事
実(原告の主張する平成11年11月ころの逮捕,拷問の事実等)についても,そ
の信用性に多大な疑問を抱かざるを得ない。なお,原告は,迫害の事実について,
その長男及び長女の2007年2月20日付け各陳述書を提出するが(甲C44,
45),上記のとおり,原告のみならずP1まで口裏合わせをして虚偽の供述をし
ていることからすれば,その長男及び長女の各陳述書の信用性についても疑問を抱
かざるを得ない上,同各陳述書中の原告がP5への政治活動を行っていたことや,
逮捕された理由がその政治活動によるものであることについては,いずれも上記の
虚偽の供述をしている原告又はP1から聞いた内容を記載しているにすぎないから,
これによって直ちに原告の迫害の事実を認めることはできない。
そして,上記アの迫害の事実については,これを裏付けるに足りる的確な証拠は
見当たらない。
(イ) むしろ,原告がイランから十数か国に70回以上も渡航していたこと,1
0冊くらいのパスポートの発行を受けていたこと,そして,とりわけ,イラン出国
の直前(平成11年10月の韓国からの帰国後。原告の主張する平成11年11月
ころの韓国からの帰国はこの同年10月の韓国からの帰国に相当すると考えられ
る。)にキルギスタン,タイ,韓国へと渡航していること,本邦に不法滞在中にも
イラン大使館からパスポートの発行を受けていることに照らすと,上記迫害の事実
の存在は極めて疑わしいものと考えざるを得ない。
(ウ) 前記(2)のとおり,原告は平成12年1月19日にイランを出国してトル
コ及び韓国に入国しているが,これらの国においても何ら難民認定申請を行わず,
その後本邦に入国してからも,難民認定申請を行わず不法就労を続け,原告名義の
車両が事故を起こしたことがきっかけで逮捕され,名古屋地方検察庁で平成15年
12月4日に入管法違反の容疑で取調べを受けた際や,平成16年1月23日の刑
事公判廷において,上記のようなP5に対する支援活動やイラン政府からの迫害の
事実を述べてはいたものの,平成15年12月4日の上記取調べの際には「イラン
国内で,おとなしく生活すれば生活自体はできました。私ら家族の生命や身体に差
し迫った危険があったり,危機が迫っていたということもありませんでした。ただ,
私も妻子も,精神的に落ち着いて生活したいと思い,イランを出ることにしたので
した。私は,子供2人のことも考えると,イラン国内の学校に通わせるよりも,日
本の学校に通わせて,教育を受けさせて,生活させた方がよいと判断したのでし
た。」などと供述し(乙38),前記前提事実記載のとおり,退去強制手続に係る
調査の際に迫害を受けた事実を供述したものの,口頭審理を放棄し,その後,本件
令書発付処分がされた後になって,ようやく,難民認定申請をしたものである。
しかし,原告が主張するように過酷な迫害を受けイラン政府による更なる迫害か
ら逃れるためにイランを出国したのであれば,そうした迫害から逃れるためにイラ
ン政府以外の国に庇護を求める手段を最優先させると見られるのに,原告は,イラ
ン出国後に立ち寄ったトルコや韓国においては難民認定申請をせず,本邦において
も,同申請をしないままに不法就労を継続し,入管法違反の容疑で逮捕され,その
刑事手続及び退去強制手続の過程においても難民認定申請せず,口頭審理を放棄し
て帰国意思を表明したという上記の経緯に照らせば,原告がイラン本国において迫
害を受けるおそれを抱いていたという主張は容易には採用し難いものといわなけれ
ばならない。
(エ) なお,原告は,原告がそれまでメヘラバード空港を利用して出国していた
のに,平成12年1月19日に陸路で国境を経由して出国したのは,メヘラバード
空港が情報機関の監視下にあり,かつて逮捕された時のように出国に支障があるこ
とが予想されたからにほかならない旨主張する。
そして,英国内務省移民局の「イランのカントリーレポート(2005年4
月)」によれば,「一般に,テヘラン空港での治安当局のチェックはまだ非常に厳
密である。また,政治的犯罪により治安当局に記録が残っており,有罪となってい
る者が合法的に飛行機で出国することができるというのは疑わしい。」,「パキス
タンとの国境を越えて,また,トルコやアゼルバイジャンとの国境を越えて出国す
ることはかなり容易であり,しょっちゅう起こっていることである。」などとされ
(甲B37の1・2),米国国務省の「カントリーレポート(2004年2月25
日)」によれば,「海外から帰国する市民は時として,海外での反政府活動の証拠
を見つけようとする政府当局の検査や,詳しい尋問の対象にされた。録音や録画,
印刷物,私信,写真が没収の対象となった。」(乙29の1・2)とされている。
しかし,前記認定のとおり,原告は,平成12年1月19日にトルコへ出国する
までに10冊もの旅券の発給を受け,観光旅行も含めて約70回も外国との出入国
を繰り返し,トルコへ出国する直近においても,平成11年11月10日にキルギ
スタンへ(帰国日不明),同年12月14日にマレーシアを経由してタイへ(平成
12年1月7日帰国),同年1月8日に韓国へ(同年1月15日に帰国),それぞ
れ渡航している(原告の主張を前提とすれば,トルコへ出国する直前の渡航は反政
府活動が疑われて逮捕され拷問を受けて釈放された後のことになる。)のであって,
こうした原告の渡航状況からすれば,トルコへ出国する直前まで,原告がイラン政
府との間で何らかの問題を抱えていたものとは到底認めることができない。
また,原告は過去にも陸路を選択してイランから出国していることが認められる
から(甲C1〜5),トルコへ出国する際に陸路を選択した理由がメヘラバード空
港からの出国が危険であったことによるものであるとは直ちに認めることができな
い。
(オ) なお,原告は,名古屋入管における平成16年4月2日の調査の際に,
「(仮放免により)出所して約3日後イラン在住の反政府クルド人組織の仲間の1
人に,私がイランに帰国することを電話で伝えたところ,『今,あなたがイランに
帰国したら空港で警察に捕まり殺される可能性が高い。これを聞いて帰国するしな
いはあなた次第であるが,もし帰国するなら私達があなたの命を守る保障ができな
い。』と言われました」などと供述し(乙36),同年6月10日の調査の際に,
「私は帰国のために名古屋入管から仮放免許可され,一旦自宅に戻った時,私の携
帯にイランにいたクルド人P23から電話が入りました。たしか,難民申請した日
の2日前の夜でした。私が,イランに戻らなければならないと言うと,彼は,自分
達は危険だから援助できないと言い,私はこの言葉で帰国するのをやめ,難民申請
することにしましたが,イランに帰ると本当に危険と感じたのは,この友人の言葉
によってです。私は,友人からの電話で難民申請という一大決心をしたのです。」
などと供述する(乙32)。また,平成18年2月6日にイラン在住の知人P24
に電話をして,P24から「あなたは政治活動したことやP5組織に所属したこと
を言わなければならない。」,「生きていくためには,イランに戻ることを考えな
い方がいい。」などと言われた旨の録音テープ及び反訳書(甲C43の1〜3)を
提出する。
しかし,これらは,いずれも原告がイランを出国して4年以上が経過した後の会
話である上,上記の会話がされるに至る経緯が明らかではなく,原告はその間本国
の家族とほぼ週1回ずつの頻度で電話で話をしているにもかかわらず(乙31),
上記の会話がされるまで原告が空港で警察に捕まり殺される可能性があるなどとい
うことについて話題にならなかったのは極めて不自然であること等にかんがみれば,
上記供述又は会話の内容から,原告が迫害を受けたこと又は迫害を受けるおそれが
あるものと直ちに認めることはできない。
エ 以上によれば,原告の主張する迫害の事実については,これを述べる原告,
P1らの供述はいずれも信用性が乏しい上,これを裏付けるに足りる的確な証拠が
なく,むしろ,客観的には,原告が迫害を受けていたとか迫害を受けるおそれを抱
いていたとするには疑わしいと考えるべき事実関係が存するのであって,その他原
告の主張するところを検討しても,上記迫害の事実の存在を認めることはできない。
(5) まとめ
以上で検討したとおり,原告が,クルド人でスンニ派イスラム教徒であることを
理由として迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するものと
は認められないし,その他原告が主張するところを検討しても,原告が難民に当た
るものと認めることはできない。
なお,仮にP5への支援活動に関する原告の供述内容に,一部事実が含まれてい
たとしても,原告が供述するP5への支援は,山岳地帯にいたゲリラに食糧を受け
渡すための協力をしたとか,韓国のクルド人からP5へ送金するための協力をした
ことがあるというにすぎないところ,米国国務省,英国内務省,デンマーク移民局
のイランに関する上記報告書等に照らしても,上記の程度の支援を行った者が,イ
ラン政府により迫害を受けるおそれがあるものとは直ちに認めることができない。
3 争点(2)について
原告は,被告が原告の難民条約上の難民に該当するか否かについて審査・判断す
べきであるにもかかわらず,これをしないで本件令書発付処分を行ったものである
から,適正手続を欠く違法なものである旨主張する。
しかし,原告は,前記前提事実記載のとおり,名古屋入管入国警備官の違反調査
を受けた上,名古屋入管入国審査官の審査を受け,その際,「送還先はイランしか
ありません。」,「私はイランに帰る決心をしています。」,「私はイランに帰る
ことに決めましたので,口頭審理は請求しません。」などと述べ,口頭審理の請求
をしない旨を記載した文書に署名したものであるから,前記2(1)の事実関係に照
らせば,被告が,イランが原告にとって難民条約33条1項に規定する領域の属す
る国に当たらないと判断して送還先をイランとする本件令書発付処分をしたことが,
適正手続を欠く違法なものであるといえないことは明らかである。
4 なお,原告は,原告の難民該当性の判断に当たっては,原告本人尋問及びそ
の家族の証人尋問の実施が不可欠である旨主張し,原告本人尋問及びP1の証人尋
問を申請していた。
しかしながら,本件が当審に差し戻された後,1年以上にわたり9回の弁論期日
を重ねたにもかかわらず,原告本人尋問については,その実施が予定された期日の
2日前に原告から提出された平成19年9月7日付けの医師の診断書において,原
告が外傷後ストレス障害であって,「過去の記憶の想起や,長時間の質問にさらさ
れることは,新たなストレスとして働き,神経過敏,集中困難,内的不穏などの症
状を悪化させると思われる。」とされ,また,同年10月19日付けの同医師の診
断書によれば,「(外傷後ストレス障害)にて当院で外来治療中であるが,神経過
敏,集中困難,内的不穏などの症状が,なかなか改善せず一進一退で,ここ1〜2
ヶ月の間は,心労もあって悪化している様子である。」とされており,これを実施
する見通しが立たなくなったことに加え,原告の供述については,平成16年6月
15日付け及び平成17年2月24日付けの原告の陳述書(甲C37,39,乙3
0),別件難民事件において平成17年5月18日に実施された原告本人尋問調書
(乙40),大阪入国管理局難民調査官が平成17年11月29日に原告及びP1
に対し金岡弁護士立会いの下で実施した事実の調査に係る口頭意見陳述及び審尋調
書(乙41)等の原告自身の供述を記載した書証が提出されていたこと(これらの
供述は,いずれも,金岡弁護士の法的援助の下にされたものである。),原告代理
人である金岡弁護士は,平成15年の刑事事件以来,原告の刑事弁護人,難民認定
申請に係る手続の代理人,本件訴訟及び難民不認定処分取消しに係る別件難民事件
の訴訟代理人を務めており,原告本人の供述として必要なものを提出する機会は十
分にあったと認められること(なお,原告は,差戻後の第4回口頭弁論期日におい
て,原告の陳述書を平成19年5月21日までに提出すると述べたが,結局,提出
しなかった。)にかんがみると,現時点において,実施の見通しの立たない原告本
人尋問を実施するために期日を重ねることが相当であるとはいえない。
また,P1の証人尋問については,当裁判所は平成19年10月24日午後1時
30分に実施する旨決定したが,P1は,金岡弁護士を通じて,当日午前に「急性
気管支炎,急性咽頭炎,脱水」に罹患している旨の同月23日付けの医師の診断書
を提出し,期日に出頭しなかったため,同日は証人尋問を実施することができなか
ったところ(このため,当裁判所が確保していた通訳人は,本件の通訳人を辞退し
たいとの申出をするに至った。),原告はP1の平成19年6月4日付け陳述書
(甲C46)を提出しており,一方,被告からはP1の証人尋問の申請はない上,
同陳述書に対して反対尋問が必要である旨の意見が述べられたという事情もないこ
となどにかんがみると,現時点において,再度通訳人を確保してP1の証人尋問実
施のための期日を設けることが必要であるとも相当であるともいえない。
5 以上によれば,原告は難民条約上の難民に該当するとは認められず,被告が
原告に対しイランを送還先として本件令書を発付したことは,難民条約33条1項
に規定する領域の属する国への送還に当たるとは認められないから,本件令書発付
処分の送還先の指定に何ら違法はない。
第5 結論
よって,原告の請求は理由がないから棄却することとして,主文のとおり判決す
る。
名古屋地方裁判所民事第9部
裁判長裁判官 松並重雄
裁判官 前田郁勝
裁判官片山博仁は転補のため署名押印することができない。
裁判長裁判官 松並重雄

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