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平成19年1月31日判決言渡 同日原本受領 裁判所書記官
平成15年(行ウ)第20号,平成16年(行ウ)第39号 原爆症認定申請却下処分
各取消等請求事件
口頭弁論終結の日 平成18年9月4日
判 決
主 文
1 厚生大臣が,原告Eの原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律11条
1項(平成11年法律第160号による改正前のもの)の規定に基づく原
爆症認定申請に対し,平成9年6月3日付けでした却下処分を取り消す。
2 被告厚生労働大臣が,原告Fの原子爆弾被爆者に対する援護に関する法
律11条1項の規定に基づく原爆症認定申請に対し,平成15年1月28
日付けでした却下処分を取り消す。
3 原告E及び原告Fの被告国に対する各請求並びに原告G及び原告Hの被
告らに対する各請求をいずれも棄却する。
4 訴訟費用は,原告E及び原告Fに生じた費用の各2分の1と被告国に生
じた費用の4分の1ずつをそれぞれ原告E及び原告Fの負担とし,原告G
及び原告Hに生じた費用の全部と被告らに生じた費用の各4分の1ずつを
それぞれ原告G及び原告Hの負担とし,その余は被告厚生労働大臣の負担
とする。
事 実 及 び 理 由
第1 請 求
(上記第20号事件)
1 主文第1項同旨
2 被告国は,原告Eに対し,300万円及びこれに対する平成15年4月29
日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(上記第39号事件)
1 主文第2項同旨
2 被告厚生労働大臣が,原告Gの原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律1
1条1項に基づく原爆症認定申請に対し,平成15年1月28日付けでした却下処
分を取り消す。
3 被告厚生労働大臣が,原告Hの原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律1
1条1項に基づく原爆症認定申請に対し,平成16年5月12日付けでした却下処
分を取り消す。
4 被告国は,原告F,原告G及び原告Hに対し,それぞれ300万円及びこれ
に対する平成16年6月29日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
本件は,昭和20年8月,広島市及び長崎市に投下された原子爆弾の被爆につい
て,原告らが,原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(「被爆者援護法」とい
う。)11条1項(原告Eについては平成11年法律第160号による改正前のも
の)に基づき,被告厚生労働大臣(原告Eについては厚生大臣,以下同じ。)に対
し,いわゆる原爆症認定申請をしたところ,同被告が原告らの申請に係る疾患が原
爆の放射線に起因するものとは認められないとして,これらを却下する処分をした
ことから,原告らが各却下処分の取消しを求めるとともに,上記各却下処分が違法
になされたことによって原告らは精神的苦痛を被った旨を主張して,被告国に対し,
国家賠償法1条1項に基づき,損害賠償(及び訴状送達の日の翌日以降民法所定の
年5分の割合による遅延損害金の支払)を求めた事案である。
1 前提事実(争いのない事実及び証拠上明らかな事実)
(1) 当事者
ア 原告ら
(ア) 原告E
原告Eは,大正15年12月23日生まれの男性であり,18歳であった昭和2
0年8月6日,原爆が投下された直後の広島市内に救援部隊として入市した者であ
って,平成8年8月6日に被爆者健康手帳の交付を受け,平成9年1月27日,被
爆者援護法11条1項に基づく認定申請をした(甲D2号証)。
(イ) 原告F
原告Fは,昭和8年8月15日生まれの女性であり,11歳であった昭和20年
8月6日,爆心地から約1.7劼竜離にある広島市三篠国民学校の校庭で被爆し
た者であり,被爆者健康手帳の交付を受け,平成14年7月8日,被爆者援護法1
1条1項に基づく認定申請をした。
(ウ) 原告G
原告Gは,昭和2年1月24日生まれの女性であり,18歳であった昭和20年
8月9日,爆心地から約3.1劼竜離にある三菱重工業長崎造船所飽浦工場の建
物内で被爆した者であり,被爆者健康手帳の交付を受け,平成14年7月9日,被
爆者援護法11条1項に基づく認定申請をした。
(エ) 原告H
原告Hは,大正13年12月18日生まれの男性であり,20歳であった昭和2
0年8月6日,爆心地から約1.5劼竜離にある広島市大須賀町(当時の町名は
「侭」)の陸軍第2総軍司令部参謀部通信班兵舎において被爆した者であり,被爆
者健康手帳の交付を受け,平成15年6月23日,被爆者援護法に基づく認定申請
をした。
イ 被告厚生労働大臣
被告厚生労働大臣は,平成13年1月6日に施行された中央省庁等改革関係法施
行法(平成11年法律第160号)753条による改正後の被爆者援護法11条1
項に基づき,原爆症認定をする権限を有する行政庁である。
なお,上記改正前における被爆者援護法11条1項の認定権限を有していた厚生
大臣がした同項所定の処分については,中央省庁等改革関係法施行法1301条1
項により,被告厚生労働大臣がしたものとみなされる(したがって,原告Eの申請
にかかる処分等に関しても,原則として「厚生労働大臣」と表記する。)。
(2) 原子爆弾の投下とその被害
ア 原子爆弾の投下
昭和20年8月6日に広島市に投下された原爆(通称「リトルボーイ」)は,ウ
ラン235が使用された爆弾であり,TNT(トリニトロトルエン)火薬にして約
15kt(キロトン)ないし16ktに相当する威力を持ち,地上約600m地点で爆
発した。また,同月9日に長崎市に投下された原爆(通称「ファットマン」)はプ
ルトニウム爆弾であり,TNT火薬に換算して約21ktに相当する威力を持ち,地
上約500m地点で爆発した。
イ 原爆放射線について
(ア) 放射線について(甲全59号証,111号証の12)
a 放射線の種類と性質
放射線は,一般には,電離(原子核と電子の分離)を引き起こす電離放射線を指
し,主要なものとしては,アルファ線,ベータ線,ガンマ線,エックス線及び中性
子線(「中性子」ということもある。)がある。
このうち,ガンマ線とエックス線は,電磁波(電磁放射線)と呼ばれ,波として
捉えることができる放射線である。波長が短いほどエネルギーが大きく,ガンマ線
とエックス線が特に波長の短い高エネルギー電磁放射線であるが,いずれも光と同
じ性質を持っており,光速で飛行する。
これに対して,アルファ線,ベータ線,中性子線は粒子線と呼ばれ,いずれも粒
子の流れであり,それが電荷をもっているか否かによって荷電粒子と非荷電粒子に
分類される。
荷電粒子は,更に重粒子と軽粒子に分類され,重粒子にはアルファ線,陽子線な
どがあり,軽粒子にはベータ線や電子線などがある。
他方,非荷電粒子は,中性子であり,大きな運動エネルギーをもつ速中性子と運
動エネルギーをほとんどもたない熱中性子に分けられる。
電離放射線は,物質を透過する性質を有し,熱中性子を除いて大きなエネルギー
をもっており,これらの放射線が生物体に吸収されると,そのエネルギーは,放射
線の軌跡に沿って,近辺の多数の構成分子に電離を引き起こさせる。また,熱中性
子は,極めて小さいエネルギーしか有していないが,様々な原子核を放射化する結
果,アルファ線,ベータ線,ガンマ線のいずれか二つ又は一つを放出させるため,
間接的に高エネルギーの放射線として作用する。
これら電離放射線のうち,ガンマ線と中性子線が,原爆放射線の主要成分であり,
特にガンマ線が,原爆放射線のほとんどを占める。
なお,自然界にも,大地に存在する放射性物質が放出する放射線や宇宙線などの
放射線が存在しており,地球上のヒトが受ける平均自然放射線被曝線量は,年間2.
4mSv(ミリシーベルト)程度とされている。
b 放射線量の単位について
放射線量の単位は,平成元年(1989年)にそれまで用いられていた単位系か
ら国際単位系(SI単位系)に切り替えられ,従来のキュリー( Ci),ラド
(rad),レム(rem)に代わってベクレル(Bq),グレイ(Gy),シーベルト(Sv)
が使われるようになった。
放射線については,吸収線量と等価線量という二つの異なる評価単位が存在して
おり,ゝ杣線量とは,放射線が物質又は生体に作用したとき,単位物質(組織)
1堙たりに吸収されたエネルギー量(J)を表したものであり,その単位は,グ
レイ(「Gy」,1Gy=100rad)が用いられる。
また,等価線量とは,ガンマ線,中性子線などの放射線の種類によって異なる
放射線被曝による生体組織への影響を考慮した評価単位であり,生体に作用した吸
収線量に,生物学的効果比(RBE)を考慮した放射線荷重係数を乗ずることによ
って得られるもので,単位物質(組織)1堙たりに吸収されたエネルギー量を表
しており,その単位はシーベルト(Sv)が用いられる。吸収線量との関係は「線量
当量(Sv)=吸収線量(Gy)×線質係数」によって表され,線質係数は,放射線の
種類に従って,次の表のようになっている。
別紙 表1参照
このことは,放射線によって同じだけの吸収線量(エネルギー)を人体に受けた
場合,中性子線によれば,エックス線やガンマ線の10倍の生体影響を受けること
を意味している。
さらに,J射能の量の単位としてベクレル(Bq)が用いられている。放射能と
は,物質が放射線を出す能力のことで,ある放射性物質の中で1秒間に崩壊する
(放射線を出して壊れる)原子の数で表される。1Bqは1秒間に1個の原子が放射
性崩壊することを意味している。
(イ) 原爆によって放出された放射線について(乙全14号証)
空中爆発による原爆放射線は,爆発後1分以内に空中から放射される初期放射線
と,それ以後の長時間にわたって地上で放射される残留放射線の2種類に分けられ
る。残留放射線は,更に核分裂生成物等が空中に飛散し,爆発後1分以後のガンマ
線などの放射線源となった放射性降下物(「フォールアウト」ともいう。いわゆる
「死の灰」)と,地上に降り注いだ初期放射線(中性子)が土地や建築資材の原子
核に衝突して原子核反応を起こし,それによって放射能を誘導する誘導放射能に分
けられる。
ウ 原爆放射線の人体への影響
(ア) 放射線被曝の態様について
放射線被曝の態様は,―藉放射線及び残留放射線から放出される放射線を身体
の外部から浴びることによって被曝する「外部被曝」と,呼吸,飲食,外傷・皮
膚等を通じて体内に取り込まれた放射性物質が放出する放射線によって被曝する
「内部被曝」に大別される。
(イ) 人体への影響の態様について
a 急性影響と晩発影響(乙全14号証)
急性影響(「急性障害」又は「急性症状」ともいう。)とは,放射線に被曝して
数週間以内に現れる影響をいい,原爆の熱線,放射線が人体に与えた障害の程度,
障害の主要部分,障害の相互の関連度合などによって様々であり,出現する症状も
種々であるが,概ね,白血球の減少,吐き気,全身倦怠感,めまい,出血,脱毛な
どを主症状とするものである。
晩発影響(「後障害」又は「晩発症状」ともいう。)とは,放射線に被曝して数
年間経過した後に現れる影響をいい,がん(白血病を含む。)及び白内障が主症状
であって,これらの症状は,個々の症例を観察する限り,放射線に特異的な症状を
有するものではなく,一般に見られる疾病と全く同様の症状を呈する。
b 感受性
放射線に対する感受性とは,放射線被曝による症状が起きやすいか否かを示す概
念であり,筋肉や神経など,あまり細胞分裂をすることのない細胞では感受性は低
く,骨髄や腸上皮細胞のように細胞分裂を繰り返す細胞では感受性は高いことが知
られている。
c 確定的影響と確率的影響
放射線の人体への影響には確定的影響と確率的影響が存在することが知られてい
る。
人体を組成するタンパク質分子や遺伝子は,放射線による直接・間接の障害に対
しても,修復作用によって修復されるが,一定線量以上の放射線によって大量のタ
ンパク質分子や遺伝子が損傷されると,修復作用が働かなくなって多数の細胞が死
滅したり,遺伝子の損傷によって細胞分裂が正常に行われなくなり,その結果,人
体の一部の機能が喪失される。このような症状は,低線量の被曝では出現しないこ
とが明らかであるが,ある線量以上の放射線に被曝すると影響が出現するものであ
り,確定的影響と呼ばれ,このような影響が生ずる境となる値を「しきい値」とい
う。
これに対し,タンパク質分子や遺伝子の修復により,いったん症状が治まったと
しても,その後に誤って修復されることによって,一定の症状が発生する場合があ
り,このような症状は,被曝線量に比例して確率的に発生すると考えられており,
確率的影響と呼ばれる。
(3) 関連法令について
ア 被爆者援護法の制定
平成6年に制定された被爆者援護法(平成6年法律第117号)は,原爆の投下
の結果生じた放射線に起因する健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊の被害であ
ることにかんがみ,高齢化の進行している被爆者に対する保健,医療及び福祉にわ
たる総合的な援護対策を講じることを目的とするもので,平成7年7月1日から施
行されるとともに,従来,被爆者の健康保持等の根拠法令であった原子爆弾被爆者
の医療等に関する法律(「原爆医療法」という。)及び原子爆弾被爆者に対する特
別措置に関する法律(「被爆者特措法」という。)が廃止された(被爆者援護法附
則1条,3条)。
イ 被爆者援護法の内容
(ア) 被爆者
被爆者援護法における「被爆者」とは,次のいずれかに該当する者であって,被
爆者健康手帳の交付を受けたものをいう(1条1号ないし4号)。
a 原子爆弾が投下された際,当時の広島市若しくは長崎市の区域内又はこれら
両市に原爆が投下された当時の広島県安佐郡祇園町や長崎県西彼杵郡福田村の一部
など,両市に隣接する区域内に在った者(「直接被爆者」という。同法1条1号,
同法施行令1条1項)
b 原子爆弾が投下された時から起算して,広島市に投下された原爆については
昭和20年8月20日まで,長崎市に投下された原爆については同月23日までの
各期間内に上記aで規定する区域のうち,広島市における十日市町や紙屋町等,長
崎市における浦上町等,政令で定める区域内に在った者(「入市被爆者」という。
同法1条2号,同法施行令1条2項,3項)
c 上記a,bに掲げる者のほか,原子爆弾が投下された際又はその後において,
身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者(「救護被爆
者」という。同法1条3号)
d 上記aないしcに掲げる者が当該各号に規定する事由に該当した当時その者
の胎児であった者(「胎児被爆者」という。同法1条4号)
(イ) 被爆者健康手帳の交付
被爆者健康手帳は,その交付を受けようとする者の申請に基づいて,居住地の都
道府県知事の審査を経て,上記aないしdのいずれかに該当すると認められたとき
に交付される(同法2条)。
(ウ) 被爆者援護法に基づく援護の内容
被爆者援護法における被爆者は,同法に基づいて,〃鮃管理(同法7条,9条,
同法施行規則9条),一般疾病医療費の支給(同法18条),J欸鮗蠹の支給
(同法28条1項),し鮃管理手当の支給(同法27条1項,4項,同法施行規
則51条各号),グ緡鼎竜詆奸碧。隠鮎鬘厩燹い覆,医療の給付を受けようとす
る者は,あらかじめ,後記の原爆症認定を受けなければならないこととされている
(法11条1項,2項))等の援護を受けることができる。
(エ) 原爆症認定制度について
a 原爆症認定の要件
被爆者援護法10条1項は,「厚生労働大臣は,原子爆弾の傷害作用に起因して
負傷し,又は疾病にかかり,現に医療を要する状態にある被爆者に対し,必要な医
療の給付を行う。ただし,当該負傷又は疾病が原子爆弾の放射能に起因するもので
ないときは,その者の治癒能力が原子爆弾の放射能の影響を受けているため現に医
療を要する状態にある場合に限る。」と規定し,原爆症認定の要件として,/柔
疾患が原子爆弾の放射線の傷害作用に起因するものであること,又は申請疾患が原
子爆弾の放射線の傷害作用に起因するものでないときには,申請者の治癒能力が原
子爆弾の放射線の影響を受けていること(放射線起因性),⊃柔措栖気現に医療
を要する状態にあること(要医療性)を医療給付の要件としている。
b 原爆症認定の手続
(a) 被爆者援護法11条1項の原爆症認定を受けようとする者は,厚生労働省令
で定めるところにより,その居住地の都道府県知事を経由して,厚生労働大臣に申
請書を提出しなければならない(同法施行令8条1項)。
(b) 上記申請書には,“鑁者の氏名,性別,生年月日及び居住地並びに被爆者
健康手帳の番号,負傷又は疾病の名称,H鑁時以降における健康状態の概要及
び原子爆弾に起因すると思われる負傷若しくは疾病について医療を受け,又は原子
爆弾に起因すると思われる自覚症状があったときは,その医療又は自覚症状の概要
等を記載し,医師の意見書及び当該負傷又は疾病に係る検査成績を記載した書類を
添付することとされている(同法施行規則12条)。
(c) 上記申請を受けた厚生労働大臣は,原爆症認定を行うに当たり,申請疾患が
原子爆弾の傷害作用に起因すること又は起因しないことが明らかである場合を除き,
審議会等の意見を聴かなければならない(法11条2項)。
そして,ここにいう「審議会等」は,疾病・障害認定審査会(「審査会」とい
う。)とされ(同法施行令9条,なお,原告Eが原爆症認定申請をした平成9年7
月当時は後記の「原子爆弾被爆者医療審議会」であった。),その分科会である原
子爆弾被爆者医療分科会(「医療分科会」という。)がその役割を担当している。
なお,平成11年法律第102号による改正前の被爆者援護法は,厚生大臣(当
時)の諮問に応じ,被爆者の医療等に関する重要事項を調査審議させるため,厚生
省に原子爆弾被爆者医療審議会を置くこととし,同審議会は,被爆者の医療等に関
する事項につき,関係各大臣に意見を具申でき(同法3条1項,2項),厚生大臣
が,被爆者援護法11条1項の原爆症認定を行うに当たっては,当該負傷又は疾病
が原爆の傷害作用に起因すること又はしないことが明らかである場合を除き,原子
爆弾被爆者医療審議会の意見を聴かなければならないこととされていた。
c 審査会における審査
(a) 医療分科会は,平成13年5月25日に「原爆症認定に関する審査の方針」
(乙全1号証,「審査の方針」という。)を策定し,これに基づき,申請疾患の放
射線起因性を判断している。
(b) 審査の方針は,申請に係る負傷又は疾病(「疾病等」,「申請疾患」又は
「申請疾病」という。)における放射線起因性の判断に当たっては,原因確率(疾
病等の発生が原爆放射線の影響を受けている蓋然性があると考えられる確率をい
う。)及びしきい値(一定の被曝線量以上の放射線を被曝しなければ,疾病等が発
生しない値をいう。)を目安として,当該申請疾病の放射線起因性に係る「高度の
蓋然性」の有無を判断するものとし,原因確率が,概ね50%以上である場合には,
当該申請に係る疾病の発生に関して,原爆放射線による一定の健康影響の可能性が
あることを推定し,概ね10%未満である場合には,当該可能性が低いものと推定
するが,このような判断に当たっては,これらを機械的に適用して判断するもので
はなく,当該申請者の既往歴,環境因子,生活歴等も総合的に勘案した上で,判断
を行うものとする。また,原因確率等が設けられていない疾病等の審査に当たって
は,当該疾病等には,放射線起因性に係る肯定的な科学的知見が立証されていない
ことに留意しつつ,当該申請者に係る被曝線量,既往歴,環境因子,生活歴等を総
合的に勘案して,個別にその起因性を判断するものとする。
(c) 審査の方針における原因確率は,申請疾病と被爆者の性別に応じてその別表
1ないし8が作成されており,これに被曝時の年齢と被曝線量を当てはめることに
よって算定される(ただし,肺がんについては,被曝線量のみから算定される。)。
原因確率を算定する基礎となる被曝線量は,\量評価体系であるDS86に基
づき,申請者の被爆地(広島市又は長崎市)と,爆心地からの距離の区分に応じて
定められている初期放射線による被曝線量(審査の方針別表9)に,⊃柔措圓糧
爆地,爆心地からの距離及び爆発後の経過時間の区分に応じて定められている誘導
放射能(残留放射線)による被曝線量(同別表10)と,8暁投下の直後に特定
の地域(広島市にあっては己斐又は高須地区,長崎市にあっては西山3,4丁目又
は木場地区)に滞在し,又はその後,長期間にわたって当該特定の地域に居住して
いた場合に認められる放射性降下物による被曝線量を加えて算定される。
(d) 審査の方針では,確定的影響であるとされている放射線白内障のしきい値は,
1.75Svとされている。
(4) 原告らによる申請とその経過
ア 原告Eについて
(ア) 原告Eは,原爆症認定を受けるため,被告厚生労働大臣に対し,甲状腺腫瘍
術後機能低下症を申請疾病とする平成9年1月27日付け申請書を提出し,被告厚
生労働大臣は,同年3月3日,同申請書を収受した(乙D1号証,2号証)。
被告厚生労働大臣は,審議会等の意見を聴取した上で,平成9年6月3日,原告
Eの上記申請を却下した(乙D3号証)。
これに対し,原告Eは,平成9年7月30日付けで被告厚生労働大臣に対し,異
議申立てをした(甲D5号証,乙D4号証)。
(イ) 被告厚生労働大臣は,行政不服審査法47条3項ただし書に基づき,審査会
の意見を聴取した上で,平成15年1月9日,上記異議申立てには理由がないとし,
これを棄却する決定をした(甲D6号証の1・2)。
(ウ) 原告Eは,上記決定を不服として,平成15年4月17日,本件訴えを提起
した。
イ 原告Fについて
(ア) 原告Fは,原爆症認定を受けるため,被告厚生労働大臣に対し,慢性腎不全,
膵嚢胞,多発性脳梗塞,右副腎腫瘍及び限局性強皮症を申請疾病とする平成14年
7月8日付け申請書を提出した。
被告厚生労働大臣は,平成15年1月28日,原告Fの上記申請を却下した(甲
A1号証の1・2)。
これに対し,原告Fは,同年3月11日付けで,被告厚生労働大臣に対し,異議
申立てをしたが,これに対する決定はなされていない。
(イ) 原告Fは,平成16年6月17日,本件訴えを提起した。
ウ 原告Gについて
(ア) 原告Gは,原爆症認定を受けるため,被告厚生労働大臣に対し,両眼白内障
を申請疾病とする平成14年7月9日付け申請書を提出した。
被告厚生労働大臣は,平成15年1月28日,原告Gの上記申請を却下した(甲
B1号証)。
これに対し,原告Gは,同年4月2日付けで,被告厚生労働大臣に対し,異議申
立てをしたが,これに対する決定はなされていない。
(イ) 原告Gは,平成16年6月17日,本件訴えを提起した。
エ 原告Hについて
(ア) 原告Hは,原爆症認定を受けるため,被告厚生労働大臣に対し,嚢胞性膵腫
瘍を申請疾病とする平成15年6月23日付け申請書を提出した。
被告厚生労働大臣は,平成16年5月12日,原告Hの上記申請を却下した(甲
C1号証,2号証)。
これに対し,原告Hは,同年6月25日付けで,被告厚生労働大臣に対し,異議
申立てをしたが,これに対する決定はなされていない。
(イ) 原告Hは,平成16年6月17日,本件訴えを提起した(以上の原告らに対
する被告厚生労働大臣による各却下処分を,「本件各処分」という。)。
2 争 点
本件の争点は,次のとおりである。
(1) 原告らの申請疾病の放射線起因性の有無
ア 放射線起因性の判断基準の合理性の有無
イ 各原告の原爆症認定要件の存否
(2) 国家賠償責任の成否
第3 当事者の主張
1 争点(1) ア 放射線起因性の判断基準の合理性の有無について
(原告らの主張)
(1) 被告厚生労働大臣の認定基準の誤り
ア 原告らの主張の概要(審査の方針の問題点)
(ア) 線量評価の誤り
被告厚生労働大臣は,現在,原爆症認定における申請疾病の放射線起因性の判断
について,原因確率という基準を作り,これを審査の方針として策定しており,審
査の方針では,線量評価体系であるDS86により申請者の被曝線量を推定し,原
因確率への当てはめを行っている。しかし,DS86という線量評価体系は,以下
に主張するとおり,多くの問題点があるとともに,現実を全く説明できない誤った
ものである。
また,原因確率は,財団法人放射線影響研究所(「放影研」という。)の疫学調
査を基礎としているが,同調査は,DS86を基礎としているため,DS86の誤
りは疫学調査の結果の誤りに直結し,そのまま原因確率の誤りにつながるのである。
審査の方針では,線量評価において,誘導放射能による被爆と放射性降下物によ
る被爆の一部を考慮しているが,これは全く不十分なものであり,遠距離被爆者や
入市被爆者に生じた急性症状の実態からすれば,審査の方針が用いるこれらの線量
評価が,現実に被爆者の受けた被曝線量を無視ないし著しく軽視していることは明
らかである。
さらに,審査の方針では,線量評価において,外部被曝のみを考慮しており内部
被曝による被曝線量を全く考慮していないが,内部被曝は,人体に大きな影響を与
える重要な被爆態様であり,これを無視して良いはずがない。
(イ) 原因確率論の誤り
a 放影研の疫学調査の誤り
審査の方針における原因確率論は,放影研の疫学調査を基礎としているところ,
同調査には,次のような問題点が存在する。
(a) 調査集団の線量評価にDS86を用いていること
(b) 残留放射線の影響を線量評価上無視していること
(c) 内部被曝の影響を線量評価上無視していること
(d) 疫学調査における比較対照群の設定に問題があること
(e) 死亡率調査を基礎にしていること
(f) 昭和25年(1950年)までの被爆者の死亡を考慮に入れていないこと
また,原因確率論に転用された児玉和紀広島大学医学部保健学科教授(「児玉教
授」という。)を主任研究者とする厚生科学研究費補助金(特別研究事業)平成1
2年度総括研究報告書「放射線の人体への健康影響評価に関する研究」(乙全7号
証,「児玉論文」という。)には,次のような問題点が存在する。
(a) 中性子線の生物学的効果比を無視し,「1」として扱っていること
(b) 低線量域においても線形モデルを用いていること
b 原因確率を個々の被爆者にあてはめることの誤り
疫学は,集団についての概念であり,疫学上,放射線と疾病との関連が認められ
るということは,放射線に被曝した集団でその疾病にかかったすべての人が,放射
線が原因でその疾病にかかった可能性があることを表すものであって,特定の個人
の疾病について,放射線が原因ではないと判断することはできないはずである。ま
た,放射線の人体への影響には大きな個体差があることからすれば,集団について
の結論を個々の被爆者にあてはめることの不合理さは明らかである。
c 原因確率の考え方の誤り
原因確率は,被告らによって,「疾病の発生が原爆放射線の影響を受けている蓋
然性があると考えられる確率」と定義されている。しかるに,原因確率として使用
されているのは,寄与リスク(被爆者の疾病のうち,原爆放射線のみが作用して増
えた疾病の割合)の数値であるから,結局,原爆放射線と他の要因のいずれかが二
者択一的に作用して,疾病を生じさせるものとの前提を採用していることになる。
しかし,こうした原因確率の考え方によると,原爆放射線と他の要因が相まって
疾病が生じた場合,原爆放射線によって早く発症した場合(発症の促進)や,原爆
放射線によって症状が悪化している場合(進行の促進)には,現に医療を要する疾
病の状態が原爆放射線に起因している症例が多くても,必ずしも寄与リスクは大き
な数値とはならず,放射線の影響を正確に判定できない。
原爆放射線によって疾病の発症が促進されることは,被爆時年齢や一部の疾病に
ついては既に放影研の調査によって報告されており,その他様々な疾病についても,
その機序について裏付けが進みつつある。少なくとも,ある疾病が,被告らが主張
する二者択一の機序で発症するのか,あるいはそうでないのかは不明であるという
べきであり,このことからも原因確率の不合理性は明らかである。
(ウ) 小括
このように,審査の方針には,二重三重の問題点があり,これが被爆者の放射線
起因性を判断する基準としての合理性を有していないことは明らかである。
以下ではDS86及び放影研の疫学調査の問題点について詳細を明らかにする。
イ DS86(線量評価体系)の誤り
(ア) DS86の評価について
a DS86自身の認める限界
DS86の合理性に限界が存することは,DS86自身が,誤差の解析が不十分
で,再測定された結果による見直しを予定していることからも明らかである。
このようなことから,DS86発表以後も精力的にガンマ線及び中性子線の物理
学的測定が行われてきた。その結果,DS86と実測値との不一致は一層明確とな
り,広島でも長崎でも共通して,爆心から近距離ではDS86の推定値は過大評価
であるが,遠距離では過小評価に転じ,爆心からの距離が増大するにつれて過小評
価の度合いが拡大することが判明し,DS86の見直しが日米の科学者間で行われ
てきたのである。
b DS86の学術的な扱い
こうした状況を反映して,DS86を使用した学術論文においては,DS86が
今後変更された場合には,その研究結果が異なる旨の注釈が付されており,放射線
科学の研究者は,今後起こるであろうDS86の変更を予測しなければ,論文自体
の評価が下がるという状態におかれている(甲全27号証)。
(イ) 線量推定式の変遷
a T57D
昭和31年(1956年),アメリカ原子力委員会は,原爆放射線の人間に対す
る効果を研究するために,オークリッジ国立研究所(ORNL)を中心にした「I
CHIBAN計画」と称する核実験をネバダ核実験場で行った。この核実験のデー
タに基づいて広島・長崎の各原爆の放射線量の推定を行い「1957年暫定線量
(T57D)」が作成された。
b T65D
次に,長崎原爆と同じタイプのプルトニウム原爆を使用したり,ネバダ核実験場
に500mの塔を建てて「裸の原子炉」やコバルト60の線源を設置して,中性子
の伝播や遮蔽効果の研究が行われた。ABCC(原爆傷害調査委員会)はORNL
と協力し,さらに放射線医学総合研究所(「放医研」という。)などによる広島・
長崎原爆の放射線の測定結果と照合して「1965年暫定線量(T65D)」を作
成した。
T65Dによる放射線量は,相当正確なものとされ,誤差については,広島原爆
で±15%,長崎原爆で±10%とされていた。
ところが,T65Dによる線量評価に疑問が生じ,後のDS86によって,例え
ば,爆心から2劼涼賄世任蓮ぅンマ線が4倍に,中性子線が9分の1に大きく修
正されることになった。
c DS86
DS86は,T65Dと異なり,実験結果に基づかないコンピュータによるシミ
ュレーションである。昭和38年8月3日に調印され,同年10月10日に発効し
た「大気圏内,宇宙空間及び水中における核実験を禁止する条約」のために空気中
での核爆発実験を禁止されたアメリカが,中性子爆弾の威力を測るために作成した
コンピュータプログラムに基づく机上のシミュレーションである。しかも,軍事機
密であるため日本側に示されたのは,原爆容器を通り抜けて外部へ放出された即発
ガンマ線と中性子線の総量,エネルギー分布及び方向分布に関する計算結果だけで
あった。
このように,DS86は,実験に基づくものではなく,しかも,他の科学者等に
よる追検証も不可能なものである。こうした基本的事項が明らかになっていない線
量評価体系はそもそも信用性に乏しいというほかない。
そして,DS86について判明している内容についても,以下のとおり,実証さ
れている多くの問題点があり,学問上も信用性に問題があるものとして取り扱われ
ている。
なお,広島原爆については,ネバダ実験場でいくつか使用されたプルトニウム爆
弾である長崎原爆とは異なり,同じ型の原爆を用いた実験もなされていない。また,
原子爆弾の構造などの詳細な情報も軍事機密となっているため,広島原爆について
は不明な点が多く,原爆がどのような鉄で覆われていたのかさえ分かっていない。
DS86では,広島原爆のレプリカと称する原子炉から放出されたガンマ線量と
中性子線量を,DS86の計算値と比較した結果,よく一致したといわれる。しか
し,上記原子炉は,遅い中性子の吸収によるウラン235の連鎖反応を用いている
のに対し,原爆は,高速中性子の吸収によるウラン235の連鎖反応を用いており,
これらから放出される中性子線を比較すると,高エネルギー中性子線の割合におい
て差が生じ,この差は,連鎖反応が繰り返されることによって拡大されるので,原
子炉での実験結果を広島原爆にそのまま適用することはできない。
このように,広島原爆については不明な点が多く,DS86による評価線量が不
正確であることは明らかである。
d DS86と実測値の乖離
原爆の初期放射線の線量を測定するために,多くの科学者による研究が行われ実
測値ないし測定値が測定されている。
このように物理的手法により測定された実測値と比較して,DS86の推定値は
近距離で過大評価,遠距離で過小評価となる顕著な傾向を示している。DS86に
よる推定値は,現実の実測値と異なっているのである。
以下この点を,広島・長崎を区別し,また,ガンマ線と中性子線を区別して詳述
する。
(a) 広島原爆のガンマ線
現在では,熱ルミネッセンス(TL)法による測定技術が大きく進歩し,半世紀
も前に原爆が放出したガンマ線の線量の測定が可能になっている。
DS86報告書が発表された後の,平成4年(1992年)に長友恒人教授らに
よる熱ルミネッセンス法による測定によって,広島の爆心地から2050mでの高
い精度の実測値が得られており(長友教授ら「広島の爆心地から2.05劼砲け
る測定ガンマ線量とDS86の評価値との比較」,甲全28号証の1・2,「長友
論文」という。),この値は,対応するDS86の推定より2.2倍大きくなって
いる。この結果は,爆心地から2.05劼砲ける測定値に対し,DS86の計算
値が50%あるいはそれ以下であることを示している。
さらに,長友教授らは平成7年(1995年)に,広島の爆心地から1591m
と1635mとの間の測定も行い,すでにこの距離からガンマ線線量の実測値はD
S86の計算値からずれ始めることを確かめている(長友教授ら「爆心地から1.
59劼ら1.63劼隆屬旅島原爆のガンマ線量の熱ルミネッセンス法の線量評
価」,甲全30号証の1・2)。
このように,DS86によるガンマ線の線量推定に誤りがあることが明らかとな
ってきており,DS86報告書自体が実測値との間でズレがあることを認めている
箇所もあることから,爆心地から1000m以遠において,DS86のガンマ線推
定線量は,実際の線量よりも過小評価されていることが分かる。
ガンマ線は,直接原爆から放出されたものだけでなく,原爆から放出された中性
子が空気中の原子核と衝突した際にも生成されるが,後述のように,DS86の中
性子の推定線量が過小評価されているため,ガンマ線の推定線量も遠距離において
過小評価になってくるのである。
(b) 広島原爆の中性子線
原爆の爆発の瞬間に放出された中性子線は,空気中や地上の原子の原子核に散乱
されたり,吸収されたりして,複雑な経路を経て地上に到達するが,このように,
中性子線は複雑な振る舞いをするので,推定の困難さはガンマ線の比ではない。中
性子線についての推定線量が疑わしいということは,DS86自体に,「中性子の
測定についてのこの章の結論は,中性子線量がさらに研究が進展するまでは疑わし
いということでなければならない。」と示されていることからも明らかである
(「原爆線量再評価 広島および長崎における原子爆弾放射線の日米共同再評価」,
甲全26号証・207頁)。
熱中性子線
中性子線のうち熱中性子線の実測値測定においては,熱中性子線によって誘導放
射化された,ユーロピウム152,塩素36及びコバルト60の測定が行われてい
る。
ユーロピウム152と塩素36については実測値が自然放射線などのバックグラ
ウンドの影響を受けるため測定値との不一致を明確にすることは困難である。そこ
で,広島のコバルト60の実測値を解析し,熱中性子の近似式を求め,DS86等
と比較した結果,900mを超えるとDS86による推定線量が過小評価されてい
ることがわかった(澤田昭二名古屋大学名誉教授(「澤田教授」という。)の20
04年11月15日付け意見書(甲全102号証)・59頁,図7a)。
また,ユーロピウム152及び塩素36についても,遠距離において系統的なズ
レを生じており,コバルト60の測定値と計算値との比較をした結果からも,やは
り系統的なズレが生じていることは明白である(小佐古敏荘教授(「小佐古教授」
という。)の別件における証人尋問調書,甲全84号証の1・91,98頁)。
速中性子線
また,速中性子線に関しては,リン32とニッケル63の測定により実測値が導
かれているが,これらの測定結果にしても1000mを越える辺りからDS86が
実測値よりも過小評価になっている(小佐古教授の別件における証人尋問調書(甲
全84号証の1)・89,90頁)。そして,速中性子線はエネルギーを失いながら熱
中性子線へと変わっていくのであるから,速中性子線の過小評価は熱中性子線の過
小評価へ直結する。
以上の熱中性子線及び速中性子線の検討結果からすると,DS86による中性子
線の推定によっては実測値を説明することができないのであり,特に1000mを
越える辺りからの推定は到底採用できるものではない。
(c) 長崎原爆の熱中性子線
長崎についても,熱中性子線に関してユーロピウム152及びコバルト60の測
定が行われている。ユーロピウム152については実測値にばらつきが大きいため,
コバルト60の実測値を解析してDS86の推定値と比較したところ,やはり90
0mを越える辺りからDS86が過小評価となっている。
実測値に関して900m辺りから減少割合が緩やかになっているが,DS86報
告書におけるネバダ核実験場での長崎原爆の実験においても同様に遠距離で緩やか
に減少する成分が示されている。したがって,1000mを超える遠距離になると,
緩やかに減少する中性子線が存在することが考えられる(澤田教授「最近の原爆放
射線実測結果にもとづくDS86の評価」,甲全34号証)。
(d) 誤差の原因
DS86の中性子線量についての誤差の理由は,以下のとおりであると考えられ
る。
原爆の爆発点から放出された中性子線のエネルギー分布,すなわちソースタ
ームの計算問題について
原爆の核分裂の連鎖反応は100万分の1秒以下という短時間で終わるので,原
爆容器が崩壊する以前の段階で,放射線が容器を突き抜けて容器の外に飛び出す。
そして中性子線の一部は原爆容器や火薬などに吸収されてしまうことから外部に放
出された中性子線の量を正確に推定するためには,原爆容器や火薬等の成分や厚さ
などの詳細な情報が必要である。ところが,原爆容器の材質や火薬の量・成分など
は軍事機密ゆえに公表されていない。したがって,原爆放射線のエネルギー分布は
追検証することができず,誤りを含む可能性が否定できない(甲全5号証・107
頁)。
しかも,原爆の場合は短時間で核分裂の連鎖反応を起こさなければならないため,
連鎖反応における主要な役割を高速中性子に果たさせている。一方で,広島原爆の
レプリカを用いた実験では,原子炉という性格上,核分裂を制御する必要があるこ
とから,核分裂の連鎖反応における主要な役割を熱中性子に果たさせている。とこ
ろが,DS86報告書においては,ソースタームの計算結果が原子炉レプリカによ
る測定値と一致したと述べられている。このことは,広島原爆のソースタームが熱
中性子を中心に計算されていることを裏付けている。
したがって,広島原爆のソースタームは,高速中性子を過小評価していることに
なる。そして,高速中性子の過小評価が熱中性子の過小評価に直結することは前述
のとおりであり,このことが中性子線やガンマ線の誤差につながっていると考えら
れる。
また,同様の理由が,長崎原爆における中性子線のずれの原因として考えられる。
中性子線の伝播に重要な影響を与える湿度の高度変化について
中性子線は,空気中の水素の原子核により吸収されたり散乱したりするため,湿
度が低ければ吸収・散乱が少なくなり,より多くの中性子線が遠距離に到達するこ
とになるから,線量評価に当たっては,湿度の影響を考慮しなければならない。
ところで,DS86は,広島では,広島気象台の湿度80%という観測結果を用
いて計算をしている。しかし,江波山にある広島気象台は海と太田川に近く,原爆
投下時は満潮であったため,海や川の影響を受けた結果,気象台の測定値が周囲の
湿度より高くなっていた可能性がある。
また,長崎では,爆心より4500m南南西の海沿いにある長崎海洋気象台の測
定値71%を用いている。しかし,家屋が密集した都市の上空では海沿いとは異な
りもっと湿度は低かった可能性がある。
また,DS86では,上空1500m,半径2825mで計算領域が限定されて
いることから上空の空気中の原子核で反射して地上に到達した中性子の寄与は遠距
離でかなり増大する可能性がある。
さらに,気象台のある地表付近では湿度が高かったとしても,上空では湿度が低
かったとも考えられる。当日と同じ気象条件の日を選んで行われたラジオゾンデに
よる気象観測では,地上500m前後に逆転層が生じていた可能性を示唆する研究
報告もある(甲全29号証・11頁)。
ボルツマン輸送方程式に基づくコンピュータ計算における区分の設定につい

DS86は,広島原爆についても長崎原爆についても,ボルツマン輸送方程式を
採用しており,上記△里箸りの気象条件と,爆心地から半径2825m,高さ1
500mの円筒の内部という境界条件の下で計算している。
そのため,ある一つの要因で一旦計算値にずれが生じると,ずれは次々に累積・
拡大してしまう結果,実測値との乖離が生じている可能性がある。
(e) 小括
以上のとおり,実際に人体に降り注いだ放射線は,DS86による推定と,特に
遠距離では大きく異なるものである。広島ではDS86による推定線量の数十ない
し数百倍の放射線の影響があったことになる。
e DS02の問題点
被告らは,新たな線量評価体系であるDS02の策定過程において,DS86の
合理性が確認されたと主張する。
しかし,DS02には,以下のとおり多くの問題点がある。
(a) 未完成であること
DS02は2002年にできたことからDS02と呼ばれている。ところが20
05年5月現在,DS02報告書の総括すらできていない未完成の状態である。
4年も経って完成すらしないものに基づいて議論せざるを得ないこと自体,初期
放射線推定式のあいまいさや欠陥を表すものである。
(b) DS02の不正確さ
高速中性子線について
DS02では,高速中性子線についての新たな測定結果を用いている。この測定
結果などに基づいて,DS02が合意されるに至ったものであり,DS02策定に
おいて大きな役割を果たすものであった。
ところが,その策定に関与した小佐古教授は,高速中性子線に関する測定につい
て,遠距離,すなわち1400m以遠については線量評価として役に立たないと述
べている(小佐古教授の別件の証人尋問調書(甲全84号証の2)35,36頁)。
また,DS86同様,近距離で過大評価,遠距離で過小評価となっていることが
確認されており,とりわけ遠距離におけるずれはDS86よりも拡大しているので
ある。
液体シンチレーション法(加速器質量分析法に比べてもその信頼性が確認されて
いる測定方法)によるニッケルの測定も実施されているが,そこでも広島における
爆心地より1500m地点での実測値が計算値を上回っている。
さらに,バックグラウンドの評価もずさんであり,DS02の基となったストロ
ーメらの論文では,バックグラウンドの数値に恣意的な操作がなされている。
ガンマ線について
ガンマ線については,1500m以遠では,測定値が計算値より系統的に上にず
れていることが確認されている(甲全84号証の2・22頁,23頁)。
熱中性子線について
熱中性子線については,コバルト60もユーロピウム152も,遠距離では測定
値が系統的に実測値を上回っており,計算値が実測値で裏付けられていないのであ
る(甲全84号証の1添付資料35,43,甲全102号証の1・59頁)。
(c) 小括
以上のとおり,被告らによる遠距離における初期放射線の計算値は,実測値を大
きく下回る事が明らかになっており,遠距離においてDS86は,まったく適用性
を失っているのであって,それに基づいた原因確率も統計学的な意味でさえ役に立
たないことが明らかである。
(ウ) 現実に起きた現象とDS86及びDS02との乖離
a はじめに
原爆投下直後から現在に至るまで,被爆者を対象として様々な健康調査が行われ
ており,急性症状に関しても多数の調査が行われている。
そして,これら急性症状に関する調査の結果は,。沖勸扮鵑里い錣罎覬鶺離被
爆者にも急性症状が発症していること,入市被爆者にも急性症状が発症している
ことを明らかにしている。
急性症状は,被爆者が放射線を浴びたことの一つの目安となるものであり(放射
線を浴びたからといって絶対に急性症状を発症するものでもない。),遠距離被爆
者や入市被爆者に急性症状が発症しているという事実は,これらの被爆者が多量の
原爆放射線を浴びたことを裏付けている。特に脱毛の発生は,被爆の障害重度さを
示唆するものとされている(甲全80号証・5頁)。
ところが,DS86においては,初期放射線及び一部の残留放射線が考慮されて
いるだけであり,これらの線量評価では,遠距離・入市被爆者に急性症状が生じた
という現実を説明することはできない。
そこで,遠距離被爆者及び入市被爆者に急性症状が発症している事例について検
討を加え,DS86における初期放射線推定の誤り,及び,DS86報告書におけ
る残留放射線の評価の不当性について明らかにする。
b 遠距離被爆者の放射線影響
(a) 日米合同調査団
三根真理子長崎大学医学部助教授は,平成10年6月7日に開催された原爆後障
害研究会において,日米合同調査団の記録を調査した結果,典型的な急性症状であ
る脱毛は,2.1〜2.5劼韮.2%,2.6〜3劼韮.1%,3.1〜4劼韮.
3%,4.1〜5劼任癸.4%,紫斑は2.1〜2.5劼韮.9%,4.1〜5劼
も0.4%の発症が見られ,遮蔽の有無によっても差があると報告した(甲全6号
証)。
(b) 東京帝国大学医学部の調査
東京帝国大学医学部の調査によれば,広島における3勸米發糧鑁者4406名
(男2063名,女2343名)のうち,2.1〜2.5劼巴棒5.7%,女性7.
2%,2.6〜3劼巴棒0.9%,女性2.4%に脱毛の発症が見られたとする
(甲全77号証の7・551頁,第20表)。
(c) 於保論文
於保源作医師の「原爆残留放射能障碍の統計的観察」(甲全7号証,「於保論
文」という。)によれば,「原爆直後中心地に入らなかった屋内被爆者の場合」は,
熱線や爆風の影響が小さく,また,残留放射線の影響も小さく,初期放射線の影響
を比較的よく表しているといえ,この場合でも,2劼韮械亜鵑竜淦症状有症率が
あり,3勸扮鵑砲いても多くの急性症状が発症している。
また,中心地への出入りのない2勸扮鵑任蓮げ鯵鞍鑁者が屋内被爆者に比較し
て顕著に有症率が増加している。屋内被爆と屋外被爆とでは,遮蔽状況の違いがあ
り,遮蔽がない屋外被爆者に有症率が高いということは,人体に影響を与える多量
の放射線が2勸扮鵑留鶺離にまで到達していることを物語っている。
さらに,爆心地から1劼涼羶潅呂暴估りした被爆者は,4勸扮鵑砲いても2
0%以上の有症率を示している。このことは,中心地への出入りにより強い放射線
を浴びていることを裏付けており,中心部付近の残留放射線の影響が非常に大きか
ったことを物語っている。
(d) 放影研の調査
放影研の調査でも2劼ら3劼任癸魁鵑法ぃ貝勸扮鵑任癸院鵑肪μ咾みられて
いる(甲全84号証の24・82頁)。
(e) 横田らによる2つの調査
長崎大学医学部の横田賢一らは,長崎の被爆者3000人を対象に急性症状の発
症率の調査を行い,平成12年に発表した「被爆状況別の急性症状に関する研究」
(甲全85号証の19)において,被爆距離が4厂にの1万2905人(男53
16人,女7589人)を対象に脱毛の発症頻度を調査しているが,これによって
も,2勸扮鵑留鶺離において脱毛の発症が観察されており,しかも,遠距離にお
いても遮蔽の有無により脱毛の発症率に差が出ていることから,やはり遠距離にも
放射線が到達したことを物語っている。
(f) 「原子爆弾災害調査報告書」における剖検例
「原子爆弾災害調査報告集」の「原子爆弾症(長崎)の病理学的研究報告」(甲
全85号証の26・1244頁)のなかには,長崎原爆において,原爆投下から約1か
月後に死亡した被爆者の詳細な解剖所見が報告されている。ここには,DS86で
は,ほとんどあるいは全く放射線が到達しないとされている2000mから300
0mでの被爆でありながら,放射線被曝特有の症状を呈して死亡した例が,3例報
告されている。
(g) 濱谷分析
一橋大学の濱谷正晴(「濱谷教授」という。)は,昭和50年の被団協の被爆者
調査を分析した(「『原爆被害者調査』の結果に関する分析データ集」等,甲全7
3号証の2,「濱谷分析」と総称する。)。この分析によれば,被爆距離3卍兇
も40.5%にのぼるものに急性症状が発症している(甲全72号証の1)。
(h) 梶谷鐶・羽田野茂による報告
齋藤紀医師(「齋藤医師」という。)の意見書(平成18年6月17日付け「齋
藤意見書(甲第77号証・甲第78号証)に対する被告批判に反論する」,甲全9
8号証)にて引用されている梶谷鐶・羽田野茂による報告(「原子爆弾災害調査報
告(広島)」)によれば,2.1ないし2.5劼韮后ィ械粥鵝ぃ押ィ兇覆い沓魁
0劼韮魁ィ毅検鵑亮圓砲い錣罎覽淦症状が発症しており,被爆距離との相関性も
確認されている。
(i) 調来助教授らの研究
自らも被爆しながら救護活動に奔走した長崎医大外科の調来助教授らが昭和20
年10月から12月にかけて調査した記録(「長崎ニ於ケル原子爆弾災害ノ統計的
観察(抄録)」,甲全8号証の1・7頁,文献4)では,被爆距離2ないし4劼
被爆した2828人のうち2.7%に脱毛があり,うち2名は急性期に死亡してい
ることが記載されている。
(j) インゲ・シュミット・フォイエルハーケの研究等
2.5勸扮鵑砲ける初期放射線量はT65Dでは9rad未満と低線量であるが,
この低線量被曝者群の各疾患について全国の死亡率と発症率を用いて標準化した相
対リスクを求めると,以下のとおり明らかに過剰になっている(市内不在者グルー
プの外部被曝線量は更に低線量であるが,死亡率や発症率は増加している。)。
例えば,白血病の死亡率は約1.6倍となり,呼吸器がんの死亡率では1.4倍
(市内不在者グループは1.3倍),乳がんの発症率でも1.5倍(市内不在者グ
ループは1.6倍)となっている(「原爆被爆者の線量評価の再評価と放射性降下
物の寄与の問題」,甲全54号証の1・2)。
(k) 佐々木及び宮田らの研究
染色体異常について,屋外で被爆したグループと木造の家屋によって遮蔽された
グループ,コンクリートによって遮蔽されたグループ,2.4勸扮鵑離哀襦璽廚
比較した研究の結果によれば,遮蔽の有無により染色体異常の発生頻度が変わり,
被曝線量との関係が推認されるが,2.4勸扮鵑離哀襦璽廚砲いてもコントロー
ル群の頻度よりかなり高い(「原爆被爆者の生物学的線量評価」,甲全53号証の
1・2)。
(l) 最高裁平成12年7月18日判決の事例
最高裁平成12年7月18日判決(裁判集民事198号529頁,「平成12年
最高裁判決」という。)の原告は2.45劼波鑁しているが,脱毛や下痢といっ
た急性症状を発症している。また上記最高裁判決では,長崎市内の爆心地から約2.
9卉賄澄ぬ鵤押ィ喚卉賄正擇咤押ィ記卉賄世波鑁した遠距離被爆者の事例が指摘
されている。
(m) まとめ
このように,DS86やDS02に基づけば放射線がほとんど到達していないと
される2勸扮鵑砲いても,様々な急性症状の発症が確認されている。このことは
動かし難い事実であり,DS86及びDS02によって推定された放射線量によっ
ては説明がつかないのである。
これに対し,審査の方針の策定に深く関わった児玉教授は,3勸扮鵑亮圓棒犬
た脱毛が放射線以外の要因,例えば被爆によるストレスや食糧事情などを反映して
いるかもしれないと指摘する(乙全99号証・35頁)。
しかし,上記各調査結果によれば,遮蔽の有無によって発症率が異なるのである
から,ストレスや食糧事情などの影響は考えられず,初期放射線被曝の影響がこの
ような遠距離まで及んでいたと考えざるを得ないのである。
なお,大規模空襲に遭った他の戦争被害者も惨状を目の当たりにしているが,こ
れら空襲被害者に脱毛等の急性症状様の症状が出たとの報告はない。したがって,
遠距離被爆者の急性症状がストレスや食糧事情による影響とは考え難い。
c 入市被爆者の放射線影響
(a) 賀北部隊
「ヒロシマ・残留放射能の四十二年」(乙全31号証)には,広島地区第十四特
設警備隊(いわゆる賀北部隊)の工月中隊に所属した隊員99名に対するアンケー
ト等の調査結果が記載されている。これらの隊員は,原爆投下後の昭和20年8月
6日深夜から同月7日昼ころにかけて西練兵場に到着し,同日ころから第1,第2
陸軍病院,大本営跡,西練兵場東側,第11連隊跡付近で作業に従事したものであ
るが,以下のような急性症状を発症した者が32名もいたのである(うち10名が
2症状,3名が3症状を訴えていた。)。
急性症状の内訳は,出血が14人,脱毛が18人,皮下出血が1人,口内炎が4
人,白血球減少症が11人であった。このうち,放影研は,脱毛6人(うち3分の
2以上頭髪が抜けた者が3人),歯齦出血5人,口内炎1人,白血球減少症2人に
ついて(これらのうち2人は脱毛と歯齦出血の両症状が現れていた。),ほぼ確実
に放射線による急性症状があったとしている。
(b) 於保論文
於保医師の調査でも,原爆投下の瞬間には広島市内にいなかった被爆者で,原爆
直後中心部に出入りした人について,「急性原爆症同様の症状」のあったこと,し
かも中心地滞在時間の長い者に有症率が高いことが報告されている。
(c) 広島原爆戦災誌
広島原爆戦災誌編集室が昭和44年にとったアンケート調査(「残留放射能によ
る障害調査概要」)では,入市被爆者の急性症状が明らかにされている(甲全49
号証,乙全31号証・46頁以下)。
アンケートの対象者は,原爆投下時に爆心地から12匍擇嗅鵤毅悪劼涼賄世砲
た部隊の被爆者であり,いずれも初期放射線の影響は考えられず,純粋に残留放射
線に被曝しているといえる。年齢は,主に当時18歳ないし21歳の健康な男子青
年である。原爆投下の当日ないし翌日に救援のために入市し,負傷者の収容,遺体
の収容・火葬,道路・建物の清掃などの作業に従事した。救援活動中の症状として
は,8月8日ころから,下痢患者が続出し,食欲不振を訴えている。また,救援終
了後に基地に帰ってからは,軍医により「ほとんど全員が白血球3000以下」と
診断され,下痢患者も引き続きあり,発熱,点状出血,脱毛の症状が少数ながらあ
ったとされている。
これらの入市被爆者に生じた症状は,放射線の急性期障害と符合しており,入市
被爆者がかなりの量の放射線を浴びたことが裏付けられている(「原爆放射線の人
体影響1992」(乙全14号証)によれば「放射線被曝による主要な急性障害は,
脱毛,紫斑を含む出血,口腔咽頭部病変および白血球減少である。」「亜急性症状
の主なものは,吐き気,嘔吐,下痢,脱毛,脱力感,倦怠,吐血,下血,血尿,鼻
出血,歯茎出血,生殖器出血,皮下出血,発熱,咽頭痛,口内炎,白血球減少,無
精子症,月経異常などであった。」とされている。)。
(d) 三次高等女子学校の入市被爆者
昭和20年8月19日から25日まで広島市の本川国民学校(爆心地から約35
0m)に被爆者救護隊として派遣された広島県立三次高等女学校の生徒のうち,氏
名等が判明した23名に対し急性症状等の調査がされた(甲全82号証)。
このうち,生存者10名に対する調査では,本人が認知症であることなどから調
査が未了となっている3名を除けばほとんど全員(7名中6名)に脱毛,下痢,倦
怠感等の急性症状が発症していることが明らかになった。しかも,この23名中白
血病を発症した者が2名もいるのである。さらに,死因が判明した死没者(11
名)のうち,7名ががん(白血病2名,卵巣がん,肝臓がん2名,胃がん,膵臓が
ん)により死亡しているのである。
(e) 齋藤医師による報告
齋藤医師が,日本原水爆被害者団体協議会(被団協)アンケート調査結果を,被
爆時在住地が爆心地から4勸扮鵑如い修慮綰心地から2勸米發貌市した事例を
集計したところ,約10%に当たる29例について脱毛の症状があったことが明ら
かになった(「入市被爆者の脱毛について」,甲全80号証,「齋藤報告書」とい
う。)。
そして,その結果を分析すると,被爆当日や翌日の入市者においては,脱毛は珍
しくない事象であり,入市日が後期であっても,市内移動が繰り返される場合,放
射線被害が出現しうることが示唆されており,爆心地から離れた地点(約1.8
辧砲悗瞭市者でも複数の脱毛事例が報告されているのであって,被爆後一定期間
経過した後も,広島市内(約2辧飽豈澆話μ咾鬚發燭蕕垢茲Δ癖射能汚染が継続
していたと考えられる。
(f) 田中煕巳の意見書
被団協の事務局長である田中煕巳の意見書(2005年3月25日付け「広島・
長崎原爆の入市被爆者・遠距離被爆者の放射線障害に関する意見書」,甲全77号
証の1)には,夫の安否をたずねて爆心地付近を捜索して残留放射線に被曝し,急
性放射線障害で死亡した事例,遠距離(3.6辧砲波鑁して爆心地で捜索活動を
した結果,やはり急性原爆症で死亡した事例,遠距離(3.2辧砲波鑁して翌日
から爆心地に滞在し,急性原爆症で苦しんだ事例が紹介されている。
(g) 入市被爆者の「急性症状発症率」について
濱谷分析では,入市被爆者の急性症状の発症率,その症状の重さ(発症個数)を
調査している。それによれば,38.8%に急性症状が発症し,そのうち発症個数
が16個のうち5から7個もあった者が約20%もあったことが示されている。こ
れは,被爆距離3卞發糧鑁者とほぼ同率であり,入市被爆者であるからといって,
急性症状が発症しなかったとはいえないことを表している(甲全72号証の1・
17,18頁,73号証の1)。
(h) まとめ
このような入市被爆者に生じた急性症状についても,DS02やDS86では説
明ができない。
d 遠距離被爆者,入市被爆者の急性症状が放射線の影響であること
上記のように,あらゆる調査結果において,遠距離被爆者,入市被爆者にも,急
性症状が発生していることが明らかである。
この点に関し,被告らは,脱毛等の症状が必ずしも放射線の影響とは限らないと
主張する。
しかし,放射線以外の原因として,例えば,惨状を目撃したことによるストレス
や,栄養障害を考えても,原爆投下当時,同様の食糧事情の中,日本各地で大規模
空襲があり,それぞれ大惨事となり,多くの人が惨状を目の当たりにしているにも
かかわらず,これらについては脱毛の報告はない。
しかも,ストレスや栄養障害が原因であれば,惨状を経験した人全員に等しく生
じるはずであるところ,爆心地から離れるにしたがって発症率が漸減していること,
遮蔽の有無によって発症率が異なること,入市被爆者についても,爆心地付近への
出入り,滞在時間の長さによって差が出ることが明らかにされているのである。こ
うしたことからすれば,上記に挙げた急性症状は,放射線の影響と考える以外ない
のである。
こうした事実については,放射性降下物,誘導放射能といった残留放射能の影響,
内部被曝の影響を十分に考慮しなければ合理的な説明ができるものではない。
(エ) 放射性降下物の降下範囲について
a 放射性物質を含んだ「黒い雨」や「黒いすす」,放射性微粒子がかなり広い
地域に降下したことは明らかであり,このように広範な地域に降下したからこそ,
これらの放射性降下物や爆心地付近の誘導放射能が,遠距離被爆者,入市被爆者に
放射線を浴びせたであろうことが容易に考えられる。
実際,被爆後5日目に爆心地から2勸扮鵑療賣兵場採取の砂で写真乾板が感光
したこと,同日爆心地から0.5劼寮称兵場採取の砂で多量の放射線が計測され
ていることも報告されている。人体の誘導放射化も報告されており,瀕死の被爆者
の看護に携わったり,多数の被爆死した遺体の火葬・埋葬に従事した遠距離被爆者
や入市被爆者が,多量の放射能を浴びたことも十分に想定できる(甲全80号証・
9頁)。以下,放射性降下物の降下範囲について詳論する。
b 「黒い雨」の降雨地域
「黒い雨」が降った範囲についての最初の報告は,宇田道隆らによる昭和28年
の「気象関係の広島原子爆弾被害調査報告」(甲全86号証の2,「宇田論文」と
いう。)である。宇田らは,170個の資料に基づき,長径29辧っ桟贈隠記劼
長卵形の雨域を報告した(「宇田雨域」という。宇田論文・106頁)。
しかし,激しい雷であるとか積乱雲が発生したような場合には,非常に不規則な
形で雨が降り,特に川や山などの地形の影響も受ける。原爆投下後の気象状況も同
様であって,「黒い雨」においても,激しい雷があったこと,川筋ごとに強い竜巻
が起こったこと等が認められているので,降雨域は不規則な形になるのが当然であ
り,きれいな卵形の範囲に雨が降ったとは考えにくい。
長年気象研究所に勤務し数値予報の研究に携わってきた増田善信は,平成元年,
入念な調査によって「黒い雨」の新たな雨域(「増田雨域」という。)を発表した
(「広島原爆後の“黒い雨”はどこまで降ったか」,甲全86号証の9,「増田論
文」という。)。
増田論文が基礎としたのは,宇田論文の基礎資料の他,広島県の調査資料(1万
7369人が回答したものの調査報告),72人からの聴取調査,アンケート調査
1188枚,手記集,記録集から358点の資料など,2000を超える豊富なデ
ータである。しかも,記憶の希薄化や原爆医療法上の健康診断特例地域の拡大運動
との関係から,増田は慎重に,相互に矛盾のない回答を得るために雨の降り方を3
種類に分け,聴き取り調査に参加した人にもアンケートを提出してもらうよう努め,
こうして集められたデータを信用度の違いなどから総合的に吟味し,大学ノート2
冊にまとめ上げた(甲全86号証の1・18・19)。
このような緻密な資料整理の下に慎重に確定された増田雨域は,爆心より北西約
45辧づ貔省向の最大幅約36辧ぬ明冖鵤隠横毅㎢に達し,宇田雨域の約4倍
にもなった。それでも,増田自身が認めるように,爆心地の東側や南側の資料はほ
とんどないため,今後これらの地域が雨域に含まれる可能性も否定できない。
また,「黒いすす」や「放射性微粒子」が降下した範囲は,ほとんど目に見えな
いものも多かったことから,「黒い雨」の降下範囲よりも広かったことはいうまで
もない。
c 増田雨域の検証
(a) 静間論文との符合
静間清博士は,広島原爆投下3日後に仁科芳雄理化学研究所長らが爆心地から5
勸米發涼賄世悩亮茲靴殖横恩弔了醂舛妊札轡Ε爍隠械靴寮彩測定を行い,11個
のサンプルでセシウム137を検出した上で,降雨域と比較して報告した(「広島
原爆の早期調査での土壌サンプル中のセシウム137濃度の放射性降下物の蓄積線
量評価」,甲全13号証の1・2,「静間論文」という。)が,その結果は,増田
雨域とよく一致した。
(b) 藤原武夫らの報告との符合
広島文理科大学の藤原武夫博士らは,昭和24年に旧ソ連が核実験を開始する前
である昭和20年から昭和23年にかけて広島の残留放射能を調査した(「広島市
附近における残存放射能について」,甲全86号証の5)。
この調査結果は増田雨域とよく符合し,これと矛盾しない形で等値線を引くこと
が可能である。
このように,増田雨域は,原爆投下後から世界中で核実験が開始されるまでの間
に採取された貴重なデータとよく符合するのであって,「黒い雨」による残留放射
能の影響のある地域をよく示している。
d 「黒い雨に関する専門家会議報告書」
これに対し,被告らは,昭和63年,広島県と広島市が資金を出し合って設置し
た「黒い雨に関する専門家会議」による「黒い雨に関する専門家会議報告書」(乙
全20号証)を主な根拠として,広島の己斐・高須地域,長崎の西山地域以外に降
った雨に放射性降下物が含まれていたことが裏付けられていないと主張する。
しかし,同報告書の資料編における気象庁気象研究所の吉川友章による数値シミ
ュレーション(「気象シミュレーションによる広島原爆の放射性降下範囲につい
て」,資料編29頁以下,「吉川論文」という。)は,次のとおり,多くの問題点が
あるため,同報告書は全く信用できない。
(a) キノコ雲の高度
吉川論文では,雲頂高度は8080mであるとされているが,これが過小である
ことは,「黒い雨に関する専門家会議」の重松逸造座長自身が原爆雲の高さが12
劼肪したとしていることやその他の資料から明らかである(甲全5号証・138頁
以下)。
しかも,吉川論文の根拠とされた写真は,写真下部が切り取られ,キノコ雲の高
さが低くなるように改ざんされており,到底信用に値しない。
(b) 火災の燃焼率
吉川論文において,火災の燃焼率の時間配分は,はじめの2時間までは60%,
それ以降は1時間毎に20%,15%,5%とされ,5時間で燃え尽きるとされて
いる。
しかし,広島気象台の記録では最も火災の強かったのは11時から12時までで
あり,また最も強い雨が観測されたのも11時から12時であった。そのほか,宇
田論文によれば,火災は9時ころから大きくなり,10時から14時ころにかけて
最も盛んで,8月6日午後にはほとんど全市が火災の煙に包まれていたとされてい
る。したがって,宇田の報告の記載などからすれば,10時ないし14時ころに最
も強い上昇気流がシミュレートされていなければならない。しかし,吉川による報
告では上昇気流が最も強いのは,9時と10時となっており,11時にはすでに弱
くなっており,このような燃焼率の与え方が適切でなかったことを表している。
したがって,吉川論文は実態を反映したものではなく,この点においても誤って
いる。
(c) 原爆雲の想定と実態のそご
吉川論文は,原爆雲と粉塵,火災炎が分離されていることが前提となっている。
しかし,砂漠での実験とは異なり,現実に原爆が投下された地域には建造物など様
々な物があり,衝撃塵も土砂には限られない。
(d) 不適切な計算範囲
吉川論文では1劼粒併凖世鮖藩僂靴討い襪,これでは局地的な上昇気流を反映
することができない。
また,吉川論文の目的は宇田雨域と増田雨域の検証にあったはずであるにもかか
わらず,その計算範囲(30辧滷苅悪辧砲任蓮ち田雨域は収まらない。
(e) モデルの不適切さ
吉川が行った数値シミュレーションは,いずれも,静力学の式を使った「中規模
スケールの海陸風数値計算モデル」を使用している。このモデルでは,水平方向の
気流の収束による弱い上昇気流しかシミュレートすることができない。
そのため,吉川は,強烈な上昇気流が発生した原爆投下後の状況をシミュレート
するモデルとしてはそもそも不適切なものを使用していたのである。
(f) 恣意的な「補正」
このように,吉川論文は,シミュレーションにとって重要な初期値・境界条件も
モデルもいずれも不適切なまま行われたものである。
(g) 膨大な「ケアレスミス」
吉川論文は,爆心地の場所,長崎原爆の爆発高度が60mとされていること,地
表面温度の欠落,熱力学の式の欠落,方程式の解の不代入などのケアレスミスが多
く,計算の正確性に疑問が残る。
e 「黒い雨に関する専門家会議報告書」に関するその他の問題点
(a) 「広島原爆の残留放射能の検討(物理学面の検討)」など
「黒い雨に関する専門家会議報告書」(乙全20号証)には,吉川論文の前に4
編の報告が掲載されているが,これらはいずれも,いわば「不可知論」に持ち込ん
で「黒い雨」の影響を否定しようとするものに過ぎず,これらをもっては「黒い
雨」(そして「黒いすす」)と放射性降下物が同じものとはいえないという被告ら
の主張を理由付けることはできない。
(b) 体細胞突然変異及び染色体異常
「黒い雨に関する専門家会議報告書」には,「体細胞突然変異頻度」及び「染色
体異常を指標とする放射線被曝の人体に対する影響の評価」と題する報告も掲載さ
れている。
これらは,「黒い雨」に打たれていない人たちを対照グループとして,「黒い
雨」に打たれた人に体細胞突然変異や染色体異常がどれだけ多く発生したかを検討
したものである。
しかし,対照グループとされた宇品等に在住していた人々が仮に「黒い雨」に打
たれていなかったとしても,「黒いすす」などにより被曝をしていた可能性は十分
にあるのであって,これらの報告は被爆者という点では同じ人を比較している。そ
のうえ,サンプル数も限定的なものである。
したがって,これをもっても,「黒い雨」と放射性降下物が同じものとはいえな
いという被告らの主張を理由づけることはできない。
(c) 「広島および長崎における残留放射能」の問題点
被告らは,放射性降下物が特に見られた地域は,広島では己斐,高須,長崎では
西山地区という限定された地域であるとして,EDWARD T.ARAKAWAの「広島および長
崎における残留放射能」(乙全17号証)を掲げる。
しかし,上記論文の記述は,放射性降下物と地上で誘導放射化された物とを区別
しておらず,正確性を欠いている。
f 「黒い雨」「黒いすす」に関するまとめ
以上に加え,一般には,放射性降下物の測定は,あくまでも測定時点で地上に残
っていた放射性降下物を検出できるに過ぎず,被爆直後から測定時点までに風雨に
よって除去されたものは測定できないことから,放射性降下物の影響があるのは広
島では己斐・高須地域,長崎では西山地域に限られるとする被告らの主張は,合理
的根拠を欠くものであることは明白である。
長崎については,広島での宇田らや増田のような研究が十分に行われていないが,
西山地域以外の場所でも放射性降下物の影響が否定できない。のみならず,放射性
降下物以外には原因を見いだせない数々の実態があることは既に述べたとおりであ
る。
したがって,これらの上記各地域にいなかったとしても,各被爆者の行動や被爆
後の健康状態などから外部被曝・内部被曝の契機の有無を慎重に検討しなければな
らない。
(オ) 内部被曝の影響は無視できないこと
a 内部被曝の契機
以上述べてきたように,「黒い雨」「黒いすす」は広範囲に分布していた。そし
て,身体の外側にある線源から放射線被曝することを外部被曝というのに対し,身
体内部にある線源から放射線被曝することを内部被曝という(甲全88号証の3・
10頁)。
「黒い雨」や「黒いすす」に含まれた放射性物質が体表に付着した場合には外部
被曝の原因になり,経皮侵入すると内部被曝の原因にもなる。
放射性物質が人体内に侵入する経路としては,(射化した飲食物や放射性物質
が付着した飲食物を摂取する(経口摂取),空気中に浮遊している放射性物質を
吸引して摂取する(吸入摂取),H乕罎篏口を通して直接人体内に入り込む(経
皮摂取)という3つの経路がある。
放射性物質が人体内に入った場合,その一部は人体のメカニズムにより体外に排
出されるが,残りは体内にとどまって人体内で放射線をまき散らすことになる。
ミクロン程度の大きさの微粒子でも何百万個,何百億個の放射性原子核を含んで
いるとも考えられ,微粒子の周辺の細胞は,次々と放射線を浴びるので,局所的に
は極めて高線量の被曝をすることになり,更に,一瞬の出来事である外部被曝と異
なり,微粒子周辺の細胞は,細胞分裂の全過程中,放射線感受性の強い時期,弱い
時期を通じて継続的に被曝することになるのである。すなわち,被爆者は,体内に
入った放射性物質によって継続的に被曝し続ける状態に置かれているのである。
したがって,原爆放射線の人体影響については,以下のとおり,初期放射線によ
る外部被曝だけではなく,放射性降下物や誘導放射能による被曝,とりわけ体内被
曝が深刻かつ重大な影響になっているのであり,これらを無視する線量評価は明ら
かに誤っているというほかない。
b 内部被曝の深刻さ
内部被曝は,下記のとおり,外部被曝とは異なった特徴を有する(甲全88号証
の3)。
第1に,放射線が生体を透過するときにDNAを傷つけることはよく知られてい
るが,体内に放射性物質があるときには,細胞の至近距離に線源があることになる。
とりわけガンマ線のように飛程の長い放射線の場合には,線量は線源からの距離に
反比例するので,外部被曝に比べ,内部被曝の影響は格段に大きくなる。
第2に,内部被曝で重要なのは飛程の短いアルファ線やベータ線である。アルフ
ァ線の飛程は0.1价碓未任△蝓ぅ戞璽神の飛程も1冂度であるが,これらの
放射線を放出する核種が体内に入ると,この短い飛程の放射線のエネルギーがほと
んど細胞に吸収される。放射線のエネルギーはほとんどの場合に100万eV(エレ
クトロンボルト)単位で表されるほど巨大なものである。こうしたエネルギーが細
胞に吸収されることによって,DNAの二重らせんが多数破壊される。ことにアル
ファ線の生物学的効果比は大きく,1Gyで10〜20Svにもなる。このように,ア
ルファ線は短い飛程距離の中で集中的に組織にエネルギーを与えて多くの遺伝子を
切断するだけでなく,電離密度が大きいために,DNAの二重らせんの両方が切断
され,その後誤った修復を誘発する可能性が増大する。
第3に,例えば放射性ヨウ素なら甲状腺,放射性ストロンチウムなら骨組織,放
射性セシウムなら筋肉と生殖腺というように,核種によって濃縮される組織や器官
が特異的に決まっているため,特定の体内部位が集中的な内部被曝を受けることに
なる。
第4に,体内に放射性核種を取り込み,その核種が体内に沈着・濃縮されたとす
ると,その核種の寿命に応じて内部被曝が続くことになる。
この点は,放射線源から遠ざかれば放射線被曝を止めることができる外部被曝と
根本的に異なる。たとえば,半減期が28年のストロンチウム90が骨組織に沈着
すると,ベータ崩壊を繰り返し,また,ストロンチウム90が崩壊して生じるイッ
トリウム90もベータ線を放出するため,体外に排出されるまで長年にわたって,
その周辺部位にベータ線による内部被曝が続くのである。しかも,ある細胞がアル
ファ線に被曝した場合には,その近傍にある細胞にも放射線影響が見られる(バイ
スタンダー効果,甲全67号証・11頁)。
c 人工放射性核種の生体濃縮
原爆投下後には,コバルト60,ストロンチウム90,セシウム137などの,
天然には存在しない人工放射性核種が多数生成された。カリウム40やラドンなど
自然界にも存在する放射性核種は,人類の進化の過程で獲得した適応能力によって
生体内で濃縮することはないのに対し,人工放射性核種は生体内で著しく濃縮する。
d 被爆者の内部被曝の根拠
広島原爆ではウラン235,長崎原爆ではプルトニウム239が核分裂物質であ
ったが,これらが中性子の作用で原子核分裂反応を起こした結果,放射能をもった
多種多様な「核分裂生成物」ができた。これらの放射性核分裂生成物は俗に「死の
灰」と呼ばれることもあるが,周辺に降下して地面に降り積もったり,呼吸や飲食
等を通じて被爆者の体内に取り込まれたりした。これらの放射性核分裂生成物は,
主としてベータ線やガンマ線等の電離放射線を放出し,直接の被爆者だけでなく,
入市被爆者の被爆の原因になった。
さらに,広島原爆に仕込まれた約60圓噺世錣譴襯Ε薀鵤横械気里Δ繊ぜ尊櫃
核分裂反応を起こしたものは700g程度で,59坩幣紊離Ε薀鵤横械気浪亠紊
ともに上昇して風に運ばれながら,周辺地域に降下したと考えられる。また,長崎
原爆に仕込まれた約8圓離廛襯肇縫Ε爍横械垢里Δ繊ぜ尊櫃乏吠裂反応を起こし
たものは1ないし1.1圓班床舛気譴討い襪里如せ弔蠅量鵤鍬圓離廛襯肇縫Ε爍
39は,火球とともに上昇して風に運ばれながら,周辺地域に降下したと考えられ
る。これらの未分裂の核分裂物質もまた呼吸や飲食を通じて体内に取り込まれ,人
々の内部被曝の原因となったと考えられる。ウラン235やプルトニウム239は
自らアルファ線を出すだけでなく,次々と種類の違う放射性原子に姿を変えながら,
アルファ線,ガンマ線,ベータ線等を放出するので,体内に取り込まれて骨組織等
に沈着すると,長期間にわたって被曝を与え続けるおそれがある(甲全51号証・
28ないし30頁)。
そして,特に,遠距離・入市被爆者の急性症状の現実を見ると,これらの被爆者
が放射線の影響を受けていることは明らかであり,この現実を合理的に説明するに
は内部被曝の影響を考えざるを得ない。したがって,被爆者が放射性物質を体内に
取り込んで内部被曝していることは明らかであり,放影研がこれを無視しているこ
とは不当である。
e 内部被曝の影響
親族の安否を尋ねて入市した人達が,崩壊建造物を取り除き,土壌を払いのけて
身内を捜し求めているとき,瓦礫や土壌からの塵埃等が入市者の身体に付き,時に
は呼気とともに気道深く取り込まれることも十分に想定することができる。そして
身体に取り込まれた放射性物質が,体内に取り込まれ臓器の近くで長期間にわたっ
て直接放射線を浴びせ,体外からの初期放射線等よりも大きな影響を与えたであろ
うことも十分に考えられる。
DS86,DS02では,このような残留放射線,内部被曝の影響をほとんど無
視しているため,現実に起きた事象を説明できないのである。
f 澤田教授による残留放射線影響の推定
澤田教授は,於保論文における屋内で中心部に出入りをしていない被爆者につい
ての急性症状の発症率と,「原爆放射線の人体影響1992」(乙全14号証)に
おける急性症状の発症率から解析した被曝線量と急性症状の関係から,被曝距離と
放射線の影響の力との関係を解析している(甲全51号証,52号証)。
その結果によれば,残留放射線や内部被曝の影響がきわめて大きいものであるこ
とは明白である。
また,澤田教授は,佐々木及び宮田による染色体異常の発生頻度の研究論文であ
る「原爆被爆者の生物学的線量評価」(甲全53号証の1・2)からも線量を推定
しており,放射性降下物の影響がきわめて大きいことが明確に分かる。
さらに,澤田教授は,ドイツ・ブレーメン大学のインゲ・シュミット・フォイエ
ルハーケ教授の1980年代の論文を指摘し,入市被爆者,遠距離被爆者の放射性
降下物の影響を裏付けられたと指摘している。
この澤田教授の解析結果からしても,残留放射線や内部被曝の影響の調査を行っ
ていない放影研の疫学調査が,きわめて不十分なものであり,その分析結果に信頼
性がないことが明らかである。
g 内部被曝のまとめ
このように,内部被曝は,物理的な吸収線量を計るだけでは到底把握することの
できない複雑な機序を有するものであり,被爆後の行動などからその契機の有無を
慎重に検討したうえで判断されなければならない。
この点,被告らは,「原爆線量再評価」第6章(乙全16号証・218頁)の記載
を根拠に,広島・長崎で放射性降下物のあった地域の体内の放射線量を測定した結
果極微量であったと主張する。しかし,同書はホールボディーカウンター(体外計
測法に用いられる人体の外側から直接放射線を測定する測定器)でセシウム137
から放出されたガンマ線のみを測定しているものであるところ,ホールボディーカ
ウンターでは飛程の短いベータ線を測定することができないのであるから,このよ
うなことを理由に内部被曝を無視する審査の方針は科学的に合理性を欠くといわざ
るを得ない。
また,原爆投下当日に広島で約8時間焼け跡の片付け作業に従事したとしても,
約0.06μSv(マイクロシーベルト)として,外部被曝に比べて無視できるレベ
ルであるとする論文もある(今中哲二「DS02に基づく誘導放射線量の評価」,
甲全85号証の60)。しかし,同論文は,]声埃身が「おおざっぱな過程を基
にした見積である」と認めていること,⇒尭格射線による内部被曝のみを計算し
ているにすぎず,放射性降下物による内部被曝については考慮していないこと,
人体に現実に発生した健康状態を検討していないことから,これをもって内部被曝
の影響を無視してもよいとする理由にはならない。
(カ) 低線量被曝の影響は決して無視できないこと
a 低線量被曝についての「審査の方針」の考え方
上記のとおり,被告らは,内部被曝は吸収線量が極微量であるとして審査の方針
には反映させていない旨主張する。これが内部被曝を過小に評価したものであるこ
とはすでに述べたとおりであるが,更に,低線量被曝であれば人体影響は無視でき
る程度のものであるという前提も科学的合理性を欠くことが明らかである。
b 人体影響が低線量域でも確認されていった過程
昭和31年(1956年)にアリス・スチュワートが妊娠中の女性が診断用エッ
クス線を受けた場合に乳幼児の白血病の発症が有意に高くなると報告し(甲全10
3号証の1・2),昭和34年(1959年)にフォードが,昭和37年(196
2年)にマクマホンが,それぞれ更に多くの症例をもってこれを支持するなどして,
低線量被曝の影響が確認されていった。さらに,昭和36年(1961年)にはグ
ラス博士がショウジョウバエを使った実験で5R(レントゲン)まで突然変異率の
有意な上昇が見られることを確認した。
そして,農学博士及び社会学名誉博士である市川定夫は,ムラサキツユクサの雄
蘂毛に突然変異が起こるとピンクの細胞が現れることに着目し,微量放射線である
0.25rad(0.0025Gy)のエックス線や0.01rad(0.0001Gy)の
中性子線でも突然変異率と線量との間に関係があることを確認した(甲全88号証
の6)。その後,外国でもムラサキツユクサを活用した実験や,他の動植物でも次
々と微量放射線による有意な突然変異の上昇が確認されていった。
c 低線量被曝では高線量被曝とは異なった影響がありうること
加えて,高LET放射線(線エネルギー付与が高い放射線のことで,中性子線,
アルファ線など)では,低線量率でも持続的に被曝している場合の方が,高線量率
(線量率とは単位時間あたりの線量を示す。)で被曝した場合よりもリスクが高い
ことが報告されている。また,ガンマ線のコンプトン散乱によって,遠距離で被曝
した方が,生体により多くのエネルギーが吸収されることを示唆する実験結果も存
在する。
これらのことからすれば,未だ科学的には解明されてはいないが,低線量被曝は,
場合によっては高線量(率)被曝よりも大きな影響があることすら否定できないの
であって,低線量被曝であるからといって影響を無視できるというものではないと
いわざるを得ない。
d まとめ
以上の次第であるから,人体内では内部被曝,人工放射性核種の生体濃縮,高L
ET放射線の持続的被曝などという複雑な機構によって放射線影響が生じるのであ
って,内部被曝・低線量被曝であっても,外部被曝・高線量被曝とは異なった機序
によってより大きな影響を及ぼすことは否定できないのであるから,原爆症認定に
あっても,外部被曝・内部被曝いずれの契機も慎重に検討したうえで判断されなけ
ればならない。
(キ) 小括
以上のとおり,DS86の放射線線量評価はもとより,その正当性を裏付けると
主張されているDS02についても,遠距離における実測値との乖離(過小評価)
の問題は解消されておらず,その科学的合理性は極めて低いものであることが明ら
かとなっている。つまり,遠距離においてDS86は,全くその存在意義が失われ
ているのであり,かかるDS86が原爆症認定制度における被曝線量評価体系とし
て使用に耐えうるものではないことは明らかである。
ウ 原因確率の問題点
(ア) 原因確率の根拠
被告厚生労働大臣が被爆者の疾病の放射線起因性を判断するに当たっては,医療
分科会の意見を聴取しなければならず,医療分科会においては,審査の方針を用い
て起因性の判断を行っている。
この審査の方針の原因確率は,児玉論文に記載される寄与リスクの数値を転用し
ている。そして寄与リスクは,白血病,固形がんについては,放影研が公開してい
る死亡率調査(寿命調査),発生率調査(成人健康調査)のデータを用いている。
そこで,以下では,まず,児玉論文が寄与リスクを求める基礎資料としている放
影研の疫学調査の問題点を検討し,次に,疫学調査の結果を個々の被爆者に当ては
めることの問題点について検討する。
(イ) 放影研の疫学調査の問題点
a 放影研の疫学調査の概要
(a) 放影研の行なっているコホート研究である寿命調査(LSS)や成人健康調
査(AHS)といった疫学調査は,死亡率調査であるLSSについては10万人以
上,発生率調査であるAHSについても2万人に及ぶ調査集団を設定し,その後約
50年にわたって継続して調査をしている。
(b) コホート研究
コホート研究は,仮説として原因と考えられる因子(要因)に曝露している集団
と,曝露していない集団について,研究対象とする疾患の罹患率(または死亡率)
を観察し比較するもので,特定の因子が特定の疾病の頻度を規定しているかどうか,
すなわち,ある集団におけるある疾病の罹患率又は死亡率が多い(または,少な
い)ことに対し,その因子が原因として働いているかどうかを明らかにするための
分析疫学的方法のひとつである。コホート研究は,要因への曝露の有無・程度に応
じて複数の集団を設定し,それぞれの集団について,疾病罹患等の状況を観察して
比較する。要因に曝露されていない集団を非曝露群,曝露されている集団を曝露群
と呼ぶ。
b 線量評価の誤りが疫学指標にもたらす影響
既に述べたとおり,放影研の疫学調査は,誤った放射線評価体系(DS86,D
S02)を用いていること,重大な影響があると確認されている残留放射線の影響,
内部被曝の影響を全く無視して行われていることなど,調査対象となった被爆者の
放射線線量評価の点で,大きな誤りを犯しているのである。
疫学調査の局面における被曝線量評価の誤りは,二つの点で,過剰相対リスク,
寄与リスクなどといった疫学指標に影響をもたらす。ひとつは,回帰分析の不正確
さであり,被爆の程度を体系的に低く見積もった結果,算出される疫学指標は過小
評価となる。
もうひとつは,初期放射線,残留放射線といった放射線被曝の態様ごとの検討・
検証を不可能とすることである。残留放射線が無視されている結果,残留放射線の
影響が問題となったときに,調査対象の被爆者を,残留放射線による被曝によって
区分することができず,残留放射線による被曝の有無で比較を行えなくなってしま
う。被告厚生労働大臣の主張にみられるように,「残留放射線の影響はないはずで
ある」,したがって「残留放射線は線量評価に反映しなくてよい」,そして「疫学
調査の結果,残留放射線の影響はみられなかった」という循環論法に陥らざるを得
ないのである。こうした循環論法が,被爆の実態・実情を全く説明できないことは,
既に述べたとおりである。
c 疫学調査の手法の誤り
(a) 対照群設定の誤り
コホート研究の手法
疫学調査のコホート研究においては,追跡を行う調査集団として,非曝露群を設
定し,これを対照群(コントロール群)として,曝露集団(分析の目的とする要因
に曝露された集団)との比較をする。この非曝露群の設定に際しては性別,年齢層,
住居,社会経済要因等の条件が曝露群と対応しており,かつ,分析の目的とする特
定の要因に曝露されていない人たちを選別する必要があり,この非被爆者群との比
較が基本である。他の条件が対応するようにコントロール群を設定することをマッ
チングといい,マッチングさせる理由は,コホート研究において,ある要因の影響
を特定するためには,他の条件が一致しており,当該要因に曝露されていない人た
ちを追跡していった結果,そこに現れる罹患・死亡を基礎として,当該要因に曝露
されている程度に応じた用量(線量)−反応関係を分析する必要があるからである。
比較対照群設定の重要性
被爆者に対する疫学調査の設計を提案した昭和30年(1955年)のフランシ
ス委員会の勧告(「ABCC研究企画の評価に関する特別委員会の報告書」)にお
いては,「被曝線量の最も少ない群における放射線の影響は,非被爆者と比較せね
ば,推定できない」として非曝露群の設定及び非曝露群との比較が構想されていた。
このように,放影研(ABCC)自体も,非曝露集団を比較対照群(コントロール
群)として比較を行わなければ,コホート研究とはいえないことを認識していたの
である。
そして,フランシス委員会の勧告(甲全16号証)に基づき,比較対照群(コン
トロール群)とすべく,遠距離被爆者のほか,NIC(Not in City,「市内不在者
群」)が抽出された。NICは,入市の時期によってEE(Early Entry,「早期
入市者」)とLE(Late Entry,「後期入市者」)とに分けられ,早期入市者は,
更に,「原爆投下当日又は翌日に1勸米發貌った者」「原爆投下当日又は翌日に
1劼ら1.4劼涼賄世貌った者又は2日後から3日後になって初めて爆心地の
もっと近くまで入った者」及び「上記二者より入市が遅いか,遠距離に入った者」
とされていた(「寿命調査,広島・長崎 第5報」,乙全18号証)。
しかし,調査が進むにつれ,NICについては,遠距離被爆者よりも低い死亡率
が観察され続けたため,こうしたNICを非曝露群として比較を行えば,遠距離被
爆者を比較対照群(コントロール群)とした場合よりも,リスクは大きく算出され
ることになってしまう。そこで,「寿命調査第7報」では,「市内にいなかった群
における低い死亡率は,強度の被爆者群と対照者群の間における死亡率の差異を誇
張する結果になる」ため,T65Dで10rad以下の低線量被曝群と高線量被曝群
との比較が中心とされ,遠距離被爆者が比較対照群(コントロール群)として扱わ
れることとなったのである。
平成4年(1992年)の放影研報告書では,DS86で0.01Sv未満の被爆
者を対照群として設定している(「原爆被爆者における癌発生率。第2部:充実性
腫瘍,1958−1987年」・16頁表,乙全9号証。なお,同4頁では,0.0
1Sv未満の被爆者について「これらを対照集団とする。本報では非被爆者群とも呼
ぶ。」としている。)。また,「原爆被爆者の死亡率調査 第12報,第1部 癌
:1950−1990年」(乙全8号証)の5頁表では,DS86で0.005Sv
未満の被爆者を0Svと見なす区分がされている。
このように,放影研の疫学調査では,非被爆者を比較対照群として設定していな
いのであり,全く放射線を浴びていない者との関係で生ずる「低線量」被曝のリス
クは統計上現れてこないことになる。その結果,低線量リスク,放射性降下物によ
るリスク,内部被曝によるリスクをもった集団同士の比較をすることになるから,
初期放射線以外による被曝のリスクの分だけ原爆放射線のリスクが過小評価されて
しまうことになるのである。
したがって,これによる調査の結果が実態を反映しなくなることは明らかである。
さらに,既に述べたとおり,DS86は,遠距離において実測値の方が計算値よ
りも大きくなる傾向が明らかになっているし,残留放射線による外部被曝や内部被
曝の影響も考慮すれば,放影研によって0.01Svないし0.005Sv未満の線量
を浴びたとして区分されている被爆者は,実際には遥かに高線量を被曝しているこ
とになるのである。
放影研による調査手法
原因確率算出の基礎となった「原爆被爆者の死亡率調査 第12報」(乙全8号
証)等によれば,放影研では,リスクの分析において,比較対照群を設定していな
い。放影研は,相対リスクや,これを基礎とする指標を算出する上で基準となる非
曝露群の死亡率や罹患率について,実際に調査したデータを使う代わりに,曝露群
についてポアソン回帰分析を行い,得られた回帰式から想定上のゼロ線量における
罹患率等を推定している。
しかし,この手法を用いる前提として,「各被爆者の浴びた線量が正確に把握さ
れていること」,「線量反応関係が正しく把握されていること」,という2つがそ
ろっていることが絶対条件である。
回帰分析の不正確さ
しかし,まず,「各被爆者の浴びた線量が正確に把握されていること」という点
に関しては,遠距離における線量の過小評価,残留放射能,内部被曝の無視といっ
た問題点を含み,現実に発生した現象を全く説明できないとされているDS86を
線量評価に用いている点で,すでに回帰分析を行う前提を欠いているのである。
さらに,「線量反応関係が正しく把握されていること」という点についても,放
影研においては,主に直線仮説(固形がんのリスクが,被曝線量に応じて直線的に
増加するとの仮説)が用いられているが,高線量域での線量反応関係が直線で把握
できたとしても,それがそのまま低線量域に当てはまるとは限らないのは当然であ
り,この点に関して十分な吟味がなされていない回帰分析の結果には,信用性がな
いと考えざるを得ない。
このような線量評価の誤りが,回帰分析の結果導かれる原因確率(寄与リスク)
に対してどのような影響を与えるのかを以下述べる。
ある疾病の死亡率が,被曝線量2と推定されているA群では40%,被曝線量1
と推定されているB群では30%であったと仮定した場合,回帰分析を行うと,被
曝線量0での死亡率は20%と推定され,A群の原因確率は50%,B群の原因確
率は33%と計算される。ところが,推定被曝線量が残留放射線や内部被曝の影響
等が評価されないなどの理由から過小に推定され,実際は,A群の被曝線量が2.
5,B群の被曝線量が1.5であった場合,回帰分析を行うと,被曝線量0での死
亡率は,15%と推定され,A群の原因確率は63%,B群の原因確率は50%と
計算されることになるのである。
さらに,児玉論文の寄与リスクの算出過程(審査の方針における原因確率の算出
過程)では,中性子線の生物学的効果比を無視し,Gyの単位で被曝線量を取り扱っ
ている。被告厚生労働大臣は,その理由として,中性子線の生物学的効果比が正確
に把握し難いこと,生物学的効果比を考慮に入れたとしても寄与リスク(原因確
率)の数値がさして変わらないことを主張する。
しかし,このことは,放影研の採用した方法や国際的潮流に反するものである。
すなわち,放影研は,昭和63年(1988年)の「寿命調査第11報・第2
部」において,被爆者の被曝線量を把握する上で,ガンマ線量と中性子線量を単純
に合算し,吸収線量(単位:Gy)を用いていたが,平成8年(1996年)の「原
爆被爆者の死亡率調査第12報」より,広島原爆による放射線には中性子線がかな
り含まれていることから,中性子線の生物学的効果比を10として,線量当量(単
位:Sv)を用いるようになっていた。しかし,その後策定された審査の方針では,
放影研が曝露評価の指標として放棄した吸収線量を用いることとしており,放射線
の線質に応じた生物学的効果比を考慮することを当然の前提とする現在の国際的な
趨勢にも反するものとなっている。
このように,Gyの単位で被曝線量を取り扱うことは,すなわち(正確に把握し難
いとしている)生物学的効果比を「1」として取り扱っていることを意味し,また
生物学的効果比を無視することは,DS86が遠距離での中性子線量を過小評価し
ていることの影響を増幅させるものであって,およそ反論として失当である。
このように,線量評価に誤りがあれば,被曝線量0における死亡率等が正確に算
定できず,そこから導き出される原因確率も誤ったものになってしまうのである。
個々の被爆者の線量の評価が正確に把握できていない状態で,回帰分析の手法を
用いて,放射線の寄与している割合を算出しても,その数字には全く意味がないと
いわざるを得ない。これに,線量反応関係が直線で把握できない可能性(前述の
「線量反応関係が正しく把握されていること」の問題)も加味すれば,こうした手
法によって算出された数字を認定の基準に使用することの不合理性は明らかである。
以上から,被告らが科学的に正当であると主張するポアソン回帰分析を用いた原
因確率の算出が,誤った結論を導くものであることは明らかである。
(b) 死亡率調査を基本としていること
起因性の判断においては,現に生きて苦しんでいる被爆者の疾病が,原爆放射線
の影響によるものであるかが問題となる。
ところが,放影研の疫学調査及び児玉論文では,死亡率調査を解析の基礎として
おり,このため,死亡に直結しない疾病が見落とされることになる。放影研は,法
務省の認容を得て3年ごとに被爆者の戸籍又は除籍の謄・抄本を取得しており,こ
れにより被爆者の死亡の事実を把握している。そして,被爆者の死亡が把握された
場合には,保健所に対して,死亡小票から死亡調査票への記入を依頼して死因につ
いての情報を入手している(甲全22号証の2)。
このため,死亡の直接の原因となった疾病だけが抽出されることになる。例えば,
がんに罹患した被爆者が交通事故で亡くなれば,死因は単なる事故死となってしま
うのである。また,剖検等の確実な方法によらない死因確認の精度も問題となる。
原爆被爆者の「死亡率調査(寿命調査(LSS))第12報第1部」(乙全8号
証)には,死亡診断書と剖検との比較が報告されており,がん死亡の20%が死亡
診断書ではがん以外の疾患に誤分類され,他方,がん以外の原因による死亡の3%
ががん死亡と誤分類されており,これらに基づいて誤差を修正すると固形がんの過
剰相対リスク推定値が約12%,過剰絶対リスク推定値が16%上昇することが示
唆されたとされている。
さらに,死亡率調査を基礎とする場合には,罹患してから死亡するまでの間,疾
病の発生がデータに反映されないことになる。その結果,この期間は,罹患率調査
によれば有意な増加を観察しうるのに,死亡率調査という方法上の制約が,リスク
の過小評価をもたらすことになる。調査期間を重ねるごとに,新たな疾病について
原爆放射線との疫学的因果関係が確認されてくるという経過の中で,死亡率調査に
よる因果関係の見落としは,現実的な問題である。
(c) 調査開始までの被爆者の死亡が無視されていること
放射線感受性の弱い被爆者や見かけ健康な被爆者が選択されたこと
昭和20年12月までに死亡した被爆者数は広島でも少なくとも約11.4万人
とされている(乙全14号証・8頁,ただし,調査によってかなりの幅がある。)。
全被爆者の3分の1程度は死亡したことになる。
すなわち,調査開始時点である昭和25年(ないし昭和33年)までの間に,急
性障害や,比較的早期に発症する晩発性障害によって,放射線感受性の高い被爆者
ほど,多く死亡しているのである。
しかも,放射線の影響は,個々の被爆者の被曝線量と放射線感受性の相乗によっ
てもたらされるから,高線量を被曝した被爆者のグループほど,放射線感受性が弱
い(放射線の影響を受けにくい)被爆者が生き残る結果となる。
このような放射線感受性による選択を考慮せずに被曝線量による回帰分析を行え
ば,高線量被曝者のグループは(その放射線感受性の弱さによって)見かけ低い発
症率を示し,低線量被曝者のグループは(その放射線感受性の強さによって)見か
け高い発症率を示す。従って,線量反応関係は,見かけなだらかになり,あるいは
全く観察されなくなってしまう。
放射線感受性は,被爆時年齢によっても異なるところ,「寿命調査第3報」(甲
全41号証)の10頁は,年齢ごとの急性症状の発症率のデータから,昭和25年
(1950年)10月「以前に低年齢層および老年層に過度の死亡率があって,こ
れが今回の調査資料に反映した結果,症状を示した被爆者の比率が外見上低いかの
ようにみえる」と指摘している。このことは,放射線感受性が強い被爆者が,調査
開始以前に急性放射線障害等によってより多く死亡したことを如実に示している。
また,ABCCによる調査は被爆者に対する社会的な被害が生じていた時期であ
って,被爆者が被爆者として名乗り出ることに躊躇する心情であったと考えられ,
特に病気がちの者や急性症状に罹患した経験を持つ者が申告しなかった可能性は高
い。
観察期間との関係
放影研の寿命調査集団については,昭和25年までの死亡者,また,成人健康調
査集団については昭和33年までに死亡した被爆者の調査は行われていない。
すなわち,昭和20年8月から調査が開始されるまでの5年間(寿命調査),あ
るいは13年間(成人健康調査)の間に放射線障害をはじめとして,被爆に起因す
るなにがしかの原因により死亡してしまった数十万人もの被爆者は,調査の対象に
なっていない。このように放影研(ABCC)による調査は,いわゆる「生き残り
集団」しか調査できていないという,大きな欠陥を持っている。
放射線被曝から,がんの発症に至るまでの期間を「潜伏期間」といい,数年から,
十数年,場合によっては数十年に及ぶことになる。一般に疫学調査の観察開始時点
が最短潜伏期間よりも後に設定されると,感受性の強い人たちをはじめ早期に発症
した人たちへの影響を見落とすことになる。疾病によっても,がんの部位によって
も潜伏期間は異なるが,潜伏期の短いものの評価については,観察開始の遅れを考
慮する必要がある。逆に,観察開始時点が早すぎても,影響が発現しない時期を観
察期間に繰り入れてしまうことになる。このように,昭和25年あるいは昭和33
年までに死亡した人を除くことによって,放射線の影響を過小評価している可能性
が十分にある。
さらに,発がんの可能性が一生涯続く場合は,生存しているコホートが存在する
間は観察し続ける必要がある。現在得られている観察途中でのデータには,当然,
今後発症するケースは把握されていない。被爆者全員が亡くなった時点で初めて,
疫学調査として完成するのである。
以上のように,昭和25年あるいは昭和33年までに死亡した人を除くことによ
って,放射線の影響を過小評価している可能性が十分にある。
d 小括
以上みたように,放影研の疫学調査には,個々の被爆者の被曝線量評価に誤りが
あり,さらに疫学調査の手法自体にも多くの問題点を抱えている。
このような疫学調査を基にして,被爆者の疾病に原爆放射線がどれだけ寄与して
いるかを示す原因確率という指標を正確に導くことは不可能である。
(ウ) 疫学調査結果を原爆症認定基準に用いることの問題点
a 寄与リスクを個人の起因性否定の基準にすることの誤り
疫学は,集団における疾病や死亡の発生状況など健康事象の観察を通して,その
集団における健康事象の発生要因を究明するものであり,ある共通要因をもつ集団
で,その要因が,ある疾病発生の原因である(関連がある,因果関係がある)と分
かった場合は,その集団に属する全ての個人がその疾病に罹患する危険性にさらさ
れ,または,既に罹患した経験を有することを表す。さらには,その集団内のその
疾病に罹患した全ての人について,その要因が原因で罹患した可能性があるという
ことも表すものである。
例えば,「ある被爆者集団のある疾病の死亡率について原因確率(寄与リスク)
が20%である」といった場合,その被爆者集団で死亡した人10名のうち8名は
放射線の影響とは無関係に死亡し,2名は放射線の影響で死亡したと理解するのは
全くの誤りである。その被爆者集団の全員が放射線の曝露を受け,放射線の影響が
その疾病として発現するリスクが全員に付加された結果,その集団における全ての
個人のその疾病での死亡のリスクが高まり,全体としてその疾病で死亡する人の率
が非被爆者よりも高まるのであって,その被爆者集団で死亡した人10人全員の疾
病が放射線の影響で発生した可能性があるということになるのである。
したがって,原爆症認定にあたり,寄与リスクが小さいからといって,その要因
はその群に属するある個人の発症原因を構成していない(あるいは無視できる)と
し,寄与リスクの小さい群について全員を認定しない(=起因性を否定する)とす
るのは疫学の誤用である。
b 「原因確率」概念についての疑問
疾病の発症に関わる要因は多数あり,お互いに関連しながら,相乗あるいは相加,
時には相殺効果を示しながら,多くの要因が総体として疾病の発症に作用している
(疾病の多要因性)。ある個人が新たな要因に曝露されたとき,以前から持ってい
た要因群との間に新たな関係が作られ,新たな要因群が形成されて,疾病の発症に
関与することになる。新たに付加された要因が,以前からあった要因とは関係なく,
独自にその個体の疾病の発症に関わって,疾病の発症を左右するというわけではな
い。
これに対し,審査の方針に用いられている原因確率は「疾病等の発生が,原爆放
射線の影響を受けている蓋然性があると考えられる確率」と定義されている。すな
わち,原爆放射線が他の要因とは独立して,個々人の疾病(がん)の発症に作用し,
当該疾病を発症させた確率とされている。しかし,疾病の多要因性にかんがみれば,
このような原因確率という概念それ自体に疑問を持たざるを得ない。また,原爆放
射線が,疾病の発症を促進する場合,上記の意味での「原因確率」は,起因性を判
定する指標としては全く無意味なものとなる。
c 統計学的有意性,信頼区間の扱いに関する疑問
また,児玉論文及び審査の方針では「統計上有意とはいえない」あるいは「信頼
区間が広い」というだけで,疫学研究でその疾病について観察された寄与リスクよ
りも低い値が原因確率として割り当てられている。
しかし,有意性検定における危険率や区間推定する場合の信頼係数の大きさは,
統計学によって論理的に決定されるものではない。要因と影響の関連性を厳密に追
求しようとする疫学的研究では,危険率を厳しく設定して「有意な差が認められな
かった」との慎重な結論を下したとしても,それは,他の目的・分野での判断を拘
束するものではなく,それぞれの判断基準があってよいはずである。なお「有意差
が認められない」という意味は,差があることを否定したものではなく,差がある
ことの判断を保留したものと解すべきである。
この意味でも「原因確率」を起因性判断の決め手とすることには大きな疑問があ
る。
d 疫学調査結果を個人に当てはめることの問題点
個々の被爆者は,それぞれ被爆の状況も異なるし,被爆直後の行動,その後の生
活状況,病歴等,全て異なる。また,放射線感受性の強い者もいれば弱い者もいる。
こうした個々の被爆者のそれぞれの状況を無視して,疫学調査という集団のデータ
を解析した結果を,個々の被爆者に一律に当てはめ,起因性の有無を判断すること
は,疫学調査結果の誤用と言わざるを得ない。
起因性の判断にあたっては,個々の被爆者の具体的な状況を考慮していかなけれ
ばならないのである。
ところが,医療分科会における起因性の判断の運用は,ほとんどを原因確率に依
拠している。
この点,被告らは,原因確率が50%を超える場合は,放射線起因性があると推
定し,原因確率がおおむね10%未満である場合には,放射線起因性の可能性が低
いものと推定することとした上で,これらを機械的に適用して判断するのではなく,
更に当該申請者にかかる既往歴,環境因子,生活歴等も総合的に勘案した上で判断
を行うものと繰り返し主張している。
しかし,被告らは,個々の原告についてどのように「既往歴,環境因子,生活歴
等も総合的に勘案」したのか,明らかにしておらず,極めて短時間で審査が行われ
ている実態等を考え併せれば,被告らが個別事情を考慮することなく,原因確率を
機械的に適用する運用を行っていることは明らかである。
e 小括
ある集団の寄与リスクの大小それだけでは,その集団に属する特定個人の発症原
因を特定できないのであるから,寄与リスク(原因確率)の大きさを個人の起因性
を否定するための判断基準に用いることは誤っているというほかない。
そもそも,既に述べたように放影研の疫学調査結果には大きな問題があり,個人
の起因性の判断にあたってこれを参考にすることは許されても,これを唯一の基準
とすべきではない。臨床医学や放射線生物学などをはじめとする幅広い分野の学問
研究の成果と視点を取り入れて,被爆者に生じた現実の症状を検討していくことが
必要なのである。
エ 結論
原爆症認定には審査の方針という基準が用いられているが,これは児玉論文を基
に作成されたものであり,この児玉論文は放影研の疫学調査を基に作成されている。
そして,放影研の疫学調査は,その調査手法自体に様々な問題点を含んでおり,
しかも,根本となる線量評価においてDS86という重大な欠陥を抱えた線量評価
基準を用いている。このように多くの問題点がある放影研の調査を基に作成された
審査の方針や原因確率が,原爆症認定行政において用いられる基準として合理性を
有するものでないことも明らかである。
放射線起因性は,被爆者に生じた現実を直視した上で判断されるべきである。被
告らは,自らの基準の科学的合理性を主張するが,それは上記のとおり「科学的態
度ではない」といわざるを得ないことは明らかなのである。
(2) 放射線起因性に関するあるべき認定基準
ア 原爆症認定において踏まえるべき事実
(ア) 未経験,未解明の被害であること(被害の特殊性 
広島と長崎に投下された原爆は,人類史上で最初の核兵器の使用であって,これ
までに人類が体験したことのない程の威力である上,爆風のみならず熱線と放射線
を伴っていたため,一瞬にして都市を消失させ,また人間を死に至らしめた。その
実態や機序については科学的にも未解明な部分が多く,現在に至っても全てが明ら
かとなっているわけではない。したがって,被爆の実相を認識する上で,まずかか
る特殊性を踏まえる必要がある。
(イ) 被害の多重性,複合性(被害の特殊性◆
原爆は,人間の身体に死亡,熱線,爆風などによる傷害及び後遺障害,放射線に
よる傷害及び後遺障害などの複合的な被害をもたらしたほか,被爆者に対し,健康
に対する不安や心の傷(PTSD)といった精神被害,さらには,生活基盤の破壊
や,差別・生活困窮といった複合的な社会的被害をも与えた。したがって,原爆に
よる被害は,総合的,相関的に捉えなければならず,この点にも原爆による被害の
大きな特徴がある。
(ウ) 放射線障害(被害の特殊性)
a 放射線が人体に与えるメカニズム
(a) 外部被曝
初期放射線による外部被曝
原爆のさく裂後100万分の1秒以内に核分裂が繰り返され,ガンマ線や中性子
線が放出され(初期放射線),瞬時に地表に到達し,そこにいた人々の体を貫き,
細胞組織や遺伝子を破壊した。そして,核分裂によって発生した中性子線やガンマ
線は,様々な物質を通り抜けることから,建物の中にいてもこれらを避けることは
できなかった。また,中性子が,空気,水,土,建造物など,あらゆる物質の原子
核に吸収され,正常な原子核を放射性原子核へと変え,新たな放射線を生み出し,
建物の壁や屋根,地面などに中性子線が当たると,それらを構成する原子自体から
ガンマ線が発生した。
放射性降下物による外部被曝
核分裂の連鎖反応と同時に,大量の放射性核分裂生成物が生成され,ここから主
にベータ線やガンマ線が放出された。また,広島原爆のウラン235及び長崎原爆
のプルトニウム239のうち実際に核分裂を起こしたのは一部であり,残った未分
裂の核分裂物質も,自らアルファ線を放出し,次々と種類の違う放射性原子に姿を
変えながら,ガンマ線やベータ線を放出した。さらに,原爆の装置と容器が,核分
裂で生成された中性子を吸収して誘導放射化され,放射線を放出した。また,この
とき,原爆から放出された衝撃波によって地上の木造家屋は粉々に破壊され,粉塵
となって舞い上がっており,この粉塵は誘導放射化されているため,地上は細かな
放射性物質が立ちこめた状態になっていた。
そして,火球が膨張し,上昇して温度が下がると,火球に含まれていた様々な放
射性物質は「黒いすす」となり,その後,放射性物質や「黒いすす」が凝結核とな
って空気中の水蒸気を吸収して水滴となった。
さらに,原爆の熱線によって発生した空前の大火災によって,巨大な火事嵐や竜
巻が生じたため,これによって誘導放射化された地上の土砂や物体が巻き上げられ
た。
こうして,きのこ雲の上層部を構成している火球は,圏界面を突き破って成層圏
にまで上昇していき,そのきのこ雲は,放射線の放出を続けながら,遂には崩れて
広範囲に広がり,大きくなった水滴は放射能を帯びた「黒い雨」となって地上に降
り注いだ。
爆心付近では強い上昇気流が発生していた反面,その周囲では上昇気流を補填す
るために強烈な下降気流が形成される。その下降気流に乗って,きのこ雲の上層部
の崩れた部分にあった放射性物質や「黒いすす」が爆心から離れた地域にも降った
のである。このようにして放射性物質が「黒い雨」や「黒いすす」となって広く地
上に降り注いだのである。
このようにして降下してきた放射性微粒子などの放射性降下物は,初期放射線を
浴びた直爆被爆者のみならず,原爆時には市内にいなかったが,救援や家族を探し
求めるため市内に入った人々(入市被爆者)の皮膚や髪,衣服に付着し,あるいは
大気中や地面から,アルファ線,ベータ線及びガンマ線を放出して身体の外から被
曝させた。
誘導放射能による外部被曝
また,地上及び地上付近の物質は,初期放射線の大量の中性子を吸収して,その
原子核が放射性原子核となり(誘導放射化),それによって放射線を放出する(誘
導放射能)。誘導放射能はガンマ線とベータ線を放出し続けて,直爆被爆者及び入
市被爆者の体外から,継続的に放射線を浴びせ続けた。
誘導放射能は中性子線量の多い爆心地に近いところほど強いことから,原爆投下
直後に爆心地近く(とりわけ1勸米癲砲暴估りしたり滞在したりした者には,こ
の誘導放射能の影響を強く受けた。
(b) 内部被曝
内部被曝の態様(放射性降下物や誘導放射能による内部被曝)
前述の「黒い雨」「黒いすす」及び放射線微粒子は,呼吸等により体内に取り込
まれて肺胞に達し,さらに小さい放射性微粒子は,血管やリンパ管を通じて身体の
中を移動し,組織や器官に沈着して,これらの組織の細胞に身体の中から放射線を
浴びせたり,飲食物を通じて放射性降下物が体内に入り,皮膚や傷口から放射性物
質が直接人体に取り込まれ,同様に身体の内部から放射線を浴びせたりした。
また,原爆の中性子線により誘導放射化された地表の物質も,呼吸あるいは飲食
物を通じて体内に入り,体内から継続的に放射線を浴びせ続けた。
内部被曝の影響の深刻さ
内部被曝は,(1) 体内では近傍に極めて大きなエネルギーを吸収させること,
(2) アルファ線,ベータ線は短い飛程の中で集中的に組織にエネルギーを与えて多
くの染色体や遺伝子の接近した箇所を切断すること,(3) 自然放射性核種と異なり,
ウラン,プルトニウムやそれらが分裂して生成される人工放射線性核種は,核種の
種類に応じて特定の組織や器官に濃縮され集中的に被曝させること,(4) 体内に取
り込まれた放射性核種は,その核種の寿命に応じて継時的に被曝させること,以上
の4点において外部被曝とは異なった態様で人体に深刻な影響を及ぼす。
内部被曝の影響の複雑さ
体内に取り込まれた放射性物質が人体に影響を与える機序については,上記のと
おり極めて複雑である。
しかも,この場合には,放射性物質を体内に取り込んで,長い期間をかけて放射
線を浴び続けることになるので,急性症状が遅れて発症することも考えられるので
ある。
b 急性障害
(a) 急性症状
被爆者は,前述のような様々な経緯により放射線に被曝し,急性症状の発現によ
って,被爆前後で明らかな体調変化を認識したが,これらの症状が放射線被曝に起
因するものである根拠は,原爆投下後の調査の過程で,被爆距離及び遮蔽の有無と
相関関係のある症状として認識されたことにある。
(b) 機序
放射能,とりわけ人体への破壊力が大きな中性子線を浴びた人体内では,腸など
の消化器系の内臓,血液をつくる骨髄などで,細胞が自らの機能を停止させ死んで
いく細胞自殺(アポトーシス)を起こすため,内臓の機能が低下し,死に至る。火
傷などの外傷が少ないのに,被爆から数日後に死んでいった人の多くは,このアポ
トーシスが起こり,腸内での出血が止まらないことや,骨髄が損傷し造血不足が起
こったことなどが原因であったと考えられるのである。
また,死に至らない場合でも,胃腸の消化管粘膜は放射線にもっとも感受性のあ
る組織であり,被爆により剥離,びらん,潰瘍等をつくり,悪心,嘔吐,食欲不振,
口内炎等,様々な程度の症状を生じさせた。これらの症状は経口からの摂食を阻害
し,また消化管からの栄養吸収を阻害するため,人体のエネルギー代謝にとって不
可欠な水分維持,栄養素補充が損なわれ,諸症状の回復を遅延させるもととなった。
また,口腔,歯齦出血,吐血,紫斑等出血傾向も多彩であり,これら出血は,造
血器(骨髄)傷害としての血小板減少や機能低下,あるいは直接の血管(毛細管内
皮細胞)に対する傷害のいずれかにより発症したものである。そして,持続的な出
血は蛋白質の喪失であり,貧血とも相まって低栄養状態と浮腫をもたらす要因とな
り,身体的衰弱を助長するように作用した。
発熱は,一般的には,白血球減少などを背景に生じる細菌感染によるものと捉え
ることができるが,出血や下痢に前後して見られたりすることから,放射線による
組織障害の反映とも見られた。
脱毛は,一般的には,放射線を浴びた結果,皮膚が傷害され,汗腺や皮膚組織が
傷害を受けた結果であると考えられている。当然,毛根,毛髪は皮膚組織にあるた
め,皮膚障害の部分症として脱毛がみられる。
全身倦怠感は自覚所見であるが,他の急性症状を伴う場合もそうでない場合も見
られた。前者は他の急性症状を起こした原因の影響によるものであり,後者は中枢
神経系に放射能が傷害作用を与え自律神経のアンバランスを引き起こし,倦怠感と
なって現れるものである。いずれにしろ,放射線被曝を原因とする傷害の結果であ
って,独特の兆候を示し,我々が日常で感じる「倦怠感」とは,その起因,多臓器
性,予後等において決して同様のものではない。
c 慢性障害
(a) 長期にわたる後障害
放射線被曝により,被爆者は,様々な後障害に苦しめられることになった。具体
的には,白血病を含むがん,白内障,心筋梗塞症をはじめとする心疾患,脳卒中,
肺疾患,肝機能障害,消化器疾患,晩発性の白血球減少症や重症貧血などの造血機
能障害,甲状腺機能低下症,慢性甲状腺炎,被爆当日に生じた外傷の治癒が遅れた
ことによる運動機能障害,ガラス片や異物の残存による傷害などである。
(b) 慢性原子爆弾症
慢性原子爆弾症の中でも注目すべきは,「原爆ぶらぶら病」すなわち原因不明の
全身性疲労,体調不良状態,労働持続困難であり,これらの症状が発生したことが,
肥田舜太郎医師や都築正男医師によって報告されている。
(c) 免疫的影響
これらの被爆者の慢性障害には,後述の免疫的影響が絡んでいる可能性は高い。
d 晩発性障害
(a) 原告らの認定申請疾病
急性症状の有無やその程度,その後の慢性障害の有無やその程度は人によって様
々であるが,原告らに共通するのが晩発性障害の発症であり,それがまさに本訴に
おける原告らの各疾病である。
(b) 物理細胞学的影響
放射線の直接作用
放射線のうち,アルファ線やベータ線のような電荷をもった粒子線(荷電粒子
線)は原子や分子に直接的に電離や励起を引き起こす。電離とは,人体を構成する
細胞の原子や分子に放射線のエネルギーが吸収されることにより,原子や分子から
電子が引き離されることをいい,励起とは,電子がエネルギーのより高い準位に遷
移することをいうところ,電離作用によると分子が壊れてしまうことになるが,こ
の作用が集中して起こるか,あるいはばらばらで起こるかということによって,人
体に対する影響も変わってくる。一方,電荷をもっていないガンマ線は,電子との
相互作用(光電効果)により,原子や分子を直接的に電離するが,これにより生じ
た二次電子は,ベータ線と同じ作用を行い,更なる電離を引き起こし,ガンマ線が
直接的に電離する数と二次電子が電離する数を比較すると,後者の方が前者より桁
違いに多いとされている。
さらに,ガンマ線と同様に電荷をもっていない中性子線は,電子との相互作用は
ほとんどなく,原子や分子に直接的に電離や励起を引き起こすことはないが,中性
子線は容易に原子核に到達することができるため,核反応を起こす。その結果,弾
性散乱,被弾性散乱及び核変換などにより,二次的に荷電粒子線やガンマ線を発生
させ,これらの荷電粒子線やガンマ線が原子や分子に電離や励起を引き起こす。
人体内に入った放射線は,このような物理的過程により,細胞内にあるタンパク
質や核酸(DNAやRNA)などの重要な高分子に電離や励起を引き起こして破壊
し,細胞に損傷を与える(放射線の直接作用)。
放射線の間接作用
さらに,初期の物理的過程により,原子や分子の化学的結合が切れて放射線分解
が起こると,遊離基(1個又は複数個の不対電子を有する原子や分子で,フリーラ
ジカルという。)が生成される(これを物理化学的過程といい10億分の1秒程度
の時間内に起こる。)ところ,人体内に放射線が入ったときに生成する遊離基は,
人体の主成分である水分子の変化したものが多い。そして,遊離基は極めて不安定
で非常に反応性に富むため,他の遊離基又は安定分子と直ちに反応する。遊離基が
生物学的に重要な分子である細胞内のタンパク質や核酸と反応して変化を起こし,
結果として細胞に損傷を与える(放射線の間接作用)。
生物学的影響
放射線の直接作用もしくは間接作用により与えられた損傷は,修復酵素などの働
きにより修復されるが,全ての細胞の損傷が完全に間違いなく修復されるわけでは
なく,十分に修復しきれなかった場合,損傷を受けた細胞が自らを死滅させるアポ
トーシス(細胞自滅)などの生体防護機構が存在するものの,損傷を受けた全ての
細胞がこれにより排除されるわけではない。その結果,人体内の細胞の損傷が拡大
し,遺伝的影響や晩発性障害を引き起こすなどの重大な影響を与えることになるの
である。
(c) 免疫的影響(加齢を含む)について
放影研の免疫的影響の研究
原爆放射線が人体にどのような生物学的影響を与え,これが様々な疾患を引き起
こす経路は未だ明確には解明されていない。しかし,がん以外の疾患について,免
疫系への放射線影響がある程度関係しているかもしれないという仮説がきわめて有
力である(甲全85号証の9ないし14)。
放影研では,後述するような死亡率(寿命)調査や,成人健康調査における疾患
ごとの放射線との線量反応関係だけではなく,原爆放射線と免疫との関係を継続的
に調査している。
アップデートの内容−免疫と炎症,そして加齢
i ナイーブT細胞とメモリーT細胞の混乱
これらの調査の結果をまとめたものが,放影研のアップデート(2004年春,
楠洋一郎ほか「原爆放射線が免疫系に及ぼす長期的影響:半世紀を越えて」,甲全
85号証の1)である。
その中で注目されているのがT細胞の変化であり,T細胞性は細胞性免疫の主役
を演ずるが,T細胞のホメオスタシス(均衡)は,ナイーブT細胞集団とメモリー
T細胞集団の再生と死の均衡の上に成り立っているとされる。ところが,原爆被爆
者の場合,高齢者と同様の免疫学的変化,すなわち,ナイーブT細胞産生能の減少
と,メモリーT細胞のクローン性増殖が確認されている。
これらの点について,被爆後50年を経過した後でも,ナイーブT細胞の数は,
同年齢の非被爆群に比較して少なく,また,メモリーT細胞におけるT細胞受容体
レパートリーの偏りは,被曝線量に伴い有意に増加するとされている。
放射線と免疫及び炎症との関係
さらに研究の中で明らかにされているのが,放射線と免疫的変化,そして炎症と
の相互関係である。すなわち,放射線の線量と,IL(インターロイキン)6やC
RPといった炎症反応を示すマーカーが相関していることが放影研の研究によって
明らかにされている(「原爆放射線における炎症応答マーカーの放射線量依存的上
昇」,甲全85号証の11,「原爆放射線が免疫系に及ぼす長期的影響:半世紀を
越えて」,甲全85号証の1)。このようなことから,放影研では,T細胞数の減
少や偏りと,炎症反応との関係の間には,相関関係があると考えて研究を進めてい
る。
放射線と遺伝的素因との関係
さらに放影研では,疾患の発症に放射線と遺伝的素因がどのように影響するかに
ついても調査を継続している。その中に,広島で被爆時20歳未満であった人では,
2型糖尿病(多くの日本人がこの型である。)の有病率と,放射線の間に有意な相
関関係があることを確認するとともに,HLAクラス競織ぅ廾篥岨劼砲茲辰董な
射線の影響の程度に差があることが前述のアップデートに報告されている。
加齢との関係
上記のような放射線と,免疫,炎症(ホルモンとの関係を含む),遺伝と疾患の
発生との関係について,放影研では,加齢を中軸として,研究が進められている。
まとめ
放射線の影響について,動物では加齢が認められている。そして,放影研のホー
ムページには,最近,放射線は,加齢と同様に炎症マーカーや抗体産生量の増加に
寄与しており,したがって,放射線被曝が加齢による炎症状態の亢進を更に促進し
ているかもしれないということを示唆する論文が発表されたことが掲載されている
(甲全105号証)。
また,以上述べたような免疫や炎症との関係から,心筋梗塞,脳梗塞,高血圧,
肝機能障害がある程度統一的に説明ができるかもしれないのである。そして悪性腫
瘍も炎症や免疫を介しての放射線の影響であることが考えられている。
そして,放影研自身,疫学調査も踏まえ,最近,原爆被爆者においてがん以外の
ほとんどの主要な疾患による死亡率と放射線量との間にも明確な関連性が観察され
ていると認識する状況になっているのである。
e 遠距離・入市被爆者に見られた放射線影響
遠距離・入市被爆者についても,放射線の影響としか考えられない脱毛,紫斑,
下痢等の典型的な急性症状が認められたことは,既に述べたとおりである。
このように,遠距離・入市被爆者について,近距離被爆者と同様の急性症状が発
症していることにかんがみれば,放射線の影響を受けているとみるべきである。た
だ,急性症状を発症しなかった者にも少なくない割合で放射線の影響としか思われ
ない体調不良や後障害が発生していることに十分注意すべきである。
f 旧厚生省公衆衛生局長の通知の重要性
旧厚生省衛生局長は,各都道府県知事や広島市長及び長崎市長に対し,「原子爆
弾被爆者の医療等に関する法律により行う健康診断の実施要領について」(昭和3
3年衛発第727号,甲全2号証,「実施要領」という。)及び「原子爆弾後障害
症治療指針について」(昭和33年衛発第726号,甲全9号証,「治療指針」と
いう。)と題する通知を行っているが,ここにおいては,原爆被爆者に関しては,
いかなる疾患又は症候についても一応被爆との関係を考えるべきであるとの立場が
示されており,放射線の人体影響が未解明である状況にあって,被爆者救済を図る
視点として極めて示唆的である。
イ あるべき認定基準
原爆症認定の要件の中で,放射線起因性に関しては,被爆者が放射線に影響があ
ることを否定し得ない負傷又は疾病に罹り,医療を要する状態となった場合には,
放射線起因性が推定され,放射線の影響を否定し得る特段の事情が認められない限
り,その負傷又は疾病は原爆放射線の影響を受けたものとして,原爆症認定がされ
るべきである。かかる解釈を採るべき根拠は以下のとおりである。
(ア) 原爆投下の国際法違反と核廃絶の決意
アメリカによる広島,長崎両市に対する原爆投下は,国際法違反であり,このこ
とは,平成8年(1996年)7月に言い渡された国際司法裁判所(ICJ)の勧
告的意見によって明らかにされている。
そして,被爆者は,かかる戦争犯罪の被害者であり,その被害は現在においても,
更には今後も継続するものである。
このことと,被爆者援護法の前文に記載された核廃絶への決意を踏まえれば,核
兵器の影響を過小評価するのではなく,可能な限り広い範囲で原爆放射線の影響を
認定することが,唯一の被爆国としてのありようであり,被爆者援護法の正しい解
釈である。
(イ) 国家補償的配慮について
最高裁昭和53年3月30日判決(民集32巻2号435頁)は,被爆者援護法
の前身である原爆医療法につき,国家補償的配慮が根底にあることは否定できない
と判示しており,このことは,被爆者援護法にも当てはまるものである。
したがって,放射線被害についても,可能な限り戦争被害補償としての実を上げ
るような解釈を採るべきであり,その意味からも原告ら原爆症認定申請者らの立証
責任は軽減されるべきである。
(ウ) 公平の理念に基づく立証責任の軽減
原爆の被害は甚大であった上,戦後,占領軍による原爆被害の隠ぺいなどのため,
被爆者による証拠収集の途は閉ざされていた。
一方,放射線の影響に関する科学的調査や疫学的調査などの重要資料は,ABC
Cないしは放影研,ひいては厚生労働省が独占している状態である。
したがって,このような状態は一種の証明妨害あるいは証拠の偏在であるから,
原告らの放射線起因性についての立証責任は当然軽減されるべきである。
(エ) 平成12年最高裁判決との関係
平成12年最高裁判決は,放射線起因性の証明の程度について,高度の蓋然性を
要すると判示している。
しかし,もともと,行政処分は,行政目的のために設定される制度であって,そ
の要件該当性は,当該行政の目的に合致するように判断されるべきであるから,一
般の市民関係を規律する民法における判断,解釈と同一であってよいはずがない。
したがって,放射線起因性の判断において求められる証明の程度は,通常の民事
訴訟における因果関係より軽減されるべきである。
(オ) 起因性の証明の程度
仮に,平成12年最高裁判決の立場を採用したとしても,民事訴訟における証明
の程度は均一ではなく,本件においては,当然,証明の程度が軽減されるべきであ
る。
これに対し,被告らは,放射線起因性の判断は,科学的・医学的知見を離れて行
うことはできず,その判断に素人的,あるいは被爆者を保護すべきであるといった
価値判断を入れたものであってはならないなどと主張する。
しかし,これは被爆者に不可能を強いることを公然と述べたものであり,平成1
2年最高裁判決もこのような考え方を否定したものと評価できるのである。
(被告らの主張)
(1) 被告らの主張の概要
ア 放射線起因性判断の概要
(ア) 放射線による被曝が人の健康に影響を及ぼす可能性があることは,広く一般
に知られているところであるが,一般的に疾病は幾つかの要因が絡み合って発生す
るものであり,その症状も,放射線被曝特有のものではないため,当該個人の症状
を分析しても,その疾病が放射線被曝によって生じたものか否かを判別することは
極めて困難である。
そのため,被爆者に生じたある疾病が,放射線被曝に起因するものであるか否か
を判定するには,疫学的方法によって検討するほかない。すなわち,ある疾病にお
いて,危険因子に曝露した者の集団とそうでない者の集団とを比較し,あるいは,
危険因子に高濃度の曝露を受けた者の集団と低濃度の曝露を受けた者の集団とを比
較し,前者の方が疾病の発生率が有意に高いか否かを観察し,又は回帰分析と呼ば
れる方法を用いるなどして,当該疾病と危険因子との関連を検討することが必要と
なる。
(イ) そして,上記の疫学的方法による比較対照や回帰分析を行う前提として,個
々の被爆者がどの程度の放射線量を被曝しているのかを推定し,この推定線量に基
づいて集団を設定し,あるいは回帰式を決するなどの作業を行う必要がある。放射
線の人体への影響は,確定的影響と,確率的影響があることが明らかになっている
ところ,当該被爆者の疾病が確定的影響に分類される場合には被爆者の被曝線量が
一定の線量以上かどうかが,確率的影響に分類される場合には当該被爆者の被曝線
量と同量の放射線を被曝した場合における当該疾患の出現する確率と被曝線量との
用量(放射線被曝の場合は「線量」)反応関係が,それぞれ放射線起因性を判断す
る重要な基準となる。
しかるに,個々の被爆者の被曝線量を直接測定することは現在においては不可能
であるから,被爆者の被爆当時のデータから被曝線量を推定する方法(放射線量推
定方式)を用いて,個々の被爆者の被曝線量を求める必要がある。放影研における
疫学調査や審査の方針における申請者の被曝線量の推定については,DS86が用
いられているところ,これは,日米の放射線学の第一人者が開発した広島及び長崎
における原爆放射線の線量評価システムである。
(ウ) 審査の方針においては,これらの疫学的方法及び原爆放射線量推定方式に基
づき,確率的影響に分類される疾患について,原因確率という手法を採用し,これ
を一応の目安として放射線起因性の有無を判断しているところ,これは,放影研に
おける疫学調査を基に,各疾患について放射線被曝がどの程度影響しているとみら
れるのか,その疾患が発生した者のうちその発生が放射線被曝の影響によると考え
られる者を割合的に算出し,これを目安に,当該被爆者に生じた疾患が放射線被曝
の影響である可能性はどの程度か,すなわち被爆が原因である可能性はどの程度の
割合かを判断するというものである。
イ 被曝線量を把握することが必要かつ重要であること
以上のとおり,確定的影響の場合も,確率的影響の場合も,被曝線量が放射線起
因性を判断するための重要な情報となっている。そこで,まず,個々の申請者の被
曝線量を把握して原因確率やしきい値を検討し,さらに,既往歴,環境因子,生活
歴等も総合的に勘案して放射線起因性の有無を判断することになるが,その意味で,
被曝線量を把握することなくして放射線起因性を判断することは不可能というべき
である。
ウ DS86によって初期放射線による正確な被曝線量を把握できること
(ア) 原爆による初期放射線は,物理法則に従って発生し,容器の外部に射出(漏
出)し,空中を伝播(輸送)し,地形,家屋,人体等により遮蔽されて人体各臓器
に到達する。放射性物質が核種によりどの程度の放射線を出してどの程度の時間で
変化するかも物理法則に従うものである。原爆の初期放射線の飛散状況は,このよ
うな放射線物理学等の科学的知見によって十分解明されるに至っている。これらの
科学的知見を集積して完成したのが,DS86であり,大型コンピュータによって
理論的に線量を推定するものであって,科学的,可及的に正確な値を導くことがで
き,信頼性は極めて高い。爆心地から遠距離地点において,DS86において計算
値と計測値との不一致があるともされていたが,更に検討が行われ,平成15年3
月に公表されたDS02においてDS86の正当性が改めて検証されている。
(イ) 原告らは,DS86による線量評価が遠距離地点において過小評価されてい
る根拠として,広島の爆心地から2.05劼涼賄世任離ンマ線の測定値がDS8
6による計算評価値の約2.2倍であった旨の長友論文(甲全28号証の1・2)
を指摘するほか,遠距離被爆者及び入市被爆者について脱毛や下痢等の急性症状が
見られたことを報告した調査結果の存在を指摘する。
しかしながら,広島の爆心地から2.05劼竜離における測定値がDS86に
よるガンマ線の計算評価値の約2.2倍であったとしても,その測定値は,わずか
0.129Gy程度にすぎない。急性症状が生じる被曝線量は最低でも1Gy以上とさ
れており,さらに,脱毛は頭部に3Gy以上,下痢は腹部に5Gy以上の被曝線量で発
症することは,今日における放射線医学の常識である。こうしたことからしても,
爆心地からの遠距離地点における被曝線量の程度は,ごくわずかであることは明ら
かである。遠距離地点においてDS86による計算値と測定値とに仮に何らかのそ
ごがみられるとしても,上記急性症状の原因を検討する上では,このようなそごは
無視し得る程度のもので,いずれにせよ,上記急性症状が生じ得る被曝線量には到
底達していない。このことは,爆心地から距離が離れるにつれて距離の2乗に反比
例して放射線量が低下するという放射線の物理的な性質からも裏付けられる。
原爆から発せられた熱線や爆風は,爆心地から2卉賄世砲泙之物を全焼倒壊さ
せる被害を及ぼし,さらに,3卉賄世砲泙撚仆や家屋の自然発火が見られたが,
それはあくまで熱線や爆風による影響であり,放射線による影響ではない。原爆に
よる初期放射線が致死的な影響を及ぼした範囲は爆心地から1卉賄青度にとどま
り,距離と共に放射線量が急激に低減したことに留意する必要がある。
そうであるならば,遠距離被爆者及び入市被爆者について,被爆による急性症状
としての脱毛等を生じさせるに必要な数グレイもの高レベルの被曝線量があったと
考えることは,およそ放射線学の常識に反する不合理な結論である。脱毛等の急性
症状が見られたとする調査結果は,疫学的,統計学的な分析を踏まえたものではな
く,原爆放射線被曝による急性症状と断定することはできない。
したがって,原告らが指摘する調査報告等があるからといって,DS86の正確
性が左右されるものではない。
エ 審査の方針における放射性降下物及び誘導放射能による被曝線量評価は正当
であること
原爆投下直後から複数の測定者が放射性降下物及び誘導放射能の測定を行ってお
り,それによると,爆発直後から無限時間までの爆心地での地上1mの誘導放射能
による積算線量は,広島で約0.50Gy,長崎で0.18ないし0.24Gyであっ
た。また,放射性降下物は,広島では己斐,高須地区,長崎では西山地区に特に多
くみられることが確認され,爆発1時間後から無限時間までの地上1mの位置での
放射性降下物によるガンマ線の積算線量は,広島の己斐,高須地区で0.006な
いし0.02Gy,長崎の西山地区で0.12ないし0.24Gyであった。
審査の方針のうち,誘導放射線(残留放射能による放射線)による被曝線量を定
めた別表10,放射性降下物による被曝線量を定めた第一の四の3の表は,このよ
うな実際の調査結果を踏まえて作成されたものであり,これに勝る科学的知見は存
在せず,これを用いることが最も科学的な推定方法というべきである。
オ 審査の方針において内部被曝による被曝線量を考慮していないことは正当で
あること
放射性降下物が最も多く堆積し,原爆による内部被曝が最も高いと見られる長崎
の西山地区の住民について,二度の経時的な実測を含め,昭和20年から昭和60
年までの40年間にわたる内部被曝積算線量の算定が行われ,これに勝る科学的知
見は存在しないところ,その線量は,男性で0.0001Gy,女性で0.0000
8Gyと評価された。これは,自然放射線による年間の内部被曝線量(0.0016
Sv=すべてガンマ線であった場合0.0016Gy)と比較しても格段に小さいもの
であるから,審査の方針において内部被曝による被曝線量を考慮しないものとされ
たことは正当である。
カ 審査の方針における原因確率による放射線起因性の判断方法は合理的である
こと
審査の方針においては,確率的影響による疾病について,放影研が広島及び長崎
の被爆者の線量推定値を基礎に疫学的手法を用いて算出したリスク推定値を基に,
原爆放射線の影響を受けている蓋然性があると考えられる原因確率を算定し,これ
を目安として,放射線起因性の判断をすることとされている。放影研が行った疫学
調査は,大規模であり,疫学的にも極めて精度の高い調査であって,このような調
査に基づいて算定された原因確率による判断方法に不合理な点はなく,これに勝る
科学的な知見は存在しない。
キ 本件各処分の適法性
被告厚生労働大臣は,被爆者援護法11条1項に規定する認定を行うに当たり,
申請疾病が原子爆弾の傷害作用に起因すること又は起因しないことが明らかである
場合を除き,審査会の意見を聞かなければならない(被爆者援護法11条2項)。
これは,申請疾病が原爆放射線によるものかどうかの判断は極めて専門的なもの
であるため,客観性,公平性を担保するためにも,医学・放射線防護学等の知見を
踏まえた判断をする必要があるとの趣旨によるものである。申請疾病の放射線起因
性について検討する医療分科会の委員及び臨時委員は,放射線科学者や,現に広島
・長崎において被爆者医療に従事する医学関係者,更に内科や外科等の様々な分野
の専門的医師等から指名された者であり,疾病の放射線起因性や要医療性の判断に
ついて高い識見を有する者である。
本件においても,被告厚生労働大臣は,いずれも医療分科会に審査を行わせてお
り,審査の方針を目安としつつ,高度に専門的な見地から原告らについては,いず
れも放射線起因性は認められないと判断されたものである。
審査の方針では,原因確率がおおむね10%未満である場合には,当該可能性が
低いものと推定することとした上で,これらを機械的に適用して判断するのではな
く,高度に専門的な見地から,更に当該申請者に係る既往歴,環境因子,生活歴等
も総合的に勘案した上で判断を行うものとしているが,それは,高度に専門的な科
学的知見に基づく判断であり,およそ科学的とはいえない判断が受け入れられるべ
きものということにはならない。例えば,遠距離被爆者等で被曝線量が低く,原因
確率も10%未満である場合に,いくら申請者が脱毛等の急性症状の既往歴を訴え
たとしても,被曝線量からみて,それが放射線被曝に起因するものであるというこ
とがおよそできない以上,その既往歴を考慮して申請に係る疾病につき放射線起因
性を認めることができないのは当然である。この点は,内部被曝についても同様で
あり,いくら上記申請者が,被爆後の生活歴,環境因子として,内部被曝の可能性
を示す事実を訴えたとしても,その被曝線量がごくわずかであるため,これを考慮
して申請に係る疾病につき放射線起因性を認めることができないことに留意すべき
である。
本件各処分は,医療分科会での専門的な意見を踏まえてされたものであり,放射
線起因性を否定した判断に誤りはなく,そうである以上,被告国が国家賠償法上の
責任を負う余地もない。
以上の点につき,以下詳論する。
(2) 審査の方針に基づく判断の合理性
ア 審査の方針の概要
医療分科会は,放射線起因性及び要医療性の判断の方針として審査の方針を定め
ているが,これは,被爆者援護法11条1項の認定に当たって目安となる方針であ
って,医療分科会の委員が審査に当たり,共通の認識として活用する趣旨のもので
ある。以下,審査の方針について概説する。
(ア) 審査の方針においては,「原爆放射線起因性の判断に当たっては,申請疾病
における原因確率及びしきい値を目安として,当該申請疾病の原爆放射線起因性に
係る高度の蓋然性の有無を判断する」こととしている。ここでいう原因確率とは,
原爆放射線によって誘発された疾病発生の割合のことであり,しきい値とは,確定
的影響において被爆による症状が発生するための最低限の線量をいう。
(イ) 原因確率は,申請疾病,申請者の性別の区分に応じて適用される審査の方針
別表により,申請者の推定被曝線量と被爆時の年齢によって算定する。申請者の推
定被曝線量は,初期放射線による被曝線量(申請者の被爆地及び爆心地からの距離
の区分及び遮蔽物の有無に応じて定められる。)に,誘導放射能による被曝線量
(申請者の被爆地及び爆心地からの距離及び爆発後の経過時間の区分に応じて定め
られる。)及び放射性降下物による被曝線量(原爆投下の直後に特定の地域に滞在
し,又はその後,長時間にわたって当該特定の地域に居住していた場合について定
められる。)を加えて算定する(なお,実際の初期放射線による被曝線量は,後述
のとおり,審査の方針別表9ではなく,審査会線量推定表によって算定してい
る。)。
(ウ) 求められた原因確率がおおむね50%を超える場合は,当該申請疾病につい
て,一応,原爆放射線による一定の健康影響の可能性があると推定し,原因確率が
おおむね10%未満である場合には,当該可能性が低いものと推定することとした
上で,これらを機械的に適用して判断するのではなく,高度に専門的な見地から,
更に当該申請者に係る既往歴,環境因子,生活歴等も総合的に勘案した上で判断を
行うものとしている。
(エ) また,原因確率等が設けられていない疾病等に係る審査に当たっては,当該
疾病等には,原爆放射線起因性に係る肯定的な科学的知見が立証されていないこと
に留意しつつ,高度に専門的な見地から,当該申請者に係る被曝線量,既往歴,環
境因子,生活歴等を総合的に勘案して,個別にその起因性を判断するものとしてい
る。
イ 審査の方針を目安として放射線起因性の有無を判断することの合理性
(ア) 放射線起因性の判断は,訴訟上の因果関係としての「高度の蓋然性」の立証
によるものであり,これまでに多くの確立した科学的・医学的知見が存在するから,
当然これらの知見から離れて行い得るものではない。審査の方針において,放射線
起因性の判断をするために用いられる原因確率,原爆放射線の被曝線量(初期放射
線による被曝線量の値に放射性降下物及び誘導放射能による被曝線量の値を加えて
得られる。)等は,いずれも原子物理学,放射線学,疫学,病理学,臨床医学等の
高度に専門的な科学的・医学的知見に基づくものである。
(イ) 審査の方針において,原因確率がおおむね10%未満であるということは,
放射線被曝の有無に関係のない自然発生の疾病である可能性が90%以上あるとい
うことであり,通常は,放射線起因性について高度の蓋然性があるとは認め難いと
いうべきである。
そして,審査の方針においては,原因確率等が設けられていない疾病等に係る審
査は当然のこととして,原因確率が設けられている疾病等に係る審査においても,
例え原因確率が10%未満であっても,それのみから機械的に放射線起因性を判断
するのではなく,当該申請者に係る既往歴等,環境因子,生活歴等も総合的に勘案
した上で判断を行うものとしている。
そうである以上,原爆症認定の要件である放射線起因性の有無を判断するに当た
って,このような審査の方針を目安とすることには十分な合理性があるというべき
である。
(3) 審査の方針における初期放射線の評価が正当であること(DS86の正当
性)
ア 放射線被曝線量の算定の必要性,重要性
一般的に疾病の要因には様々なものがあり,放射線被曝の有無に関係なく発症し
得るものであって,このことは,被爆者でなくとも,胃がんや膀胱腫瘍等,原告ら
と同じ症状の患者が全国に多数存在していることからしても明らかである。放射線
被曝が発症等に関与した可能性があるとしても,放射線被曝特有の症状が現れるわ
けではないため,当該被爆者個人の症状を分析しても,被爆から発症まで長期間が
経過し,その疾病の発症要因が合理的に特定できて,放射線起因性がないことが明
らかな場合を除き,その疾病が放射線被曝によって生じたものか否かを判別するこ
とは極めて困難である。
しかし,今日,放射線の影響について多くの知見が蓄積されており,個々の研究
成果は,UNSCEAR(国連放射線影響科学委員会)等において,高度に専門的
な科学的・医学的知見に基づく評価を受けた上で,報告書等として公表され,人類
全体の知見となっている(「放射線の線源と影響 原子放射線の影響に関する国連
科学委員会の総会に対する1994年報告書」,乙全46号証)。このような確立
した知見を活用して当該疾病が放射線に起因するものか否かを推論することは十分
に可能である。
すなわち,確定的影響であれば,当該被曝線量以上の放射線に被曝していること
が明らかになれば,放射線起因性を肯定する有力な事情になる。一方,確率的影響
であれば,被曝線量が多ければ多いほど放射線に起因した疾病である可能性が高ま
るということになるから,被曝線量は,放射線起因性を判断する有力な情報となる。
このようなことから,当該疾病が放射線に起因するか否かの判断をするに当たっ
ては,当該申請者が被曝した放射線量を具体的に把握する必要があり,かつ重要で
ある(乙全14号証・13頁)。
また,原爆による被爆としては,初期放射線による被曝,初期放射線等によって
誘導放射化された物質による被曝,放射性降下物による被曝,放射性物質が体内に
入って体内から被曝させる内部被曝があるが,線量ないし累積線量に引き直すこと
により,その影響の度合いを知ることができる(乙全14号証・332頁,348ないし
355頁)。
そこで,医療分科会が,放射線起因性及び要医療性の判断の方針としている審査
の方針では,日米の放射線学の第一人者が開発した広島及び長崎における原爆放射
線の線量評価システム(DS86)に基づく初期放射線による被曝線量を前提とし
て,放射線起因性の判断をするとの考え方に立っている。
イ 原爆放射線推定方式であるDS86の正当性
(ア) DS86の概要
原爆の初期放射線の飛散状況は,放射線物理学等の近時の科学的知見によって十
分解明されるに至っている。これらの科学的知見を集積して完成したのが,DS8
6による被曝線量推定システムである。
DS86は,原爆の爆弾としての出力,ソースターム(爆弾から放出される粒子
や量子の個数及びそのエネルギーや方向の分布),最新の計算方法による空気中カ
ーマ(被爆者の周囲の遮蔽を考えない場合の被曝線量),遮蔽カーマ(被爆者の周
囲の構造物による遮蔽を考慮した被曝線量),臓器線量(人体組織による遮蔽も考
慮した被曝線量)の計算モデルを統合し,被爆者の遮蔽データを入力して臓器の吸
収線量など各種の線量を計算するシステムである。当時としては,最高の大型コン
ピュータを駆使した緻密な計算結果に基づいて作成されたものであり,その信頼性
は極めて高い。そして,この放射線量推定の理論計算の手法は原子力発電所や医療
用放射線の線量推定にも応用されてきている。
(イ) 遠距離地点において計算値と測定値とにそごがみられるとしても,被曝線量
の測定値自体は極めて低く,無視し得る程度のものであること
a 原告らは,広島の爆心地から2.05劼竜離で採取された試料から熱ルミ
ネッセンス法を用いて得られた測定値がDS86によるガンマ線の計算評価値の約
2.2倍であった旨の長友論文(甲全28号証の1・2)を根拠に,DS86にお
けるガンマ線の計算評価値と測定値とが乖離している旨を主張する。
b しかしながら,広島の爆心地から2.05劼竜離における測定値がDS8
6によるガンマ線の計算評価値の約2.2倍であったとしても,その測定値は,わ
ずか0.129Gy程度にすぎない。急性症状が生じる被曝線量は最低でも1Gy以上
とされており,脱毛は頭部に3Gy以上,さらに下痢は腹部に5Gy以上であることは,
今日における放射線医学の常識である。こうしたことからしても,爆心地からの遠
距離地点における被曝線量の程度は,上記急性症状が生じ得る被曝線量と比較する
と,ごくわずかであることは明らかであり,遠距離地点においてDS86による計
算値と測定値とにそごがみられるとしても,上記急性症状の原因を検討する上では,
このようなそごは無視し得る程度のもので,いずれにせよ,上記急性症状が生じ得
る被曝線量には到底達していないものであるといわなければならない。
なお,長友論文において指摘されているDS86の計算評価値と実測値の不一致
は,爆心地から1500mほど離れると,もはや自然放射線(バックグラウンド)
の線量との区別が困難となるという測定方法の限界に起因するものであることが明
らかとなっており,DS86の正確性については,後述のとおり,DS02によっ
て検証されている。
(ウ) 爆心地から1.5勸扮鵑涼賄世波鑁した人の中に脱毛や下痢を訴えた人が
いたとしても,被爆による急性症状とはいえないこと
a 原告らは,原爆投下からさほど時を経ずして行われたと認められる日米合同
調査団報告書に係る調査(甲全6号証),東京帝国大学医学部診療班の原子爆弾災
害調査報告に係る調査(昭和20年10月実施,甲全77号証の7),調来助教授
らの「長崎ニ於ケル原子爆弾災害ノ統計的観察」に係る調査(昭和20年10月か
ら同年12月にかけて実施,甲全8号証の2・文献4)及び於保論文(昭和32年
1月から同年7月にかけて実施された調査によるもの,甲全7号証)の各結果から,
広島についても長崎についても,爆心地からの距離が2勸扮鵑砲いて被爆した者
で脱毛や紫斑ないし皮下出血が生じたとする者が一定割合存在する事実が認められ,
爆心地からの距離が2勸扮鵑砲いて被爆した者に生じた脱毛等の症状は放射線に
よる急性症状であるとし,これをもってDS86及びDS02の計算値が過小評価
になっていると主張する。
b しかしながら,前述のとおり,爆心地からの遠距離地点における被曝線量は,
到底脱毛の原因となり得るものではない。原爆の初期放射線の飛散状況からしても,
爆心地から約1500m以遠の地点において,被爆による急性症状としての脱毛等
を生じさせるに必要な数グレイもの高レベルの被曝線量があったと考えることは不
合理であり,およそ放射線物理学の常識に反するものである。全身にそのような高
レベルの被曝があれば,脱毛程度の症状にとどまるはずはなく,感染症等の重大な
合併症を発症させるものであることに留意しなければならない。
c 原告らが指摘する調査結果は,戦後間もないころに実施されたものであり,
どの程度の症状のものを念頭において調査したものかについては判然とせず,脱毛
について,被爆者ではない非曝露群との比較をしたものでもなく,その内容をみて
も,疫学的,統計学的な分析を踏まえたものではない。
疫学や統計学に精通しないまま,一部の調査結果で指摘された発症率のみをとり
あげてこれを比較し,被爆による急性症状が認められるなどと断定することはでき
ない。
d そもそも,脱毛には,いろいろな症状及び発生原因がある。実際に,当時の
栄養状態について見てみると,終戦後の昭和21年,22年において,蛋白質,ビ
タミンB2,カルシウム等が著しく不足していたのであるから(乙全106号証),
昭和20年においては,これと同程度ないしそれ以上に不足していたものと推測さ
れる。蛋白質は毛髪の成長に重要な栄養素であるから,これが不足すれば,毛髪の
成長を阻害することが考えられるし,ビタミンB2は,これが欠乏すれば脂漏性皮
膚炎を引き起こすことが考えられ,当時入浴や洗髪もままならず,衛生状態が悪化
していたことも加わり,脱毛を引き起こした可能性は十分に考えられる。さらに,
もともと,8月から9月にかけての時期は抜け毛の多い時期であり,また,原爆投
下直後の入市者には,炎天下を長時間歩き回ったり,救護作業に従事していた者も
多いから,平常時では考えられないくらいの蓄積疲労や持続するストレスがあいま
って脱毛を引き起こした可能性も,十分に考えられる。
e そうである以上,爆心地からの距離が2勸扮鵑砲いて被爆した者に生じた
とされる脱毛等の症状が放射線による急性症状であるとし,これをもってDS86
及びDS02の計算値が遠距離において過小評価となっているとの主張は,現代に
おける放射線物理学,放射線医学の常識に反するものというほかない。
(エ) DS02によってDS86の正当性が検証されたこと
a DS02策定の経緯
日米の原爆放射線量評価実務研究班は,引き続き被曝線量システムについての研
究を進めていたところ,平成15年(2003年)3月,その知見を集積・統合し,
DS86を更新する線量推定方式としてDS02を策定した。
DS02は,DS86における評価方法を踏襲した上で,更に進歩した最新の大
型コンピュータを駆使し,最新の核断面積データ等を使い,かつDS86よりも緻
密な計算を用いることにより,DS86よりも高い精度で被曝線量の評価を可能と
したものである。DS02策定に当たって行われた研究は,DS86の評価方法の
正当性を改めて検証する結果となった(甲全84号証の1,乙全68号証)。
b 放射線量の再計算
(a) 出力の推定
DS02においては,原爆の出力や爆発高度について,再検討がされ,広島原爆
については,爆弾の出力を計算するための最新の理論計算により再計算がされた結
果,出力が15ktから16ktに修正された。また,放射化測定値に最適化するプロ
グラムが開発され,その結果,爆発高度が580mから600mに修正された。
他方,長崎型原爆は,DS02の再検討においてもDS86時とほぼ同様の結果
が示され,出力・爆発高度ともに修正の必要性はなかった。
(b) ソースタームの評価
ソースタームは,現代の最新の放射線物理学に基づき,核分裂で放出された放射
線が爆弾の外殻材料を透過した後のエネルギー分布や方向分布を算定したものであ
るが,放射性核種の反応の確率を表す核断面積データを最新の知見に基づくものに
更新したり,エネルギー分布をより精緻にしたりして,高い精度の結果を得た。ま
た,原爆放射線を,ウランやプルトニウムが核分裂した際に放出される即発放射線
(即発ガンマ線と即発中性子線)と核分裂後の生成物から放出される遅発放射線
(遅発ガンマ線と遅発中性子線)に分類して評価された。すなわち,DS02にお
いては,長崎原爆において43%,広島原爆において31%即発ガンマ線の数量
(モル数)が増えたが,即発ガンマ線のガンマ線全体に対する割合は約4%にすぎ
ず,合計ガンマ線の約1%の増加にしかならないということが明らかとなった。
その結果,DS02の中性子,ガンマ線のソースタームは,全体的にDS86と
よく一致しているとの結論に至った。
なお,前記(a) のとおり,広島原爆の出力の修正がされているが,これは,もと
もと12ktないし20ktというDS86時の広島型原爆の出力の不確実性,すなわ
ち系統的な推定誤差の範囲内の変更にすぎないため,DS02による出力推定の修
正は,ソースタームに影響しない。
(c) 空中輸送計算(空中伝播計算)
DS02における即発放射線(即発ガンマ線と即発中性子線)に関する空中伝播
計算は,DS86よりもエネルギーや距離・角度の分布につき細かく計算され,原
爆放射線のエネルギーについては,その高低によって中性子では199群(DS8
6では27群),ガンマ線では42群(DS86では群分けなし)に分類され,離
散座標法という計算法で解析された。角度分布についてもDS86では20に細分
化されていたものが,DS02では40に細分化された。さらに,離散座標法によ
り求められた放射化量及び線量の分布については,モンテカルロ法という別の計算
結果と比較する方法も採用された。また,DS02においては,遅発放射線(遅発
ガンマ線と遅発中性子線)の計算についても,DS86開発時よりも優れた計算方
法により求められた。
その結果,DS02により求められた中性子線・ガンマ線の大気中での放射線量
である空気中カーマ線量は,DS86と比較して有意な差がないことが明らかにな
った。
c DS02における測定値の評価
(a) ガンマ線測定
DS02においては,広島・長崎両市におけるガンマ線量測定値の再評価が行わ
れ,各測定値の検証やバックグラウンド,熱ルミネッセンス法による測定自体の誤
差等が検討された。
その結果,現行の熱ルミネッセンス法による測定値のうち,爆心地から約1.5
勸扮鵑梁定値については,原爆によるガンマ線量がバックグラウンド線量と同量
となることから,バックグラウンド線量の誤差が測定線量に大きく影響を与えるた
め,その測定値をもって正確なガンマ線量を評価することが不可能であることが判
明した。
そして,DS02では,DS02,DS86の各計算値と熱ルミネッセンス法に
よるガンマ線量の測定値との比較がされ,DS02の計算値の方がDS86の計算
値よりも一致度が若干高いものの,測定値と計算値の全体的な一致度は,上記バッ
クグラウンド線量の問題を考慮することにより,DS02と同様,DS86も良好
であるという結論に至り,ガンマ線量の推定においてDS86による計算値の正当
性が検証された。
(b) 熱中性子測定
熱中性子(低エネルギーの中性子)については,以下のとおり,ユーロピウム1
52及び塩素36の放射化測定(中性子が照射されることで,放射性核種が発生す
ることを,放射化といい,その核種の放射線量を測定することで照射された中性子
線量を推定することができる。)がされた結果,測定値の方の精度に問題があるこ
とが判明し,バックグラウンドや測定限界を考慮して,改めて検証したところ,計
算値と測定値が一致することが判明した。
(c) 速中性子測定
速中性子(高エネルギーの中性子)については,以下のとおり,リン32及びニ
ッケル63の放射化測定がされた結果,リン32については,試料の位置の修正等
がされ,ニッケル63については,加速器質量分析法(AMS)と液体シンチレー
ション計数法(放射性核種が混入されると蛍光を発する液体を用いた放射線測定
法)が使用され,いずれの結果もDS86の計算値とよく一致するとされ,その正
当性が検証された。
d 小括
以上のとおり,DS02の研究によって,DS86の原爆線量評価システムの正
当性が改めて検証されたということができる。
(オ) DS86に対する原告らの主張に対する反論
a DS86の内容は検証可能であり,その合理性は明らかであること
(a) 原告らは,原爆構造の詳細は軍事機密であり,科学的研究・分析の出発点と
なるべき原爆の構造等の基本事項すら明らかになっていないために客観的に追確認
ができない線量推定方式はそもそも信用性に乏しいなどと主張する。
(b) しかしながら,DS86は軍事目的で作成されたものではなく,医療用放射
線防護や原子力発電所での放射線防護などの領域において広く用いられている様々
な線量推定方式を応用したものであり,その内容,理論の概要等が報告書(「原爆
線量再評価 広島および長崎における原子爆弾放射線の日米共同再評価」,甲全2
6号証,乙全40号証)に記載され,検討に足りる内容が開示されている。
また,ソースタームの算定に用いられたコンピュータプログラムは,線量評価で
は頻繁に用いられるMCNP(モンテカルロ・コード)という計算コードであると
ころ,同計算式や,同計算に用いられる核断面積データは一般的に公開されており
(「原爆放射線の人体影響1992」,乙全14号証・333頁),これらの計算方
法を検証することは可能である。そして,DS02及びDS86において,ソース
タームや空中輸送計算の評価計算に用いられているコンピュータプログラムや核断
面積データも,原子炉等の放射線の空中輸送計算等で使用されており,計算方法を
検証することは可能である。
したがって,原告らの上記主張は失当である。
b 広島原爆の複製による実験結果を踏まえてされたDS86の線量評価に不合
理な点はないこと
(a) DS86では,広島に投下された原爆の出力推定を行うに当たり,広島に投
下された爆弾の構成部品を使用して建造された広島原爆の複製(原子炉)による実
験によって得られた結果を踏まえた線量評価がされているが,これに対し,原告ら
は,原子炉の放出する中性子線と,原爆の放出する中性子線とでは,高エネルギー
中性子線の割合において差が生じ,後者の方が高エネルギー成分が多くなり,この
差は,連鎖反応の繰り返しによって拡大する可能性があるので,原子炉の実験結果
を広島原爆にそのまま適用することはできないなどと主張する。
(b) しかし,そもそも,DS86の策定に際しては,3個製造された広島原爆の
外殻のうち,使用されずに保管されていた残りのものを利用して製作された原子炉
を用いて実験がされたのであり,爆弾自体の内部における状況を再現した原爆の複
製(レプリカ)を用いているのである。実物の爆弾に対して唯一変更したことは,
砲身を短くしたことと核分裂物質を減らして使用したことのみであり,基本的に広
島原爆と構造上の違いはない。
原告らは,原子力発電所にあるようないわゆる一般的な原子炉を念頭に置いてい
るようであるが,上記のとおり,DS86策定の際に検証に用いられたレプリカは,
広島原爆の外殻と同じものであって,広島原爆の放射線を測定・評価することだけ
を目的として製作された特別なものであるから,原告らの主張は,その前提を欠い
ており,失当である。
c DS86における中性子線の計算値と測定値との乖離は,測定値の測定方法
に問題があったことから生じたものであること
DS86における熱中性子線誘導放射能(ユーロピウム152,コバルト60,
塩素36)の計算値と測定値を比較すると,広島においては,系統的なずれがみら
れ,爆心地から近距離では計算値の方が測定値より大きく,遠距離ではその逆にな
っているが,その後の再測定により両者の値が一致することが判明し,ずれの原因
は,測定値の測定方法の問題であって,DS86の問題ではないことが判明してい
る。
(a) コバルト60の放射化測定値をもってDS86の線量評価が不合理であると
することはできないこと
これに対し,原告らは,コバルト60の測定値を根拠に,DS86が遠距離にお
いて過小評価していることを明確に示していると主張する。
しかしながら,コバルト60の半減期は短く,空中距離600m(ほぼ爆心地付
近)以遠の測定値は,不確実性が大きいため,放射化測定値をもって放射線量シス
テムの計算評価値と比較することはできない。
したがって,コバルト60の放射化測定値をもって,DS86の計算評価値を評
価すること自体できない。
また,DS02においては,熱中性子線について,より半減期の長い核種である
ユーロピウム152や塩素36につき精度の高い測定方法により再測定を行い,そ
れらの測定値とDS86の計算評価値とが一致していることを確認しているのであ
って,DS02及びDS86の計算評価値は熱中性子線により放射化されたユーロ
ピウム152や塩素36の測定によりその正当性が検証されている。
したがって,コバルト60の測定結果からDS86が遠距離において過小評価し
ているとする原告らの上記主張は,失当である。
(b) 原告らが根拠とする澤田教授の意見書の内容は不合理であること
原告らは,長崎原爆によるユーロピウム152の放射化のデータを,最小2
乗法により近似曲線を求めると,DS86の推定値は爆心から700m以内では過
大評価であり,700mを超えると過小評価になる傾向が認められたなどと主張す
る。
しかし,澤田教授がその意見書(「最近の原爆放射線実測結果にもとづくD
S86の評価」,甲全34号証)等で採用しているカイ2乗法によって中性子線量
を推測する方法は,澤田教授独自の方法である。
そもそも,ガンマ線,中性子線の減衰の動向は,そのような数式で表される単純
なものではない。カイ2乗法は,方法論として非常に初歩的な方法であり,40か
ら50年前にはこのような単純な減衰による評価もされていたが,現在では詳細な
解析には用いられていない。
また,広島大学原爆放射線医学研究所教授星正治(「星教授」という。)は,広
島原爆線量研究会を代表して提出した意見書(乙全41号証)において,DS86
そのものがおかしいという見解は,澤田教授独自のものであることなど澤田教授の
見解の問題点を指摘している。
(c) その他の主張について
原告らは,DS86について,上記各点のほか,残留放射能を考慮していな
いこと,遠距離及び入市被爆者の急性症状を合理的に説明できないことなど,湿度
分布や数値計算を行う上での問題等を主張する。
しかしながら,DS86が直爆線量評価であり,残留放射能や入市被爆者につい
て考慮していないのは当然であり,原告らの上記主張は失当である。
また,原告らは,爆心地付近の湿度が低ければ,中性子線の大気中の水分に
よる吸収が減少する可能性があるとか,1500m以上の上空や2812.5m以
遠からの中性子の流入を無視することとなって計算値の信頼性を失わせた可能性も
あると主張する。
しかしながら,湿度分布や数値計算を行う上での問題については,いずれも裏付
けのないものである。
仮に,上記原告らの主張の根拠となり得るものがあるとすれば,澤田教授の見解
と推測されるが,澤田教授の見解に問題があることは,前述のとおりである。
(カ) 小括
以上のとおり,被告らの主張に対し原告らが反論するところは,いずれも失当と
いうほかない。DS86は,広島・長崎における被爆者の初期放射線による被曝線
量を,非常に高い精度で計算評価することが可能である。このことは,DS02に
よってDS86の正当性が検証されたことからも明らかである。DS86は,被爆
者らの放射線量推定方式として,現時点でも国際放射線防護委員会(ICRP)の
基準の根拠として用いられているように,最高の精度を有する放射線量評価システ
ムであるといえる。
ウ 審査の方針の合理性
(ア) 審査の方針では,以上のようなDS86に基づく初期放射線による被曝線量
を前提として,放射線起因性の判断をしているところ,DS86の内容が正当であ
ることは,前記イのとおりである。
したがって,このようなDS86に基づいて初期放射線による被曝線量を定める
審査の方針もまた正当性を有するものということができる。
(イ) なお,審査会の放射線起因性の判断においては,初期放射線による被曝線量
の値について,審査の方針別表9ではなく,審査会線量推定表が用いられている。
この審査会線量推定表における値と審査の方針別表9における値とは若干の違い
がみられる。
しかし,いずれもDS86を基に策定されたものであって,値の相違は,端数処
理の方法による相違に基づくものであり,より適正な判断を行うために審査会線量
推定表を用いているのである。
したがって,審査会線量推定表を用いて初期放射線による被曝線量の値を算定す
ることは,DS86の合理性に何ら影響を及ぼすものではなく,むしろ正確性にお
いて正当というべきである。
(4) 審査の方針における放射性降下物及び誘導放射能による被曝線量評価が正当
であること
ア 放射性降下物及び誘導放射能の線量評価
原爆投下後の早い段階から複数の測定者によって残留放射能の測定が行われ,そ
こでの調査結果を基にDS86策定の時に誘導放射能(残留放射能)の計算が行わ
れ,それが審査の方針の基となっている。
また,放射性降下物についても,調査が行われ,広島の己斐・高須地区,長崎の
西山地区で放射性降下物が特に多く見られ,これらの地区での線量推定が適切に行
われており,審査の方針もそれに基づくものである。
以下では,これらの点について,若干ふえんして主張する。
(ア) 残留放射能の調査
残留放射能の測定は,昭和20年8月10日から大阪帝国大学調査団による調査
が行われ,引き続き,京都帝国大学,理化学研究所調査団による調査が行われた。
その後,同年9月から10月にはマンハッタン技術部隊,同年10月から11月に
は日米合同調査団により広島及び長崎において放射能測定が行われ,また,広島文
理大の2名による測定も行われた。
これらの初期調査の結果,爆心地付近のほか,広島においては己斐,高須地区,
長崎においては西山地区で,残留放射能が高いことが判明した。
なお,放射性降下物については昭和50年に,誘導放射能については昭和51年
以降,被爆岩石中のユーロピウムの測定が行われているなど,残留放射能の調査は
その後も引き続き行われた。
(イ) 誘導放射能(残留放射能)
誘導放射能は,被爆生存者や早期入市者に対する被曝線量を推定する上で重要で
あり,昭和33年以降,被爆者の誘導放射能による被曝線量の計算評価が行われる
ようになり,それによると,爆発直後から無限時間までの爆心地での地上1mにお
ける誘導放射能による積算線量は,広島で約0.50Gy,長崎で0.18ないし0.
24Gyであった。
DS86策定時における研究では,誘導放射能によって被爆者が最大でどの程度
の線量を被曝したかを把握するため,グリッツナー及びウールソンにより,被爆者
が爆心地において爆発直後から無限時間まで滞在したと仮定した上で計算評価がさ
れた(したがって,実際の被爆者の誘導放射能による被曝線量はこれより低いもの
になる。)。その結果,爆心地において,縦軸で示される線量率(単位時間(ここ
では1時間)当たりの放射線量)が爆発後の経過時間(横軸)とともに減少してい
ること,縦軸で示される爆発直後からの積算線量(放射線の総量)が爆心から距離
が離れるとともに減少していること,更に,積算カーマ線量が爆発後の経過時間と
ともに減少することが示されている。したがって,端的に言えば,残留放射能によ
る被曝線量は,爆心地からの距離と入市時間と滞在時間に依存し,爆心地からの距
離が大きくなり,爆発後の経過時間が長くなれば,被曝線量は急速に小さくなると
いうことが示されたのである。
これらのデータに基づき,爆心地からの距離を100m間隔とし,積算線量も8
時間ごととして,広島・長崎それぞれに残留放射線量を算定して作成されたのが,
審査の方針における別表10である。
したがって,審査の方針における残留放射線による被曝線量の算定は正当である。
(ウ) 放射性降下物
広島における原爆は,ウランの核分裂により連鎖反応を起こさせたものであった
が,ウランの核分裂の結果,放射性の核分裂生成物が生じた。これらの多くは火球
とともに上昇し,上層の気流によって広範囲に広がったものと考えられる。核分裂
生成物の多くは,高度の放射能を有するが短寿命核種であって,放射能は急速に減
衰するため,核分裂生成物が爆発から数時間後に降下するかどうかが人の被爆に関
係してくる。
そこで,放射性降下物についても,被爆者に最大でどの程度の被曝線量を与える
かを把握するため,DS86の策定時に線量評価がされた。
広島及び長崎の原爆による降下物の量は,爆発後に両市で行われた線量測定によ
り比較的正確に推定することができるところ,上記の研究において,放射性降下物
は,広島では己斐,高須地区,長崎では西山地区に特に多くみられることが確認さ
れた(「広島および長崎における残留放射能」,乙全17号証)。このことは,こ
れらの地域がいずれも爆心地から約3夘下に位置し,かつ,これらの地域におい
ては爆発の30分ないし1時間後に激しい降雨があったことに対応するものである。
そして,上記両地域において,被爆後数週間から数か月の期間にわたり,数回の
線量率の測定が行われ,それらの測定値から爆発1時間後の線量率を推定し,任意
の時間内における積算線量が求められた。
その結果,爆発1時間後から無限時間までの地上1mの位置での放射性降下物に
よるガンマ線の積算線量は,広島の己斐,高須地区においては1ないし3R(レン
トゲン)(0.006ないし0.02Gy),長崎の西山地区で20ないし40R
(0.12ないし0.24Gy)と推定された。
なお,上記積算線量は,爆発1時間後から無限時間まで当該地域に居続けた場合
を仮定して得られた積算線量であるから,誘導放射能による積算線量と同様,実際
の被爆者の放射性降下物による被曝線量はこれより大幅に低下することになる。
これらの結果を踏まえ,審査の方針は,放射性降下物による被曝線量については,
「原爆投下の直後に特定の地域に滞在し,又はその後,長期間に渡って当該特定の
地域に居住していた場合について定めることとし,その値は次のとおりとする。」
と定め,当該特定の地域については,己斐又は高須(広島),西山3,4丁目又は
木場(長崎)とし,被曝線量は,それぞれ,0.6ないし2cGy(センチグレイ),
12ないし24cGyとしている(なお,自然放射線による被曝線量は,46年間の
積算で約3rad(3cGy)とされており,広島での己斐,高須地区での上記放射性降
下物による積算線量を上回るものである。)。
したがって,審査の方針における放射性降下物による被曝線量の算定は,正当で
ある。
イ 原告らの挙げる調査結果等に対する反論
ところで,原告らは,遠距離被爆者や入市被爆者に急性症状がみられたとする調
査結果や「黒い雨」に関する調査結果等を根拠に,以上の審査の方針における放射
性降下物及び誘導放射能による被曝線量の算定を批判するので,以下において,こ
れに反論する。
(ア) 於保論文(甲全7号証)が被爆による急性症状を的確に把握していたとは考
え難いこと
a 於保論文は,々島原爆の直接被爆者又は非被爆者のうち原爆の直後爆心地
から1.0勸米發涼楼茲貌り,10時間以上滞在した人々が急性原爆症を起こし
ており,これは原爆の残留放射能によるものと考えられ,その症状も軽くはなかっ
たこと,原爆1か月後中心地付近に出入した非被爆者にはその後急性原爆症を発
したものは殆んどなかったこと,残留放射能が人体に障害を与えた期間はおおよ
そ1か月以内であり,原爆で二次的に生じた各種の同位元素が極めて半減期の短い
ものであったこと,以上のとおり結論づける報告をした。
b しかしながら,今日の放射線医学の進歩により,急性症状が生じる被曝線量
は,最低でも1Gy以上,脱毛が生じるのが頭部に3Gy以上,更に下痢が生じるのが
腹部に5Gy以上であることが明らかになっているところ,前記のとおり,原爆投下
直後の測定によれば,残留放射線の程度は,このような急性症状が生じるほどのレ
ベルのものではない。
c また,一口に脱毛といっても,いろいろな症状及び発生原因があり,当時の
栄養状態や衛生環境を考えれば,10%ないし20%程度の国民が脱毛の症状を訴
えていたからといって,何ら不自然なことではない。発熱や下痢といった症状につ
いても,炎天下に,原爆投下後の市内を長時間歩き回ったり,作業をしたことによ
って,一時的に脱水症や熱中症を引き起こした可能性や,当時蔓延していた赤痢等
の感染症に罹患したために生じたと考えられるのであり,於保医師自身もその所見
が赤痢と同様であることを認めている。
d 於保医師が,これらの症状をどの程度正確に把握し,調査したものかについ
ては判然としない。調査自体,原爆投下から10年以上経過した昭和32年1月か
ら7月に行われたものであり,広島市内の一定地域しか調査していない。あくまで
も本人からの聞き取り調査であり,客観的な診断を経たものではない。
また,於保論文の内容をみても,疫学的,統計学的な分析を踏まえたものではな
いことは明らかである。
そうである以上,於保論文が被爆による急性症状を的確に把握していたとは到底
考え難いというほかない。
(イ) 濱谷分析は信頼性が極めて乏しく,急性症状と被爆距離の関係等に関する証
拠たり得ないこと
濱谷教授は,全国の被爆者約1万3000人を対象として昭和60年に実施され
たアンケート調査である「原爆被害者調査」を分析し,遠距離被爆者,入市被爆者
に急性症状がみられたことや急性症状があった人に健康状態の変化が多いという傾
向は,被爆距離によって変わるものではないなどと述べており,これを根拠として,
原告らは,遠距離被爆者や入市被爆者に原爆放射線に起因する急性症状がみられた
と主張する。
しかしながら,今日の放射線医学の進歩により,急性症状が生じる被曝線量は,
最低でも1Gy以上であることが明らかになっているところ,爆心地から3劼留鶺
離被爆者や入市被爆者がそのような急性症状を生じさせるような程度の被曝をした
とは到底考えられず,濱谷分析が被爆による症状を正確に把握した結果であるとは
いい難い。このことは,以下に述べる点からも明らかであり,このような濱谷分析
は,信頼性が極めて乏しく,急性症状と被爆距離の関係等に関する証拠たり得ない
といわざるを得ない。
a 濱谷教授の専門分野及びその調査の目的は社会学であり,濱谷分析において
「急性原爆症」などとされた症状は,医学的・放射線学的見地からなされた分析,
調査ではなく,被爆者の回答した症状についても,医学的な検討は全くされてはい
ない。また,濱谷分析において,原爆の影響で亡くなった者であると分類されてい
る者の中には,死亡状況が不明のものも,圧焼死のものも含まれている。
b 濱谷分析の基となったアンケート調査の質問の内容は,被爆者の主観を尋ね
るものであり,また,必ずしも急性の症状でなくても回答してよいかのような印象
すら与えかねないものであって,医学的ないし疫学的に放射線起因性を判断するに
は適さない問いであった。
c 濱谷教授が分析した「原爆被害者調査」は,被爆者に質問用紙を渡し,自由
に回答を記載させるという手法による調査であり,面接調査員がそれぞれの症状に
ついて詳細に確認をしていくという調査ですらなく,被爆者の回答の正確性を担保
するものは何もない。そのうえ,「原爆被害者調査」は,被爆後40年経過後にさ
れた調査であり,被爆者の記憶があいまいである可能性が高い。また,これらの調
査対象者には,被爆者手帳を持っていない者も含まれており,記憶を保持ないし喚
起する機会もなかったとも考えられ,そのような場合には,回答の正確性はより一
層低下するといい得る。さらに,調査時に被爆者が亡くなっている場合は,家族が
回答することになっており,そのような場合の回答の正確性は,極めて疑わしい。
また,急性症状自体の記憶の正確性の問題だけでなく,被爆地点(爆心地からの距
離)についての記憶の正確性にも問題がある。
d 濱谷分析は,「あの日のできごと(今でも忘れられないこと,恐ろしく思っ
ていること)」などの7項目を選び,それに有効な回答をした者だけを選んで集計
するなど,その集計の仕方にも問題がある。
e 小括
以上のとおり,濱谷分析の結果は,そもそも医学的・疫学的なものではない上,
基となるアンケート回答の正確性が担保されておらず,アンケートの質問及び集計
の仕方が適切でないことから,放射線による急性症状に関する調査としては,医学
的にも疫学的にも極めて信頼性の乏しいものであり,急性症状と被爆距離等に関す
る証拠とすることはできない。
(ウ) 齋藤報告書は極めて恣意的な内容であること
a 齋藤報告書の概要
齋藤報告書は,被団協2004年調査から,
広島被爆者
被爆時在住地が爆心地から4勸扮
その後,広島市内(爆心地から2勸米癲砲愼市
8月6日に見られた「黒い雨」の直接的曝露の経験なし
昭和20年末ころまでに脱毛を呈したこと
の5基準をすべて満たす29名を取り上げ,8月16日に入市したものがいるこ
と,爆心地から1.8厠イ譴臣賄世砲癲崔μ咫廚鯀覆┐深圓いることから,昭和
20年8月半ば以降においても,広島市内(爆心地から約2辧飽豈澆放射線被曝
急性症状である脱毛をもたらすような残留放射線の汚染環境であったと断じたもの
である。
b 齋藤報告書は放射線被曝による脱毛の発症メカニズムをおよそ考慮しないも
のであること
(a) 齋藤報告書は,「脱毛」を訴えた29名の入市被爆者の入市日や入市した地
点から,前記のような結論を導き出したものである。しかし,放射線の急性症状と
しての脱毛は,毛根が原爆放射線により損傷することによって生じるものであり,
内部被曝による場合には各毛根ごとに3Gy以上の被曝を与え得る放射能の集積が必
要であるところ,全身にそのようなレベルの被曝があれば,被爆直後から発熱,嘔
吐を生じ,脱毛,下痢とともに,著明な白血球減少を来たしたはずである。また,
呼吸や飲食等を通じて放射性物質が体内に取り込まれたとしてもことさら頭皮(毛
根部)のみにこれが集積することもあり得ない。
(b) そもそも,脱毛にはいろいろな症状及び発生原因があり,原爆が投下された
昭和20年当時の広島・長崎の悲惨な状況下では,極度の精神的ストレスや感染症,
栄養障害等の理由から多少の脱毛がみられたとしても何ら不自然なことではない。
(c) また,齋藤報告書が基礎としている被団協2004年調査は,平成15年5
月の被団協新聞の折り込みで,「遠距離被爆者・入市被爆者実態調査」を依頼し,
被爆者から寄せられた回答を集計したものであるが,およそ60年前の記憶を呼び
起こすことを要するものであり,その正確性や信頼性にはかなりの疑問があるとい
わなければならない。また,自己申告のアンケート調査を医学的な検討に供するた
めには,少なくとも症状を訴えた者についてその内容をさらに詳細に調査するなど
して,アンケート調査の限界を克服することが必要であるが,被団協2004年調
査にはそれがない。
(d) 以上によれば,齋藤報告書は,客観性に乏しいアンケート結果に基づき,そ
の症状の程度や内容も明らかではない「脱毛」の訴えを,ことさら,原爆放射能の
急性症状と決め付け,「8月半ば以降においても,広島市内一円は残留放射能の汚
染環境であった」と断じたものであるが,脱毛の発症メカニズムをおよそ考慮しな
いものであり,失当である。
c 齋藤報告書が検討対象集団とした29例の選択は不適切であること
齋藤報告書は,対象集団29例がすべて上記aイ両赦贈横闇末ころまでに脱毛
を呈したことという基準を満たしているとする。
しかし,齋藤報告書の対象集団は,そのほとんどが脱毛の発症時期が明らかでは
ない上,脱毛が発症していない者や昭和21年以降に発症している者を含み,さら
に,医学,放射線生物学の見地からは発症時期からして放射線被曝による急性症状
には当たらないものも含まれており,その対象の選択が不適切であって,齋藤報告
書の科学的客観性には疑問があるといわざるを得ない。
d 齋藤報告書は,脱毛群と非脱毛群の相違を考察していないこと
齋藤報告書は,約280名の入市被爆者のうち,脱毛を含む上記aの,覆い鍬
の基準を満たすとする29名の対象集団の入市行動等を検討しているが,非脱毛群
の検討が行われておらず,それらが原爆放射線の急性症状であると決め付けている
だけであり,具体的に非脱毛群との比較を行い,差異がある要因の有無の調査・検
討をした結果として放射線被曝を対象集団の脱毛の原因であるとしているわけでは
ない。
e 齋藤報告書は入市日ごとの脱毛の出現率を比較していないこと
齋藤報告書は,被爆当日(昭和20年8月6日)や翌日(同月7日)の入市者に
おいては,脱毛症状は珍しくなく,一方,それ以降の入市日で,脱毛事例が減少し
ており,残留放射線の経時的減衰の反映であると解されるから,入市被爆者の脱毛
症状は,これまでの被告らの主張であるストレスや栄養失調に由来するとの考え方
では,説明が困難であるとする。
しかし,同月6日及び7日に入市した者に脱毛が多く生じ(脱毛の出現率が高
い),同月8日以降に入市した者に脱毛は少ない(脱毛の出現率は低い)というた
めには,各入市日ごとの入市者の総数が何名であったのかを集計した上で,各入市
日ごとの脱毛の出現率を算出し比較しなければならないはずであり,アンケートを
募集しそれに応じてきた者の中での絶対数を比較することに意味はない。
(エ) 「黒い雨」に関する原告らの主張は失当であること
a 残留放射線の線量評価は適切に行われていること
(a) 原告らは,原爆投下直後にみられたいわゆる「黒い雨」の影響をことさらに
強調し,原爆放射線の人体影響については,初期放射線による外部被曝だけではな
く,放射性降下物や誘導放射能による被曝,とりわけ体内被曝が深刻かつ重大な要
素になっているのであり,これを無視する線量評価は明らかに誤りがあるなどと主
張する。
(b) しかしながら,被爆直後から放射性降下物の影響については十分な調査が行
われ,審査の方針にもそれが反映されているものである。放射性降下物は,広島で
は己斐,高須地区,長崎では西山地区に特に多くみられることが確認されたが,そ
れでも爆発1時間後から無限時間までの放射性降下物による積算線量は,前記のと
おりごくわずかである。これらの残留放射線量が初期放射線量に比してかなり低い
のは,時間とともに急速に低下するという放射能の性質によるものであり,自明の
事柄というべきある。この程度の放射線量であれば,放射線医学の常識に照らして
も,人体に影響を及ぼすほどのものでないことは明らかである。
(c) 原告らは,「黒い雨」及び「黒いすす」を放射性降下物と同視しているよう
であるが,原爆直後にいわゆる「黒い雨」が見られたのは,火災によるすすが捲き
上げられ,雨と一緒に降下したことによるものであり,このすすと,原爆の核分裂
によって生成された放射性物質(放射性降下物)とは必ずしも同じものではない。
すなわち,己斐又は高須地区等に降った「黒い雨」及び「黒いすす」には放射性降
下物が含まれていたことが調査結果により推定できるのであるが,それ以外の地区
に降った「黒い雨」及び「黒いすす」に放射性降下物が含まれていたことは,調査
結果によっても何ら裏付けられてはいない。
(d) 「審査の方針」においては,誘導放射線による被曝線量及び己斐又は高須地
区等についての放射性降下物による被曝線量を考慮しているところ,己斐又は高須
地区等「審査の方針」に規定された地区以外での放射性降下物による被曝線量及び
体内被曝による被曝線量を考慮していないのは,それらが原因確率の判断に当たっ
ては影響しないようなごく微量にすぎないからである。
b 放射性降下物の影響を受けた地域を広げようとする原告らの主張には根拠が
ないこと
(a) 原告らは,広島原爆の黒い雨の降雨域は,宇田らが1953年に報告した
「宇田雨域」とされてきたが,被爆者の中から「宇田雨域」以外でも黒い雨が降っ
ていることが指摘されるようになり,これらの指摘をふまえ,増田が平成元年に発
表した増田雨域は,宇田雨域のほぼ4倍に相当するものであったと主張する。
(b) しかしながら,気象シミュレーション法を用いて推定した長崎の降雨地域は,
これまでの物理的残留放射能の証明されている地域と一致することが確認されてい
る。増田らが調査した降雨域は,原告らが主張するような経緯に照らしても,客観
性のあるものかは相当疑わしいといわざるを得ない。すなわち,増田論文自体が記
載しているように,同論文の基礎とした資料には,「原爆投下直後から,43年近
く経った現在までのものが混在して」おり,宇田雨域が健康診断特例地域に指定さ
れてからは,地域指定を求める運動と関連して降雨を過大に報告する傾向が強くな
ったものというべきである。
c 「黒い雨に関する専門家会議報告書」(乙全20号証)の内容に不合理な点
もないこと
原告らは,「黒い雨に関する専門家会議報告書」に多くの問題があると主張する。
しかしながら,原告らの主張は,以下のとおり失当である。
(a) 「キノコ雲」の高度推定に不合理な点はないこと
原告らは,「黒い雨に関する専門家会議報告書」における原爆雲の雲頂高度,横
径の推定が改ざんされた写真によるものであると主張する。
しかしながら,同報告書の資料編(54頁)の写真は,撮影現場でトランシットを
用いて地形や建造物の仰角を測定することで,写真上の距離と実際の角度(高度)
との関係を検証するため,爆発後40ないし60分後の写真の中から,原爆雲の全
体と,現在に至っても変形していない地形や建造物が写っているものとして,「広
島原爆戦災誌」第3巻口絵の写真(乙全45号証)を用いたものである。原告らが
改ざんしたと主張する部分は,印刷物を作成する段階において,写真の下方及び左
方がトリミング処理されてしまったことによるものにすぎず,黒い雨に関する専門
家会議は,平成5年1月5日,同部分を差し替え訂正している(甲全86号証の1
4)。なお,写真上の高度の測定は,トリミング前の写真を用いて測定されており,
上記印刷上の問題は推定された雲頂高度や横径に影響するものではない(乙全11
6号証)。
(b) 「火災の燃焼率」に不合理な点はないこと
原告らは,吉川論文における燃焼率が適切でなかったなどと主張する。
しかしながら,原爆の熱線により広域に同時着火するという原爆直後の火災の性
質からすれば,吉川論文の燃焼率は合理的であり,黒い雨に関する専門家会議にお
いても是認されているものである。
なお,仮に原告らの主張するように燃焼率を与え直して再計算すると,積雲の発
達が遅れ,放射性降下物の落下はむしろ減少することになる。
(c) 「雨量分布図」は必要でないこと
原告らは,吉川論文においては,シミュレーションによる雨量分布図と宇田雨域,
増田雨域との関連がどうなっているか示されていないと主張する。
しかしながら,吉川論文は,放射性降下物の降下分布を推定したものであって,
降雨地域を求めたものではないから,雨量分布図を示す必要はない。
(5) 審査の方針において内部被曝による被曝線量を算出していないことが正当で
あること
ア 内部被曝の概要
内部被曝とは,呼吸,飲食等を通じて体内に取り込まれた放射性物質による被曝
のことを指す。
DS86開発時においては,放射性降下物が最も多く堆積した地域である長崎の
西山地区の住民について,セシウム137による内部被曝線量の推定がされた。そ
の結果,昭和20年から昭和60年までのこの地区における内部被曝による積算線
量,すなわち40年間分の内部被曝線量の総計は男性で10mrad(ミリラド)(0.
01cGy),女性で8mrad(0.008cGy)と推定された。
審査の方針においては,内部被曝による被曝線量を特に検討対象としていない。
これは,上記のとおり,内部被曝による被曝線量を最大限に見積もったにしても0.
01cGy以下とごく微量であり,自然放射線による年間の内部被曝線量と比較して
も格段に小さく,審査時の線量推定時に考慮を要しないと判断されたことによるも
のである。
したがって,審査の方針が内部被曝による被曝線量を放射線起因性の判断のため
の被曝線量として考慮していないことは正当である。
イ 原爆の残留放射能による内部被曝が人体に影響を及ぼすとは考え難いこと
(ア) 被爆者の内部被曝線量は自然放射線による被曝線量と比較しても非常に少な
いこと
内部被曝を評価する上で着目すべき放射性核種は,原爆の核分裂生成物(原爆
粒)であるセシウム137とストロンチウム90である(乙全30号証の1・2)。
誘導放射化された土壌や可燃物から生成される放射性核種の半減期は,アルミニ
ウム28が2.24分,マンガン56が2.58時間,ナトリウム24が15時間
と短く,長期にわたって体内に残留して内部被曝を継続することはない。
長崎原爆では,土壌中の放射性核種が他地域より高く検出された西山地区におい
て,セシウム137の降下量は,最も高い推定値でも900mCi(ミリキュリー)/
㎢,すなわち,1㎠当たり3.3Bqであったと推定されており,爆心地付近ではこ
の10分の1程度と考えられている。
一方,広島原爆では,放射性核種が高く検出された己斐,高須地区においても,
セシウム137の降下量は3から10mCi/㎢とされている。
また,核分裂によるストロンチウム90の生成量はセシウム137より少ないの
で,ストロンチウム90の降下量がセシウム137のそれを超えることはない。
そうすると,放射性核種によって最も高濃度に汚染された西山地区の被爆者が水
・食物・ほこりなどから摂取した放射性核種の量を一辺が10僂領方体の領域
(1リットル)として,その放射能はいずれの放射性核種についても330Bq以下
となり,国際放射線防護委員会(ICRP)の線量換算係数によると,セシウム1
37を1Bq経口摂取したときに肝臓の受ける線量(等価線量)の50年間の合計は
1.4×10 Sv,ストロンチウム90では6.6×10 Svであるから,330 -8 -10
ベクレル経口摂取した場合の肝臓の受ける線量の50年間の合計は,セシウム13
7が0.0000046Sv,ストロンチウム90が0.00000022Svとなる。
広島の,己斐及び高須地区以外の被爆者の被曝線量については,これらをはるか
に下回ることになる。
他方,人体が自然放射線によって受ける全身の被曝線量は年間およそ0.001
Svであり,50年間ではおよそ0.050Svとなる。すなわち,内部被曝による被
曝線量は,最大限に見積もったとしても自然放射線による被曝線量の10000分
の1以下にすぎない。
このように,原爆被爆者らの内部被曝による推定線量は,自然放射線による被曝
と比較しても,非常に少ないといえる。
(イ) 体内に取り込まれた放射性核種は物理的崩壊により減衰するとともに,代謝
過程を経て排泄されること
さらに,セシウム137とストロンチウム90の半減期はそれぞれ約30年,2
9年であるが,体内に取り込まれた放射性核種は,その物理的崩壊による減衰だけ
でなく,各元素に特有の代謝過程を経て徐々に排泄される。
国際放射線防護委員会(ICRP)のモデルによれば,経口摂取されたセシウム
137はそのすべてが胃腸管から血中に吸収され,10%は生物学的半減期2日で,
90%は生物学的半減期110日で体外へ排泄されるとされている。これによると,
10年後には100億分の1以下に減衰することになる。
一方,ストロンチウム90は,経口摂取されたうち30%が消化器系を経由して
血中に注入され,残りは便として排泄されるとされている。ICRPのモデルによ
れば,血液に1Bq注入された場合,10年後には約8300分の1以下に減衰する
ことになる(石榑信人「内部被曝に関する意見書」,乙全30号証の1)。
また,内部被曝は原爆放射線だけでなく,一般人にも日常的に生じている事象で
あり(乙全121号証,122号証),その線量は原爆のものより,自然放射線に
よるものの方が多い。また,原爆投下時よりもその数年後から頻回に行われた大気
圏内核実験により,世界的規模で放射性降下物が蔓延し,それにより世界的に人間
の内部被曝が数年来にわたり増加したことがUNSCEARの調査でわかっている。
それにも関わらず,その期間での健康影響さえ認められていない。
また,医療によっても内部被曝を起こしている。すなわち,核医学の分野では放
射性核種を投与して,診断に役立てているが,それによって一定量の内部被曝を起
こしていることもわかっている(乙全54号証)。しかしながら,これで人体影響
がないことが医療では常識的に知られているので,日常の診療で行われているので
ある。
(ウ) ウラン235が内部被曝を引き起こしたとは考え難いこと
ところで,澤田教授ほか著「共同研究 広島・長崎原爆被害の実相」(甲全5号
証・114頁),同教授の意見書(甲全51号証)及び証言には,広島原爆の原料で
あるウラン235の一部(約45kg)が未分裂のまま環境中に放出され,内部被曝
を引き起こしたかのような内容がある。
しかし,ウラン235の物理学的半減期は約7億年であるところ,広島において
ウラン235の残留が検出されたとの報告はなく,澤田教授の「そのほとんどが放
射性降下物になって降下したと考えられる。」との見解は,飽くまでも推測でしか
ない。
むしろ,原爆の核分裂直後に形成された火球の温度は,最高で摂氏数百万度に達
したとされていることから,約45kgのウラン235が未分裂のままであったにし
ても,それらは気化(蒸発)してしまったと考えるのが自然である。また,原爆の
爆発とともに爆発点に数十万気圧という超高圧がつくられ,周りの空気が大膨張し
て爆風となったとされていることから,気化したウラン235は,爆心地の近辺に
とどまることなく,原爆の激しい爆風で大気中に拡散し希釈されて流れ去ったもの
と考えられる。したがって,広島原爆における未分裂のウラン235が放射性降下
物として爆心地やその周辺に降下し,内部被曝を引き起こしたかのような主張は根
拠がない。
なお,ウラン235は物理的半減期が上記のように非常に長いものの,体内での
代謝が早いため,その生物学的半減期は15日であり(乙全32号証・45頁),こ
の点からしても,長期にわたって体内に残留して内部被曝を継続することはない。
また,澤田教授の意見書は,長崎原爆では,約1kgのプルトニウム239が核分
裂し,残りの約10kgが未分裂のままであったとしており,この点については,被
告らとしても,その可能性を否定するものではない。しかしながら,広島原爆同様,
未分裂のプルトニウム239は,摂氏数百万度の高熱の中で気化したと考えられる
こと,爆発点では超高圧が作られ,周りの空気が大膨張して爆風となり,気化した
プルトニウム239が,爆心地の近辺にとどまることなく,広範囲に拡散したと考
えられることからすれば,未分裂のプルトニウム239の多くは爆心地やその周辺
に降下・堆積したとは考え難い。なお,長崎では,未分裂のプルトニウム239が
西山地区において実測されているものの,同時にそれはごく微量のもので,健康に
対する影響を考えるには至らない程度であることも客観的に証明されている。
(エ) 小括
以上のような科学的知見からすれば,放射性降下物によって継続的な内部被曝が
生じ,人体影響を生じるとは到底考えられない。
ウ 内部被曝に関する原告らの主張に対する反論
(ア) 外部被曝であろうと,内部被曝であろうと,受けた線量が同じであれば,人
体影響に差異はないこと
a 原告らは,内部被曝は,外部被曝と人体影響の機序が異なり,局所的に細胞
レベルで極めて高線量の永続的な被曝をもたらすから,単純に低線量であるからと
いって,これを無視することはできないと主張する。
b しかしながら,外部被曝であろうと,内部被曝であろうと,受けた線量が同
じであれば,人体影響に差異はない。したがって,問題は,内部被曝によって,ど
れだけの線量の放射線を被曝したのかである。
ここで注意を要するのは,上記の「線量」は,積算線量(線量率(単位時間当た
りの線量)と時間の積)を指しているが,原告らが,「低線量であっても永続的な
被曝をもたらすから無視できない」という場合の「線量」は,線量率のことを指し
ていると考えられることである。原告らは,「低線量であっても永続的な被曝をも
たらすから無視できない」というのであれば,積算線量がどのくらいと考えている
のかを明らかにすべきであるが,これを明らかにしていない。この点からしても,
原告らの主張は失当である。
c そもそも,低線量被曝での健康影響は疫学的に困難である。問題とする線量
が低ければ低いほど,信頼できるデータを得るために必要な疫学調査の対象者数が
飛躍的に増加するからである。すなわち,UNSCEARでは固形がんの場合,疫
学的に有意な結果を得るための母集団の数は目的とする線量が0.1cGyでは10
億人,1cGyでも1千万人と疫学の実践的限界を大きく超える母集団が必要である
としている。低線量においては,このような規模の母集団をもつ調査でなければ,
その調査結果は事実上大きな不確実性(誤差)を含み,信頼性が低いものである。
しかしながら,原爆よりも多い自然放射線での内部被曝で健康影響が生じたとする
知見はいまだ存在しない。
d さらに,原告らは,内部被曝の場合は,放射線の線源となる微粒子が体内に
入ると,その周囲の細胞は,次々と放射線を浴びるので,「局所的には極めて高線
量の被曝をする」と主張し,組織ないし個体全体に均一に放射線の照射を受けた場
合と局所に集中的に放射線の照射を受けた場合とを比較すると,積算線量が等しく
ても,後者のほうが人体に与える影響が大きいと主張する。
しかしながら,このような考え方(ホットパーティクル理論)は,世界的に行わ
れた調査研究により否定されている。それは,原告らの主張のように,線源となる
微粒子が体内に入り,その周囲の細胞が集中的に被曝すると,細胞レベルで考えれ
ば,高線量を受けることになるので,それらの細胞だけが細胞死を来すことになる
が,1個の臓器や器官の組織を構成する細胞数は数百万から数千万個に上り,死ん
だ細胞の割合が少ないと,生存した細胞で代償されて臓器や器官の機能の低下が起
こらないからである。ホットパーティクル理論では局所的に強い被曝が起こるので,
健康影響もあり得るかのような考えもあるようであるが,そもそもこの理論は単な
る仮説にすぎず,科学的に実証する知見は一切存在しない。そして,この理論は最
近になって,科学的に否定されたのである。
e 以上により,原告らが主張するような理論については科学的に実証されたも
のではなく,原告らの上記主張は失当というほかない。
(イ) 内部被曝で脱毛が生ずるとは考え難いこと
原告らは,遠距離被爆者・入市被爆者に現れた「急性症状」は,残留放射能の内
部被曝によって説明できると主張する。
しかし,原爆放射線の人体影響としての脱毛は,毛根が原爆放射線により損傷す
ることによって生じるものであるところ,血液を通じて毛根を損傷するほどの放射
線影響を生じさせるには,各毛根ごとに3Gy(=300cGy)の被曝を与え得る放
射性核種の集積が必要である。そもそも遠距離被爆者・入市被爆者の被曝線量が
「急性症状」発現時に,内部被曝も含めて3Gyに達したことをうかがわせる証拠は
なく,科学的な知見からもそのようなことはあり得ないのであり,まして,それが
各毛根に集積したという根拠もないのであるから,およそ内部被曝によって脱毛が
生じることはあり得ない。原告らの主張によれば,呼吸や飲食等を通じて体内に取
り込まれた放射性物質がことさら頭皮(毛根部)に集積することが前提となるが,
そのような科学的知見は存しないのであって,原告らの上記主張は,何ら科学的根
拠に基づくものではない。
(ウ) 増田が行ったのは雨域の調査であって,健康被害の調査ではないこと
原告らは,増田の調査のなかでも放射能の影響と思われる疾病を訴える人が報告
されている上,静間論文は,増田雨域に放射能の影響があったことを示していると
主張する。
しかし,増田が行ったのは雨域の調査であって,健康被害の調査ではない。
その調査の過程で現れた「放射線の影響と思われる疾病」については,医学的な
検討を経たものではなく,そこで訴えられた症状が果たして真実「黒い雨」による
ものであったのか,そして原爆放射線の影響によるものであったのか否かはまった
く明らかでない。
(6) 審査の方針における原因確率による放射線起因性の判断方法が合理的である
こと
ア 放影研における疫学調査及び審査の方針における原因確率による放射線起因
性の判断
放影研は,これまでに述べてきた線量推定方式等により得られた広島及び長崎の
被爆者の線量推定値を基礎に,調査によって得られたデータの検討を行い,疾病を
発症した被爆者のうち,放射線によって誘発された疾病の割合がどの程度と見られ
るのかを疫学的方法を用いて算出した(リスク推定値)。
そして,審査の方針においては,確率的影響による疾病につき,放影研の算出し
たリスク推定値を基に,被曝線量,申請に係る疾病等,性別,被爆時の年齢を要因
として,申請に係る疾病の発生が,原爆放射線の影響を受けている蓋然性があると
考える確率(原因確率)を算定し,これを目安として,当該申請に係る疾病等の
(原爆)放射線起因性に係る「高度の蓋然性」の有無を判断することとしている。
このように,審査の方針が,原因確率によって放射線起因性を判断するとしてい
ることは,放影研における疫学調査を基礎に最新の科学的知見を踏まえたものであ
って,科学的合理性がある。
また,審査の方針が,上記のとおり,原因確率による推定をした上,既往歴等も
総合的に勘案した上で,個別の申請疾患について放射線起因性を判断することとし
ていることは,被爆者援護法の趣旨から正当である。以下詳述する。
イ 放影研における疫学調査
放影研による被爆者に対する疫学調査は,ABCCによって始められたものであ
り,放影研がこれを引き継いでいる。
ABCCの調査は,昭和25年当時に広島・長崎のいずれかに居住していた約2
0万人を「基本群」とし,この「基本群」から選ばれた副次集団について行われた。
(ア) 寿命調査集団
当初の寿命調査集団は,「基本群」に含まれる被爆者の中で,本籍が広島又は長
崎にあり,昭和25年に両市のいずれかに在住し,効果的な追跡調査を可能とする
ために設けられた基準を満たす被爆者の中から抽出され,爆心地から2000m以
内で被爆した者全員から成る中心グループ(近距離被爆者),爆心地から2000
ないし2500mの区域で被爆した者全員から成るグループ,近距離被爆者の中心
グループと年齢及び性が一致するように選ばれた爆心地から2500ないし1万m
の区域で被爆した者のグループ(遠距離被爆者),近距離被爆者の中心グループと
年齢及び性が一致するように選ばれた1950年代前半に広島・長崎に在住してい
たが原爆投下時は市内にいなかったグループに分けられた。
その後,寿命調査集団は,1960年代後半に拡大され,爆心地から2500m
以内において被爆した「基本群」全員を対象とし,昭和55年には更に拡大され,
「基本群」における長崎の全被爆者を含むものとされ,今日では,爆心地から1万
m以内で被爆した9万3741人と,原爆投下時市内不在者2万6580人の合計
12万0321人となっている。
爆心地から1万m以内で被爆した9万3741人のうち,8万6632人は,D
S86により被曝線量の推定値が得られているが,7109人については,建物や
地形による遮蔽計算の複雑さや不十分な遮蔽データのため被曝線量の推定値が得ら
れていない。
なお,寿命調査集団には,1950年代後半までに転出した被爆者(昭和25年
国勢調査の回答者の約30%),国勢調査に無回答の被爆者,原爆投下時に両市に
駐屯中の日本軍部隊及び外国人は含まれていない。
(イ) 成人健康調査集団
成人健康調査集団は,寿命調査集団の副次集団であり,2年に1度の健康診断を
通じて疾病の罹患(発生率)とその他の健康情報を収集することを目的として設定
された。成人健康調査集団は,当初,寿命調査集団から抽出された1万9961人
で構成され,昭和52年以降,新たに寿命調査集団のうちT65Dによる推定被曝
線量が1Gy以上である被爆者のグループや遠距離被爆者,胎内被爆者から成るグル
ープを追加して拡大し,合計2万3418人の集団となった。
(ウ) 早期入市者に対する調査
放影研が,早期入市者について疫学調査を行ったところ,1950年ないし19
66年の間の調査では,早期入市者においては,被爆者(原爆投下時に市内にいた
者)のみならず,後期入市者に比しても死亡率が相対的に少なく,早期に市内に入
ったことのために死亡率の増加があった形跡がなく,早期入市者の死亡率は全国の
平均死亡率と比べても有意な差はなかった。
その後,新たに低線量を被曝したと推定される長崎の被爆者を加えて調査したも
のの,いくつかの死因について被曝線量0radの者より有意に低い死亡率を示すこ
とが示唆されたため,1970年代後半以降,早期入市者を含む市内不在者群は,
線量反応の解析からは除外されることになった。以上の調査結果によれば,早期入
市者について,被爆によるリスクがあるとはいえないのであって,現時点において
は,早期の入市被爆者につき,原爆放射線に起因して健康被害が発生したことを裏
付ける調査結果を見いだすことはできない。
ウ 放射線による発がん影響の評価法(絶対リスク,相対リスク及び寄与リスク)
悪性腫瘍は,放射線による疾病のうち,確率的影響に分類される。したがって,
被爆者が発症した悪性腫瘍に対する放射線の影響の評価は,疫学的な研究手法を用
いて被爆者集団を調査し,被曝群における発生頻度と対照群における発生頻度を比
較するという形や,低線量から高線量を被曝した被曝群において性,年齢等を考慮
した回帰分析を用い,単位線量当たりのリスクを評価する方法等で行われる。
放影研では,リスク評価として絶対リスク,相対リスク及び寄与リスクという指
標を用いている。
(ア) 絶対リスク(AR:Absolute Risk)
絶対リスクとは,観察期間中に,集団中に生じた疾病(死亡)の総例数又は率で
ある。なお,リスクを示す場合,通常,1万人年(人年は,人数と観察年数の積を
表す単位)当たり,あるいは1万人年グレイ当たりで表されることが多い。
(イ) 過剰絶対リスク(EAR:Excess Absolute Risk,リスク差,寄与リスク,寄
与危険,超過リスクなどともいう。)
過剰絶対リスクとは,被曝群と対照群の絶対リスクの差であり,放影研の疫学デ
ータでは放射線被曝集団における絶対リスクから,放射線に被曝しなかった集団に
おける絶対リスク(自然リスク,つまり放射線以外の原因によるリスク)を引いた
ものを意味する。
(ウ) 相対リスク(RR:Relative Risk,相対危険度,リスク比ともいう。)
相対リスクとは,被曝群と対照群の死亡率(あるいは発病率)の比をいう。
(エ) 過剰相対リスク(ERR:Excess Relative Risk)
過剰相対リスクとは,相対リスクから1を引いたもので,調査対象となるリスク
因子によって増加した割合を示す部分をいう。
(オ) 寄与リスク(ATR:Attributabl Risk,寄与リスク割合,寄与危険割合,寄
与割合ともいう。)
被爆者は,当然放射線以外の発がん要因にも曝露されているので,被爆者に発症
したがんのうち,放射線によって誘発されたがんの割合を推定する必要があるが,
この割合を寄与リスクと呼んでいる。審査の方針において用いられている原因確率
の値はこの寄与リスクの値に由来している。
エ 低線量域リスクの推定
低線量域でのリスクを推定するためには,高線量域での疫学調査データから線量
反応関係のかたちを推定し,それをモデルとして低線量域のリスクを推定するのが
一般的であり,通常,\形にリスクが増加する直線型,∪量の2乗に比例して
増加する二次曲線型,その中間となる直線−二次曲線型の3つのモデルが使われ
ており,一般的に低線量域でのリスクの推定は,白血病では直線−二次曲線型,白
血病以外のがんでは直線型に適合すると考えられている。
オ 寿命調査集団におけるリスクの算出方法
放影研における寿命調査集団を対象とする疫学調査報告では,放射線リスク評価
は,被曝線量の程度に応じて幾つかの群に分けた被曝群と対照群とを比較するので
はなく,「寿命調査第10報」(乙全12号証)以降,ポアソン回帰分析を用いて,
対照群をとらない内部比較法によりリスク推定を行い,単位線量当たりのリスクを
推定している。
回帰分析とは,予測したい変数である目的変数(この場合は特定疾病の死亡(罹
患)率)と目的変数に影響を与える変数である独立変数(この場合は被曝線量)と
の関係式(回帰式)を求め,目的変数の予測を行い,独立変数の影響の大きさを評
価することである。ポアソン回帰分析は,目的変数が,ポアソン分布に従うと仮定
して行う回帰分析法である。
ABCCが研究を開始した初期には,回帰分析法による統計解析ができなかった
が,統計解析法の進歩と,放影研における疫学調査が被曝線量0から高線量まで非
常に広範囲にわたり線量推定がされた集団を対象にした調査であったことから,回
帰分析法によるリスク推定ができるようになった。回帰分析法を用いた内部比較法
によると,曝露群と非曝露群の二種類しかない集団を比較する外部比較法と異なり,
放射線被曝以外の性,年齢等の要因が同様の曝露群同士を比較することができるほ
か,観察人数,疾病・死亡数や罹患数が十分であるため,曝露要因量における累積
死亡率(罹患率)を算出し,直接比較することができるのである。
このように,ポアソン回帰分析法による解析によって,0Svの場合と任意のSvの
場合の発症率(死亡率)の推定値を求めることができ,単位線量当たりの過剰絶対
リスク及び過剰相対リスクが求められるのである。
カ 原因確率の評価
(ア) 原因確率の意義
原因確率は,個人に発症した疾病とそれをもたらしたかもしれない原因との関係
を定量的に評価するための尺度である。リスクが集団における将来的な発生確率を
予測しているのに対して,原因確率は,個別の案件における特定の結果があって,
遡及的にある要因がその結果を引き起こしたと考えられる割合を意味する概念であ
る。
特定の被爆者に発症したがんについて考えると,当該被爆者は一般の非被爆者と
同様に放射線以外の発がん要因にも曝露されているので,がんが発生したとしても
一般人のように放射線被曝以外の要因でがんが発生した可能性も考えられる。そし
て,当該被爆者に発症したがんのうち,放射線被曝によって誘発されたがん発生の
割合が原因確率ということになる。
(イ) 寄与リスクの基礎となった資料
前記のとおり,審査の方針における原因確率の基となったのは,児玉論文(「放
射線の人体への健康影響評価に関する研究」,乙全7号証)において算出された寄
与リスクの値である。当該論文において算出された寄与リスクは,白血病及び固形
がんについては,放影研のホームページにおいて公開されている死亡率調査,発生
率調査のデータを用いて算定した。
また,発生率調査は昭和33年から昭和62年までの結果を参照しているが,死
亡率調査はそれより11年間長く実施され,昭和25年から平成2年までの結果を
参照している。そして,公開されているカーマ線量と,死亡率調査の結果から白血
病,胃,大腸,肺がんの寄与リスクを求めた。しかし,甲状腺がんと乳がんは予後
の良好ながんで,死亡率調査より発生率調査のほうが実態を正確に把握していると
考えられるため,発生率調査の結果を用いた。
がん以外の疾病として,副甲状腺機能亢進症について寄与リスクを求めた。
(ウ) 原因確率を設定した疾病
児玉論文において寄与リスク算出の対象となった疾病は,寿命調査及び成人健康
調査において,放射線被曝と疾病の死亡・発生(有病)率に関する論文が既に発表
されている疾病である。
(エ) 寄与リスクを求める際の被爆時年齢及び被爆後の経過年数の影響
白血病及び固形がんの放射線による過剰死亡及び過剰発生は,性,被爆時年齢の
影響を受ける。このうち,白血病については,被爆後10年を発生のピークとして,
その後年数の経過とともに過剰相対リスクは急激に低下しているため,昭和55年
から平成2年までの間におけるデータに基づき算出した。固形がんについては,寄
与リスクは観察期間の平均を使用した。性差,被爆時年齢によって過剰相対リスク
に有意差があるがんについては,性別,被爆時年齢別に寄与リスクを求めた。
(オ) 原因確率を参考とした原爆症認定審査は,放射線起因性の判断をする上で,
科学的合理性を有し,被爆者援護法の要請にも合致するものであること
a 以上のような調査,研究を経て算出された寄与リスクに基づき,疾病,被爆
時の年齢,性,及び被爆時の爆心地からの距離や被爆当時の行動等から推定される
被曝線量を考慮の上,被爆者に発症した疾病のうち,放射線被曝によって誘発され
た疾病発症の割合を算出したのが原因確率である。これを疾病及び性に応じて,被
爆時年齢及び被曝線量ごとに表にしたものが審査の方針の別表1ないし8である。
原因確率は,放影研による疫学情報を基に,最新の科学的知見を踏まえて,個人
に発症した疾病とそれをもたらし得た原因との関係を定量的に評価するために作成
された尺度であって,その科学的合理性は明白であり,現在これ以上の科学的方法
は存在しないといっても過言ではなく,原爆症認定以外でも応用される確立した手
法である。そして,審査の方針は,この原因確率を基礎として,当該申請被爆者の
疾病について,放射線起因性を検討することとしているのであるから,被爆者援護
法の趣旨,規定,また,放射線起因性について,経験則に照らした上で高度の蓋然
性の立証が必要であるとしている平成12年最高裁判決に照らしても,その合理性
は明白である。
そして,放射線起因性の判断に当たっては,原因確率において示された数値を参
考に,申請者に係る既往歴,環境因子,生活歴等を総合考慮して個別的に起因性を
判断している。これは,原因確率の算出に当たっては,申請疾患,性別,被爆時の
年齢,及び被曝線量以外の要因を考慮しないため,原因確率は,厳密には,当該被
爆者の疾病が放射線に起因する可能性についての割合を直接示すものとはなってい
ないことから,原因確率から機械的に放射線起因性を判断することになれば,原因
確率の算出において考慮された上記要因以外の申請疾患に関する他の要因が除外さ
れてしまうこととなり,個別の事案において,放射線起因性が客観的に存する場合
を取りこぼしてしまうというおそれも否定できないことによるものである。そこで,
そのようなおそれを可及的に減らし,個別の申請疾患についての放射線起因性の判
断をより適切に行うため,申請者に係る既往歴,環境因子,生活歴等も総合考慮し
ているのである。
b 本件において問題となる疾患について
放射線起因性は明確ではないが原因確率を適用して審査しているもの
甲状腺悪性リンパ腫,副腎腫瘍は,疫学調査においては放射線起因性がある旨の
明確な証拠はないが,その関係が完全には否定できないものであることにかんがみ,
同疾患の放射線起因性の判断は,放射線被曝線量との原因確率が最も低い悪性新生
物に係る審査の方針別表2−1によって算定される(審査の方針第1,2及び5,
1)参照)。
その他
慢性腎不全,膵嚢胞症,多発性脳梗塞,限局性強皮症,嚢胞性膵腫瘍については,
確率的影響及び確定的影響のいずれにも当たらず,放射線起因性に係る肯定的な科
学的知見は立証されていない。審査の方針においては,このような疾患に対しても,
放射線起因性に係る肯定的な科学的知見が立証されていないことに留意しつつ,申
請者に係る被曝線量,既往歴,環境因子,生活歴等を総合的に勘案して判断するも
のとされている。
キ 原告らの主張に対する反論
(ア) 原因確率が10%未満である場合に,放射線起因性が低いと推定することは,
何ら不合理ではないこと
原告らは,原因確率が50%を越えれば起因性を特に否定すべき事情の存否を,
10%未満であれば起因性を特に肯定すべき事情の存否を主として検討するのは不
当であるなどと主張する。
審査の方針においては,原因確率がおおむね10%未満の場合は,放射線起因性
が低いものと推定する旨定められているが,その文言から明らかなように,直ちに
放射線起因性がないとの判断を要求するものではない。審査の方針は,原因確率を
機械的に適用して判断するのではなく,原因確率の算定において要因とされていな
い既往歴,環境因子,生活歴等も総合的に勘案するとして,個別具体の申請疾患に
関する放射線起因性の判断を適切に行うこととしているのである。したがって,原
告らの上記主張は,審査の方針について正解しない失当なものである。
被曝線量,申請疾患,性別,被爆時の年齢から算定される原因確率がおおむね1
0%未満である場合に,放射線起因性が低いと推定することは,何ら不合理ではな
い。原因確率は,申請疾患についての放射線起因性を直接判断するものではなく,
あくまでも一般的傾向を示すものであって,その値が,おおむね10%未満である
ということは,仮に,被曝線量,申請疾患,性別,被爆時の年齢が同一の申請者が
100人いた場合に,おおむね90人は客観的に放射線起因性がないということを
意味するからである(100人すべてに10%ずつ放射線による影響があるという
ことではない。)。むしろ,放射線起因性が低いと推定する値をおおむね10%未
満としていることは,申請者を切り捨てるどころか,むしろ,その段階においては,
「高度の蓋然性」を緩和して,可及的に原爆症の認定をしようとするものである。
(イ) 放影研の疫学調査に調査集団の設定の誤りがあるとはいえないこと
原告らは,放影研の疫学調査について,比較対照群として非曝露群の設定をして
いない等,調査集団の設定に誤りがあると主張する。
しかし,原告らがこの点について主張するところは,いずれも失当である。
a 原告らは,放影研では,低線量被曝者を非被爆者(非曝露群)として設定し
て,曝露群同士を比較し,曝露群のみのコホート追跡をしている,その結果リスク
を過小評価することになる等と主張する。
しかし,放影研における調査研究では,ポアソン回帰分析を用いて,対照群をと
らない内部比較法によりリスク推定を行っており,対照群の選定に誤りがあるとの
主張は,前提において失当であり,内部比較法は一般に有用性が認められており,
確立した手法でもあって,放影研の疫学調査は,世界的にも有用性が認められてい
るものである。
また,被告らも,ポアソン回帰分析によって,被曝線量0のときの死亡(罹患)
率と任意の曝露要因量での死亡(罹患)率の増加割合を推定しているのであって,
低線量被曝者等の被曝総量を0とみなしているわけではない。
b また,原告らは,当初ABCC及び放影研が,非曝露群を対照群(コントロ
ール群)として設定することを前提として疫学調査を設計し,いわゆる市内不在者
を対照群(コントロール群)として扱っていた時期もあったと指摘する。
確かに,放影研では,NIC(市内不在者群)との比較や日本人全体の死亡率を
利用して外部比較法に基づく解析も行っていたが,。裡稗叩併堝睇垪濕垠押砲蓮
被爆者群とは社会学的条件に差があること,日本人全体の死亡率を利用して期待
死亡数を算出すると,被爆という要因がない場合の死亡率(バックグラウンド)が
都市によって異なるため,大きなバイアスを生ずる可能性があることなど,非曝露
群における曝露因子以外の要因の分布が曝露群と大きく異なる可能性が指摘されて
内部比較法のみ用いるようになったものである。曝露因子(放射線被曝)の影響を
調べる場合,これ以外の要因ができるだけ異ならないことが望ましいが,外部比較
法を用いた場合,上記のように曝露因子以外の要因の分布が大きく異なることが少
なくなく,内部比較法の方がすぐれているといえるのであって,原告らの上記指摘
は,原告らの主張を基礎づけるものとはならない。
c さらに,原告らは,低線量被曝のリスク,放射性降下物によるリスク,誘導
放射能によるリスク,内部被曝によるリスクを持った集団同士の比較をすることに
なるから,初期放射線以外の被曝のリスクの分だけ,原爆放射線のリスクが過小評
価されてしまう(オーバーマッチングが生じる)と指摘する。
しかしながら,そもそもオーバーマッチングは,本来,問題にしている疾病の有
無によって患者群,対照群を設定し,それぞれの群の過去の要因曝露の割合を比較
する症例対照研究において,交絡因子(症例対照研究において,調査対象とする疾
患に,調査対象とする曝露要因以外の原因が存在し,それが調査対象とする曝露要
因と関連しているときに偏りを生じさせる原因)の制御に失敗して対照群の設定を
誤った場合に検討されるべき問題であって,コホート研究における問題ではないか
ら,コホート研究によっている放影研の疫学調査に対する批判としては妥当しない
ものである。
また,放影研の疫学調査においては,ポアソン回帰分析によって曝露要因0(被
曝線量0)のときの死亡(罹患)率の値と任意の曝露要因量(任意の被曝線量)で
の死亡(罹患)率の増加割合を推定することによって,より正確な相対リスク等を
算出しているのであって,低線量被曝者等の被曝線量を0とみなして,これを被曝
群と比較させているものではないから,原告らの主張する過小評価の問題はそもそ
も生じないものである。
(ウ) 放影研の疫学調査に調査手法等の問題があるとはいえないこと
原告らは,放影研の疫学調査において,疫学調査の対象や調査手法等の問題があ
ると主張する。しかし,この点についての主張も,以下のとおり失当である。
a 原告らはABCC及び放影研の疫学調査では,死亡調査を基本としているた
め,死亡に直結しない疾病が見落とされがちであると主張する。
しかし,放影研においては,「がん発生率・充実性腫瘍」という調査結果も使用
しており,死亡調査だけを基礎としているのではなく,失当である。
b 原告らは,疫学調査の方法として,被爆後の行動を調べておらず,また,死
亡調査を基本としており,死亡に直結しない疾病が見落とされる等のおそれがある
と主張する。
しかし,残留放射線及び内部被曝による被曝線量がごく微量であることから,被
爆後の行動により被爆者を区別する必要はない。
c 原告らは,調査開始時点で放射線の影響を受けにくい被爆者が選択された,
調査開始時期が原爆投下後5年経過した昭和25年であり,その以前の死亡は反映
されない,病気がちの者や,被爆によると思われる疾病に罹患した経験を持つ者は
被爆事実を申告しなかった可能性があり,見かけ上健康な被爆者のみが選択された
などから,ABCCと放影研の疫学調査には,調査結果のゆがみがあると主張する。
しかし,現時点において認定申請する被爆者は,原爆投下後5年経過時に生存し
ていた以上,当時の生存者を対象とした疫学調査によるリスクは,認定申請者にも
当然妥当するのであって,何ら問題はない。ABCC及び放影研が調査対象とした
寿命調査集団は10万人以上にも及び,また,成人健康調査集団も2万人程度であ
ることからすると,健康な被爆者のみが選択されたおそれは存しないのである。
d 原告らは,DS86を用いることにより,初期放射線以外の持続的な外部被
曝や内部被曝が軽視されたり,遠距離での初期放射線の過小評価という曝露要因の
量的評価の誤りがあると主張し,また,初期放射線による一瞬の外部被曝と残留放
射線による持続的な外部被曝,さらには体内に摂取した放射性物質による局所集中
的な長期の内部被曝では,被曝や人体への作用の機序が大きく異なるから,曝露要
因を別にすべきであったと主張する。
しかし,初期放射線以外の残留放射線等による持続的な外部被曝や内部被曝の被
曝線量がごく微量であることは前記のとおりであって,量的評価に誤りがあるとす
ることはできない。
(エ) DS86の策定に当たっては残留放射線についても可能な限りの検討が行わ
れたこと
原告らは,内部比較法を取る前提条件として,任意の曝露群内の被爆者の被曝線
量が正しくなければならないとし,DS86の推定被曝線量が実測値と一致してい
ないとか,放射性降下物の影響や誘導放射線の影響についてほとんど考慮されてい
ないと主張する。
しかしながら,DS86の推定被曝線量が実測値とよく一致していることについ
ては既に述べたとおりであり,以下のとおり,DS86は残留放射能を十分考慮し
ている。
DS86は,原爆の出力,ソースタームを前提に,空気中カーマ,遮蔽カーマ及
び臓器カーマの計算モデルを統合し,被爆者の遮蔽データを入力して線量を計算す
るシステムであるが,DS86の策定に当たっては残留放射線についても可能な限
りの検討が行われたのである。
すなわち,DS86報告書では一つの章を割いて(DS86報告書の日本語版で
ある「原爆線量再評価」第6章,乙全16号証),残留放射線に関する詳細な検討
を加え,広島と長崎のそれぞれの状況に応じて放射性降下物及び誘導放射能による
被曝線量の上限値を推定している。ただし,残留放射能による被曝線量は,初期放
射線に比べて非常に微量である上,残留放射能による被曝は,各被爆者の行動等に
よって大きく変動するなど不確定な要素が大きく,一定の定量値で線量を示すこと
が非常に困難であることから,DS86における残留放射線の検討は,前記のとお
り,最大限で見積もった累積線量での評価となり,初期放射線について行ったよう
な,線量評価のための基準を構築することができなかったにすぎない。DS86は,
被爆による健康影響を検討するために被爆者の疫学データベースを構築することを
目的としており,そのために正確な被曝線量を算定することが要求されていること
から,DS86では残留放射線について検討をした結果,結局,初期放射線とは別
に取り扱うこととしたものである。
したがって,原告らの上記主張はDS86を正解しないものであり,失当である。
(オ) 線量反応関係における線形の仮定が不合理ではないこと
原告らは,内部比較法及びポアソン回帰分析によって算出されるバックグラウン
ドリスクは,回帰直線すなわち低線量域においても直線の線量反応関係があること
を前提とするものであるが,被曝線量が0に近づくと単位線量当たりの疾病発生率
が急激に低下する傾向があることは否定できないのであり,曲線の線量反応関係を
想定すべき可能性もあり,この場合,バックグラウンドリスクは当然小さくなると
主張する。
しかしながら,被曝線量が0に近づくと単位線量当たりの疾病発生率が急激に低
下する傾向があるとの主張には,何らの科学的根拠も示されていない。一方で,線
量反応関係を検討する際に線形の線量反応関係を仮定することについては広く認め
られており,回帰分析で得られた線量反応関係は統計学的解析によってその信頼性
が確証されているのである。
したがって,裏付けのない原告らの上記主張は失当である。
(カ) 原因確率は正しく把握されていること
原告らは,バックグラウンドの推定に関し,DS86による線量の過小評価や中
性子線の生物学的効果比が考慮されていないとし,一定のモデルケースを挙げて,
被曝線量体系に一律の線量の過小評価があれば,それを是正することによって必然
的に原因確率は上昇すると主張する。
原告らがDS86には線量の過小評価がある,すなわち,実際には被爆者の被曝
線量はもっと高いはずであると主張する根拠は,放射性降下物,内部被曝や初期放
射線における遠距離の推定線量の点にあると思われるが,既に述べたとおり,これ
らに関する原告らの主張は失当である。また,上記主張は,以下のとおり,原因確
率についての不正確な理解に基づくものである。
すなわち,仮に推定被曝線量の絶対値が,生物学的効果比を用いる(正確には生
物学的効果比を参照して設定された放射線荷重係数で補正する)ことなどによって
増加したとしても,一定線量のコホートである原爆被爆者群において観察される疾
病発生や死亡といった事象には変更が生じないのであるから,調査対象である個々
の被爆者の推定被曝線量が増加するということは,単位線量当たりの過剰相対リス
クが減少するだけである。したがって,個々の被爆者の被曝線量の絶対値の増加は,
単位線量当たりのリスクの減少と相殺され,結果として個々の被爆者の被曝線量に
おける過剰相対リスクの値や,その線量での寄与リスクの値はほとんど変化しない。
また,等価線量を用いることによって増加した被曝線量値(単位シーベルト)を,
吸収線量(単位グレイ)を用いて算出した寄与リスクに単純に当てはめて数値が増
加しても,それは寄与リスクが増加したことを意味しない。それぞれの線量を用い
たリスク評価は別々に行わねばならず,ある線量を用いて行われたリスク評価に他
の線量を当てはめてはならない。原告らは,被曝線量が増加すると仮定した場合や,
等価線量を用いた場合に必要となるこれらの補正をすることなく,単純に増加した
と仮定する数値を当てはめて原因確率が上昇すると主張するものであり,失当であ
る。
(キ) 被爆者の健康診断ないし治療を行うに当たって考慮すべき事項を定めた通知
は,原因確率を参考とした放射線起因性の判断を不当とする根拠とはならないこと
a 原告らは,旧厚生省公衆衛生局長通知である実施要領や,治療指針を自らの
主張の根拠とするようであるが,以下に述べるとおり,これらの通知の性質や内容
を正解しないものである。
b これらの通知は,その記載内容をみると,被爆者の健康診断ないし治療を行
うに当たって考慮すべき事項を定めたものである。すなわち,医療の現場では,個
々の診療行為におけるささいなミスや見落としが受診者の生命・身体にかかわる重
大な問題となることから,医師は,たとえ確率が低く容易に起こりそうもないこと
であっても,常に最悪のケースを念頭において診療に当たるものであって,上記通
知もこのような考え方に基づき,被爆者であれば,どのような人も一律に放射線に
起因する何らかの健康障害を受けるわけではないが,それでも可能性は念頭に置い
て診療等にあたらなければならないという心構えのようなものを示したものである。
したがって,上記通知は,被爆者援護法における放射線起因性の判断に関し,その
証明の程度などについての解釈指針を示したものではなく,その根拠となり得る性
質のものではない。
また,これらの通知が発せられたのは,被曝放射線量の評価等について,暫定線
量であるT57Dが発表された直後であり,被爆者の健康調査についても,昭和2
0年の日米合同調査団や東京帝国大学による被爆者の実態調査の結果しか存在せず,
被爆の距離関係や被曝線量と被爆者の健康影響との関係が全く明らかでなかった時
代であった。上記各通知は,このような事情から発せられたものにすぎない。
その後,長期にわたる広範な疫学研究が積み重ねられ,被曝線量の評価も,T6
5D,DS86と進化しているのであるから,上記のような段階で発出されたこれ
らの通知を,現段階における放射線起因性の判断に関する証明の程度などの解釈根
拠とすることができないことは明らかである。
c なお,治療指針の「治療上の一般的注意」における上記記載に現れた考え方
は,現在,被爆者であって,原子爆弾の放射線の影響によるものでないことが明ら
かなもの以外の疾病にかかっている者に対して健康管理手当が支給される制度(昭
和43年創設)に引き継がれていることからみて,上記治療指針の記載が,原爆放
射線に起因している蓋然性が低い疾患まで原爆症として認定すべきことを示唆する
ものでないことは明らかである。
(ク) 疫学的方法を活用して放射線起因性を認定をすることは何ら不合理ではない
こと
原告らは,個別申請者の疾病が放射線に起因する具体的な可能性を疫学的方法に
よって判断することが誤っているかのような主張をする。
しかしながら,このような主張は,医学的な機序が完全に判明していないが,放
射線による被曝が影響を及ぼす可能性があると認められる疾病について,疫学研究
による統計的解析を否定するに等しく,放射線起因性の判断を純粋に価値判断によ
って決すべきとするものとして失当というほかない。
(7) 放射線起因性に関する立証について
原告らは,原爆症の認定に当たっては,被爆者が,放射線の影響があることを否
定し得ない負傷又は疾病に罹り,医療を要する状態になった場合には,放射線起因
性が推定され,放射線の影響を否定し得る特段の事情が認められない限り,その負
傷又は疾病は,原爆放射線の影響を受けたものとして原爆症の認定がなされるべき
であると主張する。
しかし,放射線起因性の立証の程度は,通常の民事訴訟と同様に,高度の蓋然性
の証明が要求されるものである(平成12年最高裁判決)。
このことは,被爆者援護法において,各給付等の趣旨・目的に従い,給付等ごと
に異なる要件が定められており,申請者側において主張・立証すべきものとされて
いる各要件のうち,一部要件に該当する事実について,訴訟上の証明の程度を緩和
するような趣旨の規定はなく,いずれの要件該当事実についても,訴訟上の証明の
程度は,裁判官が確信を得ること,すなわち高度の蓋然性が必要であることを当然
の前提としているのである。したがって,一部の要件について,各要件に該当する
事実の訴訟上の証明の程度を軽減することは,上記の要件の違いを設けた方の趣旨
・構造に反することになり,放射線起因性について,事実上であれ,立証の程度を
軽減することは許されない。
また,放射線起因性とは,原爆症認定申請者の被爆と申請疾病との間の個別的な
因果関係の存否であり,その究明に当たっては,原子物理学,放射線学,疫学,病
理学,臨床医学等の高度に専門的な科学的・医学的知見によらなければならず,こ
れらの知見が放射線起因性の判断に際し,専門的経験則として重要な地位を占める
のであって,放射線起因性の判断を科学的・医学的知見を離れて行うことはできず,
その判断に素人的,あるいは被爆者を保護すべきであるといった価値判断を入れて
はならない。
このことは,被爆者援護法11条2項が,原爆症認定に当たって審議会等の意見
を聞かなければならないと規定し,医学・放射線防護学等の知見を踏まえて判断し
なければならないことを示すとともに,処分時に判明している最新の科学的知見に
基づいて放射線起因性を判断すべきものとしていることからも明らかである。
したがって,放射線の人体に与える影響について未解明の部分があるとしても,
何ら科学的な裏付けがなく,確立していない学説,推測,意見等により起因性を判
断すべきではない。
2 争点(1) イ 各原告の原爆症認定要件の存否について
〔原告Eについて〕
(原告Eの主張)
(1) 被爆状況
ア 原告Eの被爆状況
原告Eは福井県出身であり,広島へ原爆が投下された時,18歳であって,海軍
潜水学校第4期生電機練習生93分隊に配属され,広島県佐伯郡大野浦で訓練・学
課を受けていた。
イ 原告Eの8月6日の入市経路
(ア) 国鉄己斐駅から市電沿いに歩く
原告Eは広島市へ原子爆弾が投下されて間もなく,広島市内に入って救護活動を
行うよう命じられ,トラックに分乗して国鉄己斐駅(爆心地より西方約2.5辧
付近まで行ったが,己斐駅付近の道路は負傷者や死体が山のようになっていたため,
そこでトラックを降り,4,5人の分隊に分かれて市内を目指した。原告Eが配属
された分隊は,広島市内の銀行街(爆心地半径500m以内の紙屋町付近)の警備
を命じられており,国鉄己斐駅から市電の線路沿いに東(爆心地方向)へと入市し
た。市電線路沿いの道はかろうじて歩くことができたが,細い路地は瓦礫などで歩
くことも難しい状況であった。
また,原告Eは,市電線路沿いに十日市まで向かって歩く途中で,黒い雨にあっ
た。黒い雨は夕立のように激しく降り,雨には少し粘り気があっていったん皮膚に
付くとなかなか簡単には落ちなかった。
原爆投下直後の広島市内は地熱等のために道路も熱く,破裂した水道管から流れ
出た水が地面に落ちると蒸発する程であった。原告Eもその皮膚が痛くなるほどの
熱を浴び,足の裏も地面をゆっくり踏みしめることはできないほど熱かったが,絶
対服従と教え込まれてきた上官の命令であったため,市内を爆心地方向に入市した。
道中,破れた水道管から吹き出る水を何度も飲みながら入市した。
(イ) 本川と元安川に挟まれた三角地帯へ(爆心地半径500m以内)
市電線路沿いに爆心地方向へ向かう途中,十日市町(爆心地より約800m)付
近で救護活動・片づけ作業をした。瓦礫や負傷者を運び出さなければ道路を歩くこ
とができなかった。この作業により,辺りはすすや土埃が一面に舞っている状況で
あった。
十日市町を通り過ぎ,原告Eの分隊は本川と元安川の三角地帯(爆心地半径50
0m以内)で救護活動を行った。このとき原告Eは元安川の河原にある遺体を引っ
張り上げて大八車まで何回も運んだ。元安川にはたくさんの遺体が浮かんでいたが,
強烈な喉の渇きのため,元安川の水を飲んだ。
(ウ) 紙屋町銀行街へ
三角地帯での救護活動をひとまず終え,元安橋の下の川を渡り,産業奨励館(現
在の原爆ドーム)の脇を通り,再び市電線路沿いを道路の瓦礫を片づけながら進み,
紙屋町の銀行街へと向かった。紙屋町銀行街の日本銀行,芸備銀行,伊予銀行の辺
りを見て回り,分隊長が銀行内に入って金庫を確認した。その後夕方6,7時ころ,
銀行街を出た。
(エ) 広島市内で野営(爆心地より約1辧
原告Eの分隊は紙屋町を出て再び市電線路沿いに相生橋を通って十日市町方面へ
引き上げた。そして,寺町付近でアンペラを張って野営した。夜になっても広島市
内には原爆投下による熱さが残っていた。ろうそくの明かりを頼って多くのけが人
が野営地を訪れ,原告Eはその日は一睡もできなかった。
ウ 原告Eの8月7日の入市経路
8月7日にも一日広島市内で救護活動を行った。主に,本川と元安川の三角地帯
で救護活動を行い,夕方に十日市町へ引き上げてそのまま6日の入市経路を逆に市
電線路沿いを歩いて国鉄己斐駅へと引き返し,そこからトラックに乗って大野浦の
海軍潜水学校へと帰営した。
エ その後の救護活動
原告Eは8月8日から15日までは大野浦の国民学校を中心に広島市内からの負
傷者の救護や遺体の運搬にあたり,8月15日以後31日まで残務処理を担当して
同日に広島を発った。
オ 原告Eには相当量の残留放射線による被爆及び体内被曝があること
原告Eは以上のように8月6日の原子爆弾投下から間もなく広島市内に入市し黒
い雨を受けたばかりでなく,同日及び7日の両日にわたり爆心地付近で救護活動に
従事して多くの埃を吸い込み,放射能に汚染された水も飲んだ。原告Eの上述した
入市経路・被爆状況は,一貫しており,その信用性は極めて高い。
原告Eが行動した紙屋町銀行街付近,本川と元安川の三角地帯は爆心直下とほと
んど変わらない誘導放射能が生じている。この地域に8月6日・7日両日滞在し,
作業したことによる誘導放射線の体外被曝線量だけで約30ないし40cGyと推定
される。これに加え,8月6日に己斐駅から入市中に浴びた黒い雨による外部被曝
線量を合算すれば,誘導放射線及び黒い雨による体外被曝だけで相当高度の内部被
曝がある。
加えて,原告Eの上述した入市経路・作業経過に照らし,原告Eが黒い雨,黒い
すす,その他水を飲んだり埃を吸ったりして放射性降下物を体内に取り込んだ内部
被曝線量も相当強いものであることは疑いを容れる余地がない。
(2) 急性症状等
広島市内へ入市した6日以後,下痢の症状が表れた。とくに大野浦へ引き上げた
8月8日以降から血便が始まり,同月15日以降ますます下痢は酷くなり,9月に
郷里の福井へ帰った後もより酷くなり,体重も大きく減ってしまった。
また,8月8日以降,歯茎から血が出るようになり,9月に福井へ帰ってからも
出血が続いた。
さらに,大野浦へ帰ってから頭をかくと短髪にした髪の毛がぽろぽろ落ちるとい
うことがあった。
このほか,大野浦へ引き上げてから体がだるく,熱っぽいという症状が出るよう
になった。9月に郷里の福井へ戻ってから,体のだるさは一層激しくなり,その後
ほとんど寝たり起きたりを繰り返すような状態にまで悪化した。
また,このころ,蚊に刺された跡が化膿しやすくなるという症状も生じるように
なった。
以上のように原告Eには下痢,歯茎からの出血,脱毛,発熱という急性症状が生
じた。入市被爆者,とくに原告Eのように中心地に入市した被爆者について,急性
症状が生じうることは於保論文で認められている。
(3) その後の症状の経過
ア 福井帰郷(昭和20年9月)後の体調
9月に福井へ帰郷してから毎日頭痛,だるさ,耳鳴り,蚊に刺されるとそこが化
膿して腫れる,発熱,下痢などの症状が酷くなった。被爆前は柔道で鍛えた体格と
体力が自慢であったが大幅にやせてしまい,仕事に就くこともできず,寝たり起き
たりを繰り返すようになってしまった。
イ 体調の悪さと頸部リンパ腫切除(被爆後10年ころまで)
昭和23年ころには,福井で生活することが困難になり,父の母方の実家のある
福岡県糟屋郡西戸崎に移り住んだが,体のだるさ,発熱,頭痛,耳鳴りはその後も
続いた。
加えて被爆後約半年後ころから,歯が一本ずつ抜けるようになり,30代前半に
は歯がほとんど全部抜けてしまった。
また,同じころ,頭髪が柔らかくなり,櫛でとかしたり手で頭髪を握ると抜ける
という症状が起こった。
そのころから,首まわりが腫れ始めるようになった。この首まわりの腫れについ
ては,民間の吸い出し膏薬を使って膿を吸い出したが治まることなく,腫れた状態
が続いた。この首まわりの腫れについては昭和24年2月,九州大学医学部附属病
院へ入院した際に頸部リンパ腫であると言われて切除手術を受けた。首まわりの腫
れはいったん手術を受けてやや改善されたものの,首まわりにしこりができる状態
は変わらなかったため,その後も12回にわたり(合計13回)首まわりの切除手
術を受けた。12回の多くは西戸崎の分山病院で切除してもらい,手に負えない場
合に九大病院で切除してもらっていた。
だるさ,頭痛,発熱,耳鳴りという体調の悪さは相変わらず続き,定職に就くこ
とができず,父を頼りに生活していた。また,首まわりの手術を受けるようになっ
たころには震えが来たり,発作が起こったり,動悸がするという症状も増え,ます
ます働くことが難しくなった。このような生活の中,十分な治療を受ける経済的余
裕はなく,継続して病院にかかることは困難であった。
ウ 発作等,体調の悪さ(被爆後10年ころから30年ころまで)
その後も,だるさ,頭痛,発熱,耳鳴り,動悸,発作という体調の悪さの中,生
活を続けてきた。
とくに発作は頻発し,昭和35年ころから45年ころにかけて一月に数回,夜中
に発作を起こしては病院へかつぎ込まれていた。
昭和46年ころからは再び,首まわりが6僂眤世なるほど腫れ上がるようにな
った。
また,同じころ胃を悪くし,十二指腸潰瘍の診断も受けた。
エ 甲状腺悪性リンパ腫の治療(被爆後30年ころから40年ころ)
昭和51年ころ,階段を1階から2階へ上ることもできないほど,心臓の脈打ち,
手足のしびれが激しくなった。その原因はわからず,休養しながら生活を続けてき
たが,昭和55年,年明けすぐに大分県別府市にある野口病院で受診し,同2月1
4日に入院,同月21日に甲状腺切除手術(甲状腺の右半分を切除)を行った。
原告Eが切除を受けた甲状腺右半分は甲状腺悪性リンパ腫と診断された。昭和5
5年に野口病院で切除された組織標本を再度鑑別したところ,慢性甲状腺炎の状態
が併存するB細胞性悪性リンパ腫であり,慢性甲状腺炎を基盤として発生した悪性
リンパ腫であった。
手術後約5年間にわたり定期的に野口病院を受診し,チラージンという薬剤の投
与を受けた。
昭和56年には切除されなかった甲状腺左半分についても慢性甲状腺炎と診断さ
れた。
オ その後の体調不良
昭和51年ころ,出血性胃潰瘍を患い,入院した。昭和53年7月にも出血性胃
潰瘍により吐下血して入院治療した。
さらに,高血圧症も患い,平成7年1月から同年9月まで,平成8年6月から7
月まで,それぞれ通院治療を受けた。このころ,原告Eの体調は極めて悪い状態に
あり,働くことも難しかったが,働かなければ生活できないため知人の助けで何と
か仕事をこなす状態であった。
平成8年9月に切除していなかった甲状腺左半分につき甲状腺悪性リンパ腫との
診断を受け,化学療法などの治療を受けた。
平成17年2月には狭心症により経皮冠動脈形成術を受け,通院治療を行ったが,
さらに冠動脈硬化症を発症し,平成18年1月12日から同月18日まで入院治療
を受けた。
(4) 現在の状況
原告Eは現在,1月に2回,愛知県東海市の伊藤医院で受診してチラージンを含
む12種類の薬の投与を受けているほか,3か月に1回ずつ定期的に血液検査を受
け,甲状腺の状態等の経過観察を受けている。また,前立腺癌の合併も疑われ,経
過観察中である。
従前から抱えていた体のだるさ(全身倦怠感),動悸等の症状は現在も続いてい
る。
(5) 放射線起因性の要件該当性
ア 原告Eの申請疾病の放射線起因性
原告Eの原爆症認定における申請疾病は甲状腺術後機能低下症であるところ,甲
状腺術後機能低下症は,甲状腺悪性リンパ腫に対する甲状腺切除手術によって生じ
たものであるから,原告Eについては甲状腺悪性リンパ腫の放射線起因性が問題と
なる。
この点,原告Eの甲状腺悪性リンパ腫は慢性甲状腺炎が基盤にあり,B細胞型悪
性リンパ腫である。また,切除されていない甲状腺も慢性甲状腺炎を発症している。
慢性甲状腺炎からB細胞型悪性リンパ腫が発症することについては日本内科学会
雑誌等の悪性リンパ腫特集にも掲載されているほか,外国の教科書にも記載がある。
そして慢性甲状腺炎については,長崎の原爆被爆者で成人健康調査受診者に対する
詳細な調査の結果,比較的低線量の原爆被爆者に慢性甲状腺炎の発症率が高いとい
う結果がある。この調査結果を記した長瀧重信らによる論文(「長崎原爆被爆者に
おける甲状腺疾患」,甲全8号証の2・文献33,「長瀧論文」という。)は「J
AMA」という医学雑誌に掲載されているところ,同誌は国際的に著名であり,か
つ,論文の受付審査が厳格であることで知られている。
また,甲状腺は,ヨウ素を集積する性質があるため,体内に吸収された放射性ヨ
ウ素を蓄積しやすく,その結果,人間の臓器の中でも放射線の影響を受けやすい器
官となっている。
したがって,慢性甲状腺炎について放射線起因性が否定できない以上,その慢性
甲状腺炎を基盤に発生したと考えられる甲状腺悪性リンパ腫(その手術後の甲状腺
機能低下症)についても,放射線起因性が肯定されなければならない。
イ 原告Eの被爆状況,急性症状等の発症及び申請疾病以外の疾病の発症
また,原告Eは,8月6日中に爆心地付近へ入市して救護活動を行っている上,
黒い雨も浴びており,少なくとも30ないし40cGyの残留放射線を浴びたこと,
そして,現に被爆後から下痢,歯茎からの出血,脱毛,発熱の急性症状を発症して
おり,被爆前には頑強な青年であったこと,入市を境に,体重が大きく減り,常に
発熱,耳鳴り,頭痛,動悸等に悩まされ,寝たり起きたりを繰り返してなかなか働
くことができない状態になってしまったこと,若年齢で歯が抜け落ちてしまったり,
蚊に刺された跡が化膿するという放射線被爆の影響と考えられる諸症状も発症して
いること,以上によれば,これらの症状が,内部被曝の影響によるものであると推
測できる。
加えて,原告Eは申請疾病(甲状腺術後機能低下症)の他にも原爆放射線と有意
な関係にある疾病を発症している。すなわち,甲状腺の左半分に慢性甲状腺炎を発
症しており,これは長瀧論文において原爆放射線との有意な関係が認められた疾患
そのものである。
また,高血圧症を患っている。この点,原爆被爆者にとって高血圧の過剰相対リ
スクが高いことが「AHS第8報」(甲全62号証の2の2,乙全76号証)にお
いて初めて指摘されるようになっている。
したがって,原告Eの高血圧症についても原爆放射線による起因性が否定できな
い。
そのほか,原告Eは十二指腸潰瘍を発症し,出血性胃潰瘍を少なくとも二度,発
症している。これについては,被爆者の病歴調査には胃潰瘍が多く,健康管理手当
にも胃潰瘍及び十二指腸潰瘍が含まれていることから,原爆放射線による起因性が
否定できない病気であることも指摘されている。
原告Eが13回にわたり頸部リンパ腫によって手術を受けている点についても,
原爆放射線による起因性が否定できない。
さらに的確な診断名が付けられたことはないが,原告Eは原爆被爆者特有のだる
さにも現在に至るまで悩まされてきた。
原告Eのこれら全身に表れた諸症状はすべて入市後から表れたものであり,入市
前の原告Eの体格・体力からは想像もつかない症状なのであって,放射線被爆の影
響としかとらえることができない。
ウ 被告らの主張に対する反論
(ア) 慢性甲状腺炎には線量反応関係はないという主張に対する反論
被告らは,長瀧論文における抗体陽性突発性甲状腺機能低下症(慢性甲状腺炎)
についての記載は,有意な線量反応関係がないとするものであると解釈するのが科
学的に妥当であると主張する。
しかし,ベル型のカーブであっても,原爆放射線被爆と慢性甲状腺炎発症との間
に疫学的な因果関係を肯定しているところに長瀧論文の重要な意義がある。
そして,なぜ比較的低線量の被爆者に多く慢性甲状腺炎が発症し,ベル型のカー
ブを描くのかということについて仮に今後より一層の医学的解明が進められていく
としても,入市被爆者である原告Eが慢性甲状腺炎を発症したことと,長瀧論文に
表れている調査結果とは何ら矛盾するものではない。
(イ) 長瀧論文においては橋本病が除外されているという主張に対する反論
また,被告らは,長瀧論文について,基本的に橋本病を研究対象から除外してい
ると主張する。
しかし,長瀧論文は被告らが指摘しているように,橋本病を全て除外した抗体陽
性突発性甲状腺機能低下症だけを研究対象にしたものではない。この点は,橋本病
の確定診断には病理組織標本を基準としなければならないところ,調査対象である
長崎の原爆被爆者について病理組織標本による確定診断を全員に行った上での調査
ではなかったために,確定診断としての橋本病という疾病名を用いていなかったと
いうことである。長瀧論文にいう抗体陽性突発性甲状腺機能低下症という場合に,
臨床的にみた橋本病の症例を指すものである。
エ 小括
原告Eの被爆前の健康状態,被爆状況,被爆後の行動経過,被爆直後に発生した
症状の有無,内容,程度,態様,被爆後の生活状況,健康状態等に加え,被爆実態
を総合的に評価した場合,原告Eが発症した甲状腺悪性リンパ腫は原爆放射線に起
因することは明らかである。
(6) 要医療性の要件該当性
原告Eは,甲状腺悪性リンパ腫により甲状腺の右半分を切除・摘出し甲状腺術後
機能低下症を生じている上,甲状腺の左半分も慢性甲状腺炎の状態にあって機能が
低下している。そのため,チラージンの投薬・服用は不可欠である。
また,前記において述べたようにそのほかにも狭心症等の諸症状についての治療
及び経過観察が不可欠である。
(被告らの主張)
(1) 原告Eの申請疾患に放射線起因性が認められないこと
ア 被爆状況
(ア) 入市状況と推定被曝線量
原告E(大正15年12月23日生,男性)は,原爆投下当日の8月6日に広島
市福島町(爆心地から約2辧砲貌市し,その周辺にて救護活動を行ったという者
である。
したがって,同人が初期放射線による被曝をしたことのないことは明らかである。
審査の方針別表10によれば,爆心地から2厠イ譴討い燭箸いΤ萋鮎貊蠅らみ
て,滞在時間の長短にかかわらず残留放射線による被曝の影響はない。
原告Eは,戦後,九州大学で悪性頚部リンパ腫と診断され,手術を受けた後,ラ
ジウムによる放射線治療を2年間ほど受けていた旨を供述しているが,かかる放射
線治療による被曝は,総線量が通常40ないし50Gyにもなる(乙全98号証)。
その被曝線量は,原告Eが推定する被曝線量の100倍程度と圧倒的に高いもので
あることに留意する必要がある。
(イ) 原告Eの主張を前提とした被曝線量の推定
原告Eは,原爆投下当日の8月6日午前8時ころ,大野浦の海軍潜水学校にいた
が,上官の命令により同期生とともに,約2時間後に己斐駅(爆心地から2.5
辧砲魴个胴島市内へ入市し,その後,福島町,十日市町(爆心地から650m
内),相生橋(爆心地から200m)を経由し,紙屋町(爆心地から200m)の
銀行の状況を確認し,夜,十日市町まで引き上げ,野営し,翌7日は,おおむね前
日と同じルートで紙屋町に至り,夕方まで周辺の片付け作業を行い,夜,大野浦へ
引き上げた旨主張する。
しかし,「広島原爆戦災誌・第2巻」(乙全65号証・85頁12行目)には「中島
地区は猛煙をあげており,地上一面が破壊された屋根だけでおおわれているように
見えた。」と記載されており,8月6日の爆心地近辺は火災等のために近づける状
況ではなかったと思料され,原告Eの被爆直後の行動に関する上記主張には疑問が
ある。
仮に,原告Eが主張する行動に審査の方針別表10(広島)を当てはめ,経過時
間ごとの誘導放射線による被曝線量を推定して加算したとしても,最大で0.30
5Gyにとどまる。この推定は,一定時間同一場所にとどまっていた場合を前提とし
た極めて大まかなものであり,厳密に時間ごとの修正を行えば,0.3Gyを大きく
下回ることになる。
放射性降下物による被曝線量は,0.006〜0.02Gyとされているが,原告
Eの誘導放射能による被曝線量にこれを加えたとしても原告Eの被曝線量は,0.
3Gyを上回ることはないものと推定される。
原告側証人として証言を行った澤田教授の意見書(乙D15号証)が原告Eの異
議申立時に提出されているが,同意見書で澤田教授は原告Eの被曝線量について,
誘導放射線による体外被曝量は30ないし40cGyであり,これに黒い雨の付着に
よる放射線が加わるとしている。さらに,その黒い雨による被曝線量については,
やはり原告側証拠である静間論文(甲全13号証の2)の表2で,最も線量の高い
地点(サンプル番号7)であっても,そこでの累積線量は4cGy(表中ではR[レ
ントゲン]という単位であるが,表下の注釈でほぼセンチグレイに相当する旨の記
載がある。)にすぎず,原告Eが主張する放射線急性症状が起こるようなレベルに
は到底及ばない。すなわち,原告側証拠をもってしても,原告Eの被曝線量は最大
に見積もって44cGy(0.44Gy)にすぎない。
(ウ) 原告Eが述べる救護活動後の症状は,被爆による急性症状の所見とは相いれ
ないものであること
原告Eは,下痢,脱毛,歯茎からの出血,歯が抜ける,発熱,頭痛,耳鳴りなど
に悩まされたとし,これらの諸症状は,「入市被爆者に特徴的な放射線被曝による
急性症状に他ならない」と主張する。
しかし,既に主張しているように,これらの症状は,放射線被曝以外の要因によ
っても起こり得るものであり,上記各症状が放射線急性症状であると判断するため
には,症状を呈した原因や経過を十分に精査し,医学的に検討しなければならない
上,急性症状が生じる被曝線量は,最低でも1Gy(100cGy)以上,脱毛が生じ
るのが頭部に3Gy(300cGy)以上,さらに下痢が生じるのが腹部に5Gy(50
0cGy)以上であることが明らかとなっている。
しかるに,原告Eの被曝線量は,原告側の証拠をもってしても,0.44Gyにす
ぎないから,上記各症状は,およそ放射線被曝に起因するものということはできな
い。仮に,同人が,上記のような急性症状としての下痢等が起こり得るレベルの被
爆をしているならば,感染症等の重大な合併症を発症し,猛烈な暑さの中で過酷な
救護活動をすることなどできないはずである。同人が述べる上記症状は,被爆によ
る急性症状の所見とは相いれないものである。
原告Eは,猛烈な暑さの中で,過酷な救護活動を行い,多数の死体をおぶって運
搬したり,けがの手当をしたり,川の水を飲んだりし,当日は一睡もしなかったと
いうのであるから,当時の栄養状態,衛生状態が劣悪であったことは明らかである。
また,原爆投下による悲惨な状況に遭遇した原告Eの精神的なストレスは甚大であ
ったと推察される。そうであるとすれば,原告Eに生じた諸症状は,不衛生,感染,
栄養不良による身体的症状やストレスによる心身的症状であったとみるのが自然で
ある。
また,脱毛があったといっても,内部被曝で脱毛が生じるという科学的知見は一
切存在しない上,原告Eの脱毛は頭をかいたら,毛が,多少ずつ落ちた記憶がある
という程度のものであるところ,脱毛症には様々な分類があり,持続性高熱,外傷
性,栄養障害,精神的ストレス,ホルモン異常,自律神経障害,感染症,皮膚炎な
ど,放射線以外の原因が多数考えられ,特に,原爆が投下された昭和20年当時の
広島・長崎の悲惨な状況下では,極度の精神的ストレスや感染症,栄養障害等の理
由から多少の脱毛がみられたとしても何ら不自然なことではない。
イ 申請疾患の放射線起因性
(ア) 申請疾患
原告Eの申請疾患は,平成9年1月27日付け原爆症認定申請書(乙D1号証)
の所定の欄には,「甲状腺腫瘍術後機能低下症」と記載されている。一方,平成8
年12月24日付けの野口病院の内野医師作成に係る診断書(甲D11号証)には,
病名として「甲状腺悪性リンパ腫」と記載され,「上記疾病名にて,1980年2
月14日入院,同年2月21日手術,術後放射線治療,化学療法施行,同年4月2
日退院,1986年11月4日,最終外来受診時点では,同疾病の再発は認めてい
なかった。」と付記されている。
以上の各記載からすると,原告Eは,甲状腺に発生した悪性リンパ腫について,
昭和55年に野口病院において手術を受け,以後6年間,同病院において放射線治
療を受けていたところ,甲状腺に発生した悪性リンパ腫の手術及び治療に伴い甲状
腺機能低下症の状態になったものと推定される。
したがって,原告Eの原爆症認定申請における認定審査の対象となる疾患は「甲
状腺悪性リンパ腫」であるというべきである。
(イ) 原告Eの申請疾患に放射線起因性は認められないこと
悪性リンパ腫については,放影研による大規模な死亡率調査(「死亡率調査第1
2報」,乙全8号証)が行われているが,放射線被曝との間に有意な線量反応関係
が認められていない。したがって,悪性リンパ腫については,放射線起因性は認め
られないというべきであるが,審査の方針では,慎重を期して,その関係が完全に
は否定できないものであるとして,念のため,原因確率が最も低い悪性新生物に係
る審査の方針別表2−1によって,その原因確率を算定することとしている。
原告Eについては,原爆による被曝線量があったとは認められないとして,放射
線起因性が認められないと判断された。仮に残留放射線及び放射性降下物の影響を
原告側の証拠により原告側に最大限有利に仮定してみても,0.44Gyにすぎない
ところ,その原因確率は,2%程度にとどまる。これは,原爆による放射線以外の
原因で悪性リンパ腫となった可能性が98%あるということを意味するのである。
その他原告Eの既往歴,環境因子,生活歴等を総合的に勘案しても,同人の悪性
リンパ腫に放射線起因性があるとは到底考え難い。
なお,原告Eは,慢性甲状腺炎(橋本病)について放射線との関連性があるとし
て,これを根拠に甲状腺悪性リンパ種に放射線起因性があると主張するが,原告E
の疾病が橋本病であるとする明確な根拠はない上に,橋本病について放射線起因性
は認められない。
また,甲状腺が放射性ヨウ素を蓄積しやすい器官であり,その影響を考慮すべき
とも主張するが,放射性ヨウ素は,原爆投下時の様々な現地調査で検出されたとい
う報告がない核種である上,広島原爆において使用されたウラン235から放射性
ヨウ素は発生しないことがわかっており,原告Eの主張は,前提において科学的根
拠を欠くものである。
(2) 小括
以上のとおり,原告Eの申請疾病には放射線起因性を見いだすことはできない。
したがって,原告Eの申請疾病に関する原爆症認定申請を却下した処分に誤りはな
い。
〔原告Fについて〕
(原告Fの主張)
(1) 被爆状況
ア 原告Fは,昭和20年8月6日,広島で被爆した当時,広島市三篠国民学校
の生徒であり,11歳であった。
原爆が投下された午前8時15分,原告Fは,爆心地から約1.7厠イ譴審惺
の校庭にいた。朝礼のため整列しているときに,右斜め後ろから強い光を感じ,次
の瞬間には爆風で吹き飛ばされ,しばらくの間気絶した。気が付いたときには砂埃
で周りが見えなかった。
このように原告Fは,爆心地に極めて近い場所で,何ら遮蔽措置のないところで
被爆したのである。
イ その後,原告Fは,近くの太田川放水路まで逃げ,喉が渇いていたので,川
に飛び込んで,川の水を3,4回飲んだ。川に入ったときに,すぐ隣にいる人の顔
が全然見えないほどの激しい黒い雨が降り始めた。
このように原告Fは,放射線を含んだもうもうたる塵の舞う中を移動し,黒い雨
を全身に浴び,さらにその雨が入った川の水を飲んだのである。
ウ その後,原告Fは,山本にあった国民学校まで3劼らい歩いたが,その間
ずっと黒い雨が降り続けていた。母親とは山本の国民学校で再会することができた。
翌日,父の兄の家がある志路まで何とかたどり着き,その年はそこで過ごすことに
なった。
(2) 急性症状等
ア 原告Fは,被爆するまでは,男の子みたいだと言われるくらい元気な子供で
あった。木登りをしたり,男の子と竹箒を使ってけんかしたり,墓石を飛び石代わ
りに使って遊んだりする活発な子供であった。病気もしたことがなく,学校にもず
っと休むことなく通っていた。
イ 原告Fは,約1.7劼箸いΧ甬離で被爆したために,被爆当日から体の右
側がすべて熱傷のために水ぶくれになるという状態であった。
ウ 被爆した翌日である8月7日には,何度も嘔吐をし,歯茎からの出血もあっ
た。被爆後3日目くらいからは,何もしなくても鼻血がよく出るようになり,また,
下痢が頻繁に起こり,熱も出るようになった。1週間後からは,髪の毛が抜けるよ
うになり,一時は坊主に近い状態にまでなった。首から胸にかけてと背中には,紫
斑も現れるようになった。
結局,原告Fは,被爆時に受けた右足の負傷のため,その年の間は歩くこともで
きず,寝たきりの状態で,気分もずっと悪かったのである。
エ これらは,被爆者に見られる典型的な急性症状である。また,原告Fは,遮
蔽物のない近距離で被爆し,放射線を含んだ塵の舞う中を移動し,黒い雨を浴び,
その雨の入った水を飲んだ。これらのことを考え合わせると,近距離での直爆及び
放射線を含んだ塵や雨水を火傷した皮膚や肺や消化管から吸収したことによる内部
被曝によって,大量の放射線を浴びたことが強く推認される。
また,屋外被爆者の急性症状発現率は,屋内被爆者のそれよりも高いというデー
タもある。
さらに,被爆後数日ないし数週間に現れた被爆者の健康状態の異常は,被爆者の
身体に対する放射能の影響の程度を想像させる場合が多い。そして,脱毛,発熱,
口内出血,下痢等の諸症状は原爆による急性症状を意味する場合が多く,特にこの
ような症状が顕著であった例では,当時受けた放射能の量が比較的多く,したがっ
て原爆後障害症が割合容易に発現しうると考えることができるとされている。原告
Fは,ここで挙げられている急性症状をすべて発現している。
したがって,原告Fが大量の放射線を浴びたことは明らかである。
(3) その後の症状の経過
ア 原告Fは,翌年の昭和21年になって何とか松葉杖を使って歩けるようにな
ったため,4月から,もう一度5年生をやることになった。しかし,学校に行くよ
うになってからも,全身に力が入らない,気怠いという状態が続いた。とりわけ,
朝起きたときには全然力が入らなかった。好きだった体育の授業もよく休むように
なった。また,中学2年生のころからは,尿が出にくくなった。いつも残尿感があ
り,井原市の病院では,タンパクが出ているので塩分を控えるようにと診断された。
イ 原告Fは,昭和26年3月に中学を卒業後,紡績工場で働いた。
しかし,やはり全身に力が入らない状態が続き,吐き気も続いた。一日中立ち仕
事であったこともあって仕事が辛くなり,3年後には辞めて志路に戻った。
ウ 昭和29年,何回か通った井原市の医師にABCCで診てもらうようにと言
われ,ABCCの診断を受けた。ここでも原告Fの急性症状が記録されている。
エ その後,志路にいても仕事もなく,実家も裕福ではなかったため,昭和30
年ころ,広島市に働きに出て病院の患者の付き添いの仕事を始めた。この付き添い
の仕事も動き回る仕事であり,疲れやすく体調は悪いままだった。その病院の同僚
の看護婦が,原告Fが疲れやすいのを見て,医師に診てもらったほうがいいと進め
たので診察を受けた。そのときもタンパクが多いとの診断であったが,生活のため
に我慢して働かざるをえなかった。しかし,どうしても働けなくなり,その仕事も
5年で辞めることになった。
オ 原告Fは,20歳代のころは右手右足の火傷の痕を他人に知られないように,
右手にはずっと包帯をしていた。被爆したことも隠しており,結婚もあきらめてい
た。
カ 昭和35年ころから,原告Fはミシン針の工場で働き始めた。夜もダンスホ
ールで働いた。体調は悪いままで休みたかったが,生活のためには働かざるを得な
かった。このころ,原告Fは,上記ダンスホールの客であった夫と知り合った。
キ 昭和39年には,気を失って,広島市民病院に2,3か月入院したことがあ
った。急性腎盂炎であった。毒が頭に回って一時は危ない状態だったとも言われた。
その後は,市民病院の主治医だった医師が開業した病院に通院し,慢性腎炎と診断
された。
ク 昭和40年から昭和47年の間に,産婦人科において,医師から,腎臓が悪
いので出産したら母子共に死亡してしまう危険があると言われたため,2回も子供
を堕ろした。
ケ その後,昭和47年に結婚し,名古屋に引っ越した。
名古屋に来てすぐ,南医療生協病院での診断により,健康管理手当の支給のため
の認定をしてもらうことができた。それからは,被爆患者の指定病院になっていた
名古屋掖済会病院に通院するようになった。
このころ,原告Fは子供を生むことをあきらめきれず,内科の医師に相談し,1
か月ほど集中して通院治療を受け,妊娠した後も内科に通い続け,何とか無事に出
産することができた。しかし,原告Fは,出産当時まだ42歳になったばかりであ
ったのに閉経してしまった。
その後は,今日に至るまで,掖済会病院に通院し続けている。
(4) 現在の状況
ア 原告Fは,昭和56年,愛知医大に入院した。腎臓の検査を行ったところ,
2つの腎臓の働きが平均人の3分の1以下であると指摘された。ここでも腎炎とい
う診断であった。
イ 平成2年,卵巣の外に腫瘍ができ,入院して卵巣と子宮の摘出手術をした。
ウ 平成10年,胃潰瘍と診断された。
エ 平成11年,肺炎で入院した。
オ 平成12年,腎臓の治療のためにステロイドを飲み始めたが,かえって顔が
膨れたり,足が腐ったようになったりし,内出血もした。平成13年からは,人工
透析を週3回受けるようになった。
カ 同年の終わりには,左変形性関節症で入院し,人工膝関節置換術の手術をし
た。
キ 入院中の平成14年1月,口の周囲に違和感があり,ろれつが回らなくなっ
たため,検査すると,小さな脳梗塞が発見された。
ク 同年6月,膵腫瘍が発見された。しかし,手術をすると寝たきりになってし
まうとのことだったので,そのままの状態にしてある。
ケ 平成15年には,白内障初期との診断を受け,眼科にも3か月に1回通院し
ている。
コ 同年,二次性副甲状腺機能亢進症との診断を受けた。
サ 平成16年には,肺炎が原因で入院し,退院間近になってMRSA感染症に
かかり,結局4か月ほど入院し,その後,今度は,下痢が原因で2週間ほど入院し
た。
シ 以上のように,原告Fは名古屋に来て以降,現在に至るまで,通院と入退院
を繰り返している状態である。また,疲れやすい状態も続いている。
(5) 放射線起因性の要件該当性
ア 慢性腎不全の放射線起因性
(ア) 原告Fは,被爆直後の昭和20年当時,熱が出た際に腰の背骨の付け根くら
いのところに,どすんと重たい痛みを感じている。これは腎臓の細菌感染が原因で
はないかと思われ,急性腎盂炎の症状と考えられる。
感染については,被爆後のある時期に尿路感染症になっていたことも疑われる。
すなわち,昭和29年10月にABCCが原告Fを診断したデータによれば,当時
原告Fの白血球は増大しており,また,尿のタンパクが陽性であった。さらに,尿
が混濁していること,尿の濃縮力が落ちていることをも併せ考えると,この時点で,
尿路感染症が続いていたと考えられるのである。
さらに,原告Fは,昭和39年,気を失って運ばれた広島の病院で,急性腎盂炎
と診断されているが,以上の経緯に照らすと,この急性腎盂炎も,尿路感染症を繰
り返しているうちに発症したものと考えるのが合理的である。その後,尿路感染症
の繰り返しの中で慢性腎盂腎炎へと進行し,最終的に慢性腎不全となったものと考
えられる。
以上が原告Fの慢性腎不全の発症経過についての,医学的資料や医師及び本人の
証言から推測される機序である。そして,放射線被曝が免疫機能の障害を惹起する
可能性を否定できないことから,被爆と易感染性に関しては因果関係があると考え
られる。
(イ) なお,原告Fは,このように慢性腎不全の治療のために人工透析をすること
を余儀なくされているが,このため,二次性副甲状腺機能亢進症を発症するに至っ
ている。
そうすると,この二次性副甲状腺機能亢進症は,被爆が原因でもたらされた腎
不全の続発疾患であるから,慢性腎不全と一体的な疾患として考えるべきである。
イ その他の易感染性が関連していると考えられる病気
(ア) 原告Fは,脳梗塞にもなっており,脳梗塞の原因となるのは動脈の閉塞であ
るが,最近の研究では,そのメカニズムに慢性炎症反応が関与していることが指摘
されている。そして,感染症は,動脈の炎症を引き起こす要因の一つである。実際,
放影研の最新の調査によれば,被爆者の死亡率で脳梗塞の過剰相対リスクが高いと
いうデータが2回続けて報告されているのである。
(イ) その他にも,胃潰瘍も,ヘリコバクター・ピロリ菌の感染の結果と考えられ,
下肢の閉塞性動脈硬化症も,閉塞性血管炎という血管の炎症が原因となっている可
能性がある。
ウ 脳梗塞を含む循環器疾患の放射線起因性
放影研の「寿命調査 第11報 第3部 改訂被曝線量(DS86)に基づく癌
以外の死因による死亡率,1950−85年」(乙全73号証)においては,昭和
25年ないし昭和60年の循環器疾患による死亡率は,線量との有意な関連を示し,
脳卒中による死亡率にはそのような関連は認められなかったが,脳卒中以外の循環
器疾患(心疾患)は全期間で有意な傾向を示した。しかし,後期(昭和41年ない
し昭和60年)になると被爆時年齢が低い群(40歳未満)では,循環器疾患全体
の死亡率及び脳卒中又は心疾患の死亡率は線量と有意な関係を示し,線量反応曲線
は純粋な二次または線形−しきい値型を示した。心疾患群のうち最も死亡数が多い
冠状動脈性心疾患の死亡率は同じ期間,同じ被爆時年齢区分の心疾患と同様の傾向
を示しているとされている。
また,「原爆被爆者の死亡率調査 第12報,第2部 がん以外の死亡率:19
50−1990年」(乙全74号証)においても,昭和25年10月1日から平成
2年12月31日までのがん以外の疾患による死亡者についての解析の結果,循環
器疾患に有意な増加が観察されたとされている。
さらに,「原爆被爆者の死亡率調査 第13報,固形がんおよびがん以外の疾患
による死亡率:1950−1997年」(乙全69号証)においては,昭和43年
ないし平成9年の期間の寿命調査における心疾患,脳卒中,呼吸器疾患及び消化器
疾患に有意な過剰リスクが認められ(同2頁),脳卒中の1Sv当たりの過剰相対リ
スクは0.12(90%信頼区間は0.02ないし0.22)とされている。
この脳卒中とは,脳出血と脳梗塞を含む概念である。
これらのことから,脳梗塞を含む循環器疾患について,その放射線起因性は明ら
かである。
エ 膵嚢胞の放射線起因性
原告Fの膵嚢胞については,これが真性のものか仮性のものかの診断はなされて
いない。
この点,これが真性膵嚢胞で腫瘍性嚢胞である場合には,原告Fが直爆及び内部
被曝によって放射線の影響を受けていることから,その放射線が新生物を引き起こ
し,腫瘍化させる作用を持っている以上,放射線起因性が認められなければならな
い。
一方,これが仮性膵嚢胞であった場合,それは膵炎を成因としたものである可能
性が高く,膵炎は副甲状腺機能亢進症や高カルシウム血症が背景となることが認め
られ,かつ,そのような病態が放射線被曝と有意の関連を持っていることが認めら
れるのであるから,やはり放射性起因性を十分に認めることができる。
オ 右副腎腫瘍の放射線起因性
原告Fの右副腎腫瘍については,これが悪性のものか良性のものかの診断はなさ
れていない。
この点,副腎腫瘍について,放射線起因性を示すデータは,現在のところ見られ
ない。しかし,これが良性腫瘍であったとしても,子宮筋腫や甲状腺腫瘍,下垂体
腫瘍などが放射線被曝との有意な関連が認められていることにも見られるように,
放射線が腫瘍化させる作用を持っていることが否定できないのであるから,やはり
放射線起因性を否定することはできない。
カ 限局性強皮症の放射線起因性
限局性強皮症は炎症性疾患であるが,患者自身の免疫機能が誤って自分を攻撃し
てしまう自己免疫性の疾患,すなわち免疫異常を背景とした疾患であるとされる。
この限局性強皮症について,放射線起因性を示すデータは,現在のところ見られ
ない。しかし,一般的に放射線被曝による免疫異常症の可能性が否定できない以上,
限局性強皮症についても放射線起因性を認めることができるというべきである。
キ 白内障の放射線起因性
原告Fの白内障については,後嚢下に混濁が見られるものの,核にも混濁が見ら
れる。
この点,白内障については,核混濁があっても放射線による遅発性白内障が否定
できず,したがって,放射線起因性を認めるべきである。
ク 左変形性関節症の放射線起因性
原告Fは,爆心地より約1.7劼箸いΧ砲瓩洞瓩ぞ貊蠅如げ燭藜彿辰發覆被爆
し,右半身に熱傷を負った。この外傷に加えて放射線被爆による免疫機能や修復機
能の障害によって外傷の治癒機転が遅延した結果,昭和20年の間は歩くこともで
きず,寝たきりの状態であった。
また,この熱傷によって,原告Fの右半身の右手から右足には広い範囲にわたっ
てケロイド(瘢痕異常)が生じ,なんとか歩けるようになった後も歩行は万全では
なく,しばらくは松葉杖を使い,使わなくなった後も右足をかばうような歩き方を
するほかなく,左足には過重な負担が掛かる状態であった。
ところで,昭和20年当時の医療条件は非常に劣悪であり,原告Fの熱傷を負っ
た右半身も,治療といっても油を塗ったり包帯をしたりする程度で,うじが湧いて
しまうほどだった。このため,原告Fの熱傷は,現在では考えられないような治り
方をしているものと思われる。
当時は本人が欲していても十分な医療を受けられる状況ではなく,まともな治療
をしなかったことに本人の過失がない以上,被爆者の後遺障害を考える際には,当
時のこうした医療条件が考慮されなければならない。
そうすると,原告Fの左変形性関節症は,右半身の外傷がなければ生じなかった
といえ,しかも放射線被爆による免疫機能や修復機能の障害に加えて当時の劣悪な
医療条件によって治癒機転が遅延したことが遠因となっていると考えられる。
ケ 全体として,原告Fにおいては,ひとつひとつの症状の中にはたしかに軽い
ものもあるが,系統だって説明できないさまざまな疾病が不自然にバラバラに起き
ており,その根底に免疫異常が否定できない状態である。
たとえ個々の疾病には統計学的有意差がないものがあったとしても,前述のよう
な原告Fの直爆,外部被曝,内部被曝という被爆の実態と,上記のような健康異常
の存在からは,原告Fの各疾病に対する放射性起因性が肯定されなければならない。
(6) 要医療性の要件該当性
原告Fは,慢性腎不全の治療のため,週3回の人工透析を欠かすことができない。
その他,脳梗塞,白内障等の諸症状についての治療ないし経過観察が不可欠の状
況である。
(被告らの主張)
(1) 原告Fの申請疾患に放射線起因性が認められないこと
ア 被爆状況について
(ア) 被爆地点
原告F(昭和8年8月15日生,女性)は,爆心地から1.7厠イ譴森島市三
篠本町の三篠国民学校の校庭において朝礼のため整列しているときに,遮蔽のない
状況で被爆した。
(イ) 推定被曝線量
原爆の初期放射線による被曝線量は,審査の方針別表9によれば,およそ0.2
2Gyと推定される。
また,原告Fには,原爆爆発後72時間以内に爆心地から700m以内の区域へ
の入市や,広島市己斐地区又は高須地区に滞在又は居住した経過は認められないこ
とから,誘導放射能及び放射性降下物による残留放射線被曝の影響については考慮
をする必要はない。
なお,原告Fは,黒い雨などの放射性降下物によっても被爆した旨主張するが,
己斐又は高須地区等に降った「黒い雨」及び「黒いすす」には放射性降下物が含ま
れていたことが調査結果により推定できるのであるが,それ以外の地区に降った
「黒い雨」及び「黒いすす」に放射性降下物が含まれていたことは,調査結果によ
っても何ら裏付けられてはいない。
また,被爆直後の調査結果により,放射性降下物が特に多くみられた広島の己斐,
高須地区に爆発1時間後から無限時間までとどまり続けたという現実にはあり得な
い仮定をした場合でも,放射性降下物によるガンマ線の積算線量は,0.006な
いし0.02Gyにすぎない。
(ウ) 原告Fが述べる被爆後の症状は,被爆による急性症状の所見とは相いれない
ものであること
原告Fは,脱毛,歯茎からの出血,鼻血,紫斑,下痢,嘔吐などの急性症状が発
症しており,このような健康被害の原因は,被爆の影響以外には考えられないと主
張する。
しかし,原告Fの被曝線量は,およそ0.22Gyを上回ることはないものと推定
され,上記各症状が放射線被曝に起因するものということのできないことは明らか
である。仮に,原告Fが,上記のような急性症状としての下痢等が起こり得るレベ
ルの被曝をしているならば,感染症等の重大な合併症を発症しているはずであるが,
そうした供述は一切認められない。同人が述べる上記症状は,被爆による急性症状
の所見とは相いれないものである。
また,そもそも鼻血については,放射線被曝によって生ずるとは医学的にも認識
されていない。
原告Fは,紫斑について,疲労の有無や強弱に比例して現在まで反復して出現す
ると供述しているが,紫斑には様々な原因があり,血小板減少で起こることもあり
得るし,放射線被曝で血小板(栓球と同意)が減少することも認められている。し
かしながら,その減少は一過性のもので,回復することが知られている。したがっ
て,原告Fに反復して生じたとする紫斑が放射線性のものとは認められない。
下痢についても,便は軟らかであったが水状のものではなかったと供述している
が,放射線被曝によるものであれば,血性の下痢となるはずであるから,これにつ
いても,放射線被曝による急性症状でないことが明らかである。
したがって,原告Fが急性症状として主張する症状が放射線性のものでないこと
は明らかである。
イ 申請疾患の放射線起因性
(ア) 申請疾患
原告Fの認定申請書及び同申請書添付の意見書の記載によれば,同原告の申請疾
病は慢性腎不全,膵嚢胞,多発性脳梗塞,右副腎腫瘍及び限局性強皮症と認められ
る。
(イ) 原告Fの申請疾患に放射線起因性は認められないこと
原告Fの申請疾病のうち,右副腎腫瘍については,認定申請時に提出された資料
で詳細な病歴や腫瘍の良悪性の区別自体が判断できないものであるが,仮に悪性の
腫瘍であったにしても,その原因確率は非常に低く,放射線起因性を認めるには到
底及ばない。
また,膵嚢胞,多発性脳梗塞及び限局性強皮症については,その病態を把握する
ための資料が認定申請時に不十分で検討し難いうえ,そもそもこれらの疾病が放射
線被曝で発生し得るという知見さえない。
また,慢性腎不全についても,同様に放射線起因性がない疾病である。健康診断
個人票(乙A3号証)で「昭和29年はじめて尿蛋白を指摘される」と記載される
ように尿路感染症の徴候が以前よりあったことが認められ,また,それを裏付ける
ABCCの資料(甲A8号証の2)も提出されており,聞間証人も長年の尿路感染
症を経た腎不全である旨供述している。聞間証人はその過程において,免疫低下が
関与して,腎不全に至ったかのように述べるが,それには全く根拠がない。
さらに,同証人は放射線被曝で鼻血が生じるかのような見解を示すが,これも失
当である。医学的に鼻血の原因として放射線被曝は認識されていないだけでなく,
鼻を放射線照射領域に含む上顎がんの放射線治療のような高線量照射でさえ,鼻血
は発生しないのである。
(2) 小括
以上のとおり,原告Fの申請疾病には放射線起因性を見いだすことはできない。
したがって,原告Fの申請疾病に関する原爆症認定申請を却下した処分に誤りはな
い。
〔原告Gについて〕
(原告Gの主張)
(1) 被爆状況
ア 被爆前の生活状況及び健康状態
原告Gは,昭和2年1月24日に宮崎県日南市飫肥町大手で生まれた。長崎市で
被爆するまでの健康状態は良好であり,何の既往症もなく,視力も右が1.2,左
が1.5であった。
イ 被爆時の場所,状況等
原告Gは,女学校を卒業後,勤労挺身隊に入隊し,昭和20年8月9日の被爆時
は,爆心地から約3.1厠イ譴浸杏重工業長崎造船所飽浦工場で勤務していた。
原告Gは,被爆時,同じ女子勤労挺身隊のI,Jとともに,工場内で勤務中であっ
た。同日午前11時ころ,マグネシウムを燃やした時のようなものすごい閃光が目
に入り,同時に,すさまじい音と衝撃があった。
原告Gは,預かっていた鍵を掛けるために逃げ遅れ,体の上に書類棚が倒れてき
て,その衝撃で5分くらい気を失った。その際,左の額やこめかみにけがをし,そ
の部分からの出血が止まらなかったので,造船所内の診療所で治療を受けようとし
たが,診療所は爆風の影響で倒れてしまっており,治療を受けることはできなかっ
た。
ウ 被爆当日の行動
原告Gは,Jから浦上駅の向こう側にある大学病院で治療を受けるよう勧められ,
J,I両名と病院へ行くことにした。原告Gは,長崎の市街地に行ったことがほと
んどなく,浦上の地理がわからなかったので,Jに従って行った。
原告Gらが工場を出たのは午後1時ころで,浦上川に沿って上流の方向に進み,
2番目の橋を渡って少し歩くと,小さなプラットホームを見つけ,歩き続けで疲れ
ていたので,プラットホームの傍で少しの間休憩した。
飽浦工場から川沿いを北上した二番目の橋の名前は,地図上では柳川橋という橋
であった。また,同プラットホームでは,後述するように「浦」と書かれた看板を
見ており,柳川橋を渡った付近で「浦」と記載された駅は,爆心地より約1000
m付近の浦上駅しかなく,同人らがたどり着いた駅は浦上駅と推定される。
その後も,原告GはJに付いて線路に沿って歩いた。線路はレールが熱の影響で
曲がっており,枕木が焦げて真っ黒になっていた。途中,疲れて脚がつってしまい,
歩き続けることができなくなった。そのときは,周りが火事の煙や粉塵で濃い霧で
包まれているようであったため,周囲が非常に見えにくい状態であった。原告Gら
は結局病院で治療を受けられないまま寮まで帰ることになった。
出発の前,Jは,服が死臭にまみれていたので,近くの川で洗濯をした。原告G
は,粉塵で辺り一面がかすむ状況の中で,壊れて橋脚しかない橋を見つけた。浦上
駅より北で,橋脚しかない橋は爆心地から約500m地点にあった竹岩橋という橋
しかないので,後にその橋が竹岩橋であることが分かった。
原告Gらは浦上駅をすぎた後,黒い雨に5分から10分程打たれた。そのときの
服装は半袖のセーラー服だったが,黒い雨は大雨で,非常に粘度が高く,腕に付い
た雨をなかなかぬぐうことができなかった。また,黒い雨は目にも入ってきたので,
黒い雨が付着したままの手で目をこすったりもした。また,こうして歩き回った際
に粉塵を吸い込んだり,粉塵が目に入ったりした。
原告Gらは,日が暮れる午後6時ころ,油屋町の寮に帰ることができたが,寮は
爆風で倒れていたので裏山のカボチャ畑で野宿した。
エ その後の行動
原告Gは,カボチャ畑で3日間ぐらい野宿した後,飽浦工場に行き,後片付けを
し,その後8月15日ころまで長崎に滞在し,同月20日ころ宮崎の実家に戻った。
(2) 急性症状等
原告Gは,8月末ころから,急に熱が出て,体がだるくなり,やがて髪が抜け始
めた。髪の毛が抜けはじめてから1か月くらい経過したころには全ての髪の毛がな
くなって丸坊主になった。
また,9月始めころからは,今度は赤痢のようなひどい下痢が続き,血便が出始
め,それが2か月近く続いた。
さらに,10月ころ,首のリンパ腺が腫れて首がまわらなくなったため,飫肥町
の総合病院で治療を受けた。医師から,原告Gと同じように,地元の女学校から長
崎に行った二人の女の子に同じ症状が出ているとの説明を受け,初めて,自分の症
状が原爆の影響だとわかった。今でも首をさわったり,首を動かすと重苦しい感じ
がする。
また,翌昭和21年の正月ころには歯がぐらぐらし始め,ちょっとした動きで歯
茎から出血するようになったり,歯が抜けやすくなった。
上記のような被爆後の症状は,いずれも放射線被曝による典型的な急性症状であ
る。原告Gは,被爆時までは健康状態などに問題はなく,上記症状の原因は放射線
被曝以外には考えられない。
(3) その後の症状の経過
ア 原告Gは,昭和21年3月ころ,輸尿管結石になり,2か月間くらい病院に
通った。同年8月には手足が腫れてきた。病院で診察してもらったところ,腎臓が
悪いと言われた。現在でも,腎機能が落ちており,風邪を引くと熱が出て腎盂炎に
なる。さらに,疲れたり,無理なことをすると直ぐに貧血状態になるような状態で
ある。
イ 原告Gは,昭和23年ころに嫁いだが,嫁ぎ先でも体がだるくて脂汗が出る
状態で思うように仕事が出来ず,病気ばかりしていた。何度も流産を繰り返した後
二人の子を出産したが,昭和30年ころに離婚を余儀なくされ,宮崎の実家に帰っ
た。
ウ 原告Gは,親戚を頼って来た愛知県で再婚したが,何度か流産した後,女児
を出産した。しかし,ここでも体が弱いため,姑や小姑との折り合いが悪く,自殺
未遂を繰り返し,分家をして家を出ることを余儀なくされた。
エ なお,原告Gは,一緒に爆心地付近を歩いたJが被爆後2,3年してから白
血病で亡くなったこと,またIが結婚後,被爆が原因で自殺したことを,友人から
聴いている。
(4) 現在の状況
ア 現在の病状
原告Gは,昭和40年ころから貧血の症状が出てきて,今も治っていない。また,
昭和53年ころから腰痛,体全体の痛みの症状が出てきて,昭和56年11月,広
島の福島生協病院にて心臓肥大の診断をうけ,昭和60年ころからは風邪をひきや
すくなり,扁桃腺が頻繁に腫れるようになった。
平成14年8月21日には,石黒病院で腰椎辷症,慢性腎炎,高脂血症,高血圧
症の診断を受けた。
現在,長時間は続けて動くことが出来ず,夕食のための炊事をするのにも午後2
時か3時ころから台所に立たなければならない。また,長く椅子に腰掛けていると,
その後容易に立つことが出来ない状態である。さらに,月に一度は体全体に力が入
らず,生あくびばかりして,脂汗をかくようになり,変形性脊髄症,骨粗鬆症とも
診断されている。
イ 申請にかかる疾病
原告Gの申請疾病は,両眼白内障である。原告Gが,目がかすみ,ものが見えに
くくなるという自覚症状を感じ始めたのは,平成2,3年ころであった。原告Gは,
病院に行きたかったものの,被爆者健康手帳を使って無料で治療を受けることを悪
く言う人がいたので,なかなか病院に行くことができず,近所の薬局で目薬などを
買ったりしてしのいでいた。
しかし,視力の低下,目のかすみが酷くなり,台所仕事もできないので,佐野眼
科において,平成9年5月13日に初めて診察を受け,両眼白内障と診断された。
主治医の佐野正純医師は,初診時のGの水晶体の病理所見について,「患者の初診
時の所見は,混濁が,ほぼ後嚢下に限局されていた。」と述べている。このように,
原告Gの白内障は,初診時においては,水晶体の混濁が後嚢下に確認されていた。
佐野医師によれば,初診から5年が経過した時点においても,原告Gの白内障は,
依然として水晶体後嚢下の混濁が大きく,顕著であること,老人性白内障によくみ
られる皮質混濁等の所見は見られなかったこと等の事実が認められる。
(5) 放射性起因性の要件該当性
ア 被告らは,原告Gの両眼白内障の認定申請について,被曝線量が,しきい値
である1.75Svより微量であると推定されること,白内障を発症した時期が被爆
後50年以上経過した時期であること,混濁が生じている部位が前嚢下に及んでお
り臨床的に認められた所見からも放射線白内障と判断できる根拠に乏しいことなど
から,放射線起因性が認められないと主張する。
しかし,以下に述べるとおり,原告Gの白内障が放射線に起因する高度の蓋然性
があることは,前記の被爆前の健康状況,被爆状況,被爆後の行動,被爆後に現れ
た急性症状,白内障の所見等を総合的に考慮すれば,十分認めることができるもの
である。被告らの主張は,以下のとおり,いずれも失当である。
イ 白内障の放射線起因性に関する判断について
(ア) 被告らは,原爆白内障は,しきい値がある確定的影響であると主張する。そし
て被告らの原処分の根拠,判断基準とされている審査の方針は,放射線白内障のしき
い値は1.75Svとしている。
しかし,原爆白内障と放射線量とは,しきい値を有する確定的影響の関係にはない。
すなわち,放影研の成人健康調査第8報(甲全62号証の2の2,乙全76号
証)及び「原爆被爆者の白内障についての意見書」で引用されている津田恭央らによ
る「原爆被爆者における眼科調査」(広島医学57巻4号,甲全62号証の2の3,
「津田論文」という。)では,放射線被曝と,白内障の発症(津田論文においては,
水晶体の後嚢下混濁,皮質混濁)との間に有意な関係を認め,被告らが主張する際
のしきい値である1.75Svよりも遥かに低い線量域から相対リスク(津田論文に
ついてはオッズ比)が上昇しており,しきい値が存在しないことを示している。
そして,中島栄二ほか「原爆被爆者における白内障有病率の統計解析2000−
2002」(長崎医学会79巻,甲全62号証の2の5,「中島論文」という。)
は,白内障線量関係の詳しい統計的解析及び白内障線量反応におけるしきい値を検討
したものである。同論文は,皮質混濁,後嚢下混濁では線量効果は有意であること
に加え,皮質混濁と後嚢下混濁では線量反応にしきい値は存在しないことを明らか
にしている。
(イ) 被告らは,放射線白内障は被爆後数か月から数年を経て生じるとする科学的
知見があるなどとし,原告Gの白内障発症は「放射線白内障としては余りにも時期
的に遅すぎる発症といわざるを得」ず,むしろ老人性白内障と考えるのが妥当であ
ると主張する。
確かに,原爆白内障についての従来の知見では,原爆白内障は,被爆後数か月か
ら数年で発症するとされていた。
しかしながら,この点についても,上記の津田論文においては,被爆者が被爆後,
数十年経過した後に水晶体後嚢下の混濁を発症した場合に放射線量との有意な関係
を認めており,被爆後数十年してから放射線の影響によって白内障を発症する遅発
性の放射線白内障に関する知見が明らかになっている。
(ウ) したがって,白内障についての放射線起因性の判断にあたっては,上記のよ
うに,有意な線量反応関係が認められ,従来のしきい値が存在するとの知見が否定
されて,遅発性の放射線白内障の存在を肯定する最新の知見があることからすると,
被曝線量等から放射線起因性を機械的に判断したり,白内障の発症時期が被爆後相
当長期間経過した後に発症したことを重視して,放射線起因性を否定することは許
されない。
ウ 原告Gの放射線被曝の重大性
被告らは,原告Gの推定被曝線量について,爆心地から3.1卉賄世任糧鑁で
あり,原爆爆発後56時間以内に爆心地から600m以内の区域への入市経緯はな
いため,誘導放射能及び放射性降下物による残留放射線被曝の影響等を考慮する必
要はなく,原告Gの被曝線量は0cGyか極めて微量である等と主張し,これを根拠
の一つとして放射線起因性を否定している。
しかし,原告Gは,爆心地から3.1厠イ譴深柴發波鑁したものであるが,被
爆時に,原爆の閃光を眼に受けており,直接被曝が眼に与えた影響を過小評価する
ことはできない。
また,最も重要な事実は,原告Gが,原爆投下後数時間内に,爆心地から約50
0m地点にあった竹岩橋のある区域まで達した後,同地域周辺を歩き回る等してい
るという点である。被告らが主張する「原爆爆発後56時間以内に爆心地から60
0m以内の区域への入市はない」等というのは,明らかに事実を誤認したものであ
る。
原告Gらが,爆心地付近を歩き回った時間については,飽浦工場を出発したのが
午後1時ころで,寮に帰還したのが午後6時ころであることからすると,爆心地付
近を少なくとも3時間以上歩き回ったものと見られる。その間,原告Gが,誘導放
射線の被曝をしたことは明らかである。
また,放射性降下物及び誘導放射線によって汚染された粉塵が原告Gの眼に入っ
ていること,帰路に浦上駅を過ぎた辺りでは誘導放射線及び放射性降下物によって
汚染されたいわゆる「黒い雨」にも濡れ,その濡れた手で眼をこするなどした事実
が認められ,これは原告Gが放射線汚染物質による内部被曝をしたことを示すもの
である。
さらに,原告Gは当日以後,8月15日ころまで,長崎市内にとどまって,放射
線によって汚染された食事を摂っていることが伺われ,これによる内部被曝の影響
を強く受けた可能性が大きい。
以上要するに,原告Gは,初期放射線による被曝だけではなく,爆心地付近を歩
いたことにより,誘導放射能,放射性降下物等による被曝をし,また放射性降下物
を体内に取り込んだことによる内部被曝をしたことは明らかである。
原告Gは,被爆後に,下痢,血便,脱毛,歯茎からの出血などの重篤な急性症状
を呈しているところ,それらの症状は,被曝線量との相関を有する症状と考えられ
ており,被爆に起因する急性症状である。原告Gにこれらの急性症状が見られたこ
とは,その身体が原爆放射線の深刻な影響を受けていたことを推認させるものであ
る。
エ 原告Gの白内障の臨床上の所見について
(ア) 放射線白内障の特徴的な所見として水晶体後嚢下に混濁が見られること,原
告Gは白内障を発症して佐野眼科で診察,治療を受けることになったが,その際,
水晶体の後嚢下に混濁が確認されたことについては,前述のとおりである。
水晶体の後嚢下混濁が,原爆白内障の特徴的な所見の一つであることからすると,
原告Gの白内障の臨床上の所見は,その放射線起因性を推定させる重要な事実であ
ることは明らかである。
また,原告Gには,他に白内障を発症させ得る糖尿病等の疾病はない。
(イ) 被告らは,原告Gの白内障について,水晶体の混濁が後嚢下に限局されず,
前嚢下にも及んでいることを指摘し,これを原告Gの白内障の放射線起因性を否定
する根拠の一つとして主張している。
しかし,放射線白内障の水晶体混濁は,後嚢下に限局されるものではなく,前嚢
下にも及び得るものである。
オ 原告Gの急性症状並びにその後の症状の推移について
原告Gは被爆する以前は健康体であり,視力も正常で,眼の病気を発症するよう
な要因は存在しなかった。
前述のとおり,原告Gは,被爆後に,下痢,血便,脱毛,歯茎からの出血等の症
状を呈している。原告Gの急性症状は重篤なものであり,脱毛については1か月程
度で丸坊主になってしまう程のものであり,下痢は2か月程度続いた。これらの症
状は,被爆に伴う急性症状である。
その後も,原告Gは,被爆後に様々な疾病を発症している。既に述べたとおり,
原告Gは,被爆前までは健康体でありながら,被爆以後に上記のように様々な疾病
を発症しており,被爆が健康状態に影響を与えたからこそ,そのように病気がちに
なったのである。特に,被爆後の日常生活で,体がだるく,仕事が出来ない,脂汗
がでるという点は,放射線による身体障害のいわゆる「ぶらぶら病」であると考え
られ,原爆による放射線被曝の影響の強さが推認される。
そして,平成2年ないし平成3年ころから徐々に目がかすむなどの症状を呈する
ようになり,平成9年に佐野眼科で診察を受け,両眼白内障と診断されたものであ
る。
カ まとめ
以上のとおり,被爆前の健康状態,被爆状況,被爆後間もなくして爆心地周辺に
立ち入って「黒い雨」を浴びた事実等の被爆後の行動,被爆後の急性症状の存在と
程度,被爆後の疾病の経過,放射線白内障の特徴的な所見である水晶体後嚢下の混
濁が見られること等の事実を総合的に考慮すれば,原告Gの白内障に放射線起因性
が認められることは明らかである。
(6) 要医療性の要件該当性
原告Gの左目は,現在も白内障に罹患しており,その治療を継続している状況に
ある。また,白内障のために,まっすぐ歩いたり,階段を上り下りするのが困難な
状況にある。そのため,今後も経過を観察し,症状の変動によっては治療だけでは
なく,手術もしなければならない状況にある。したがって,原告Gの白内障には要
医療性がある。
(被告らの主張)
(1) 原告Gの申請疾患に放射線起因性が認められないこと
ア 被爆状況
(ア) 被爆地点
原告G(昭和2年1月24日生,女性)は,爆心地から3.1劼睥イ譴芯杭蟷
水ノ浦の三菱重工業長崎造船所飽浦工場の事務所内で被爆した。
(イ) 推定被曝線量
原告Gは,爆心地から3.1劼睥イ譴臣賄世波鑁したものであるから,原爆に
よる初期放射線によって被曝したとは到底考え難い。初期放射線による被曝線量は
0Gyとみるほかない。
原告Gは,被爆当日,病院を探すため爆心地付近を歩き,「黒い雨」にも打たれ
た旨供述するが,原告Gの認定申請書(乙B1号証)や同人の異議申立書(乙B4
号証の1)には,そのような記載は全くなく,その供述は相当疑わしいというほか
ない。
この点をおいても,放射性降下物及び誘導放射能による影響は,極めて限られた
ものであることは,すでに述べたとおりである。
(ウ) 原告Gが述べる被爆後の症状は,被爆による急性症状の所見とは相いれない
ものであること
原告Gは,脱毛,下痢・血便,歯茎からの出血,リンパ線の腫れなどの急性症状
が発現した旨主張する。
しかし,原告Gの被曝線量は,ほとんど0Gyに等しいものと推定され,上記各症
状が放射線被曝に起因するとはいえない。仮に,原告Gが,上記のような急性症状
としての下痢等が起こり得るレベルの被曝をしているならば,感染症等の重大な合
併症を発症しているはずであるが,そうした供述は一切認められない。原告Gが述
べる被爆後の症状は,被爆による急性症状の所見とは相いれないものである。
また,原告Gは,下痢・血便が9月初めころから2か月近く続いたと述べるが,
そもそも放射線被曝による急性症状としての下痢であるならば,腸上皮の分化・成
熟過程の期間で症状発現までの期間が決まるので,およそ4日ないし5日であるは
ずであり,このような点をとってもみても,原告Gに生じたとする下痢が放射線の
急性症状でないことは明らかである。原告Gは,着の身着のまま長崎を離れ,野宿
しながら4日間をかけて飫肥駅に到着したというのであり,当時の悪化した衛生状
態からすれば,感染による下痢・血便であるとしても,何ら医学的に不合理ではな
い。
そして,リンパ腺が腫れたこと,歯茎からの出血や歯がぐらついたことについて
も,当時の劣悪な栄養状態・衛生状態が影響したとみるのが自然である。
したがって,原告Gが急性症状として主張する症状が放射線性のものでないこと
は明らかである。
イ 申請疾患の放射線起因性
(ア) 申請疾患
原告Gの認定申請書(乙B1号証),同申請書添付の意見書(乙B2号証)及び
健康診断個人票(乙B3号証)の記載によれば,同原告の申請疾病は両眼白内障と
認められ,上記健康診断個人票によれば,平成9年初めころ(70歳ころ)に視力
低下に気づき,同年5月13日初診で,水晶体,両眼共前嚢下に中程度の混濁を認
め,その後右眼について白内障手術を実施し,左眼は治療中であると記載されてい
る。
(イ) 原告Gの申請疾患に放射線起因性は認められないこと
そもそも,放射線白内障は,確定的影響の疾病であり,しきい値は1.75Sv
(ガンマ線で換算すると,1.75Gy)とされているのであって,これは,現在の
確立した放射線医学の常識である。原告Gの被曝線量はほとんど0Gyに等しいもの
であるから,これをもって放射線白内障などと認めることはおよそできない。
そして,原告Gの白内障は,被爆後52年が経過して同人が70歳に達した平成
9年に発症し,その後の5年間で症状が進行したことになるが,そうであれば,放
射線白内障としてはあまりにも遅すぎる発症といわざるを得ず,原爆白内障の潜伏
期は10か月かあるいはそれより早いとする報告や放射線白内障は被曝後数か月か
ら数年を経て生じるとの科学的知見がある状況で,被爆後50年以上経過した後に
放射線白内障が発症したとは到底考え難い上,老人性白内障は,加齢による水晶体
の混濁のため70歳から80歳の高齢者になると多少なりともすべての人にこれが
認められるものであるから,原告Gの白内障は老人性白内障と考えるのが素直であ
る。
また,混濁が生じている部位からしても,放射線白内障とはいい難い。すなわち,
原爆白内障は水晶体後嚢下の皮質に変化が強いという報告や放射線白内障は後嚢下
に白内障をみるという科学的知見があることからすれば,放射線に起因する白内障
は水晶体内の白濁が後嚢下に限局し,前嚢下には及び難いと考えられる。しかしな
がら,原告Gの原爆症認定申請書に添付された健康診断個人票には,「水晶体,両
眼共前嚢下に中等度の混濁を認め視力両眼共0.4」との記載があり,同原告の診
療録写しには,「左水晶体後嚢下円盤状混濁前極前嚢下にも混濁あり」と記載され,
それを示す図も描かれている。このような臨床所見より原告Gの白内障は水晶体の
後嚢下だけでなく,前嚢下にも同様の混濁を来していることが示されている。した
がって,上述したような放射線に起因する白内障の臨床所見とは異なった病態であ
ると考えるのが適切である。
このように,推定された被曝線量だけでなく,臨床的に認められた所見を十分に
考慮しても,原告Gの白内障は放射線白内障と判断できる根拠に乏しく,老人性白
内障と考えるのが科学的にも妥当である。
(ウ) この点,原告らは,上記AHS8報によれば,白内障に有意な線量反応関係
が認められた旨主張する。
しかし,同報告書の白内障に関するグラフ(8頁図1)によれば,2Gyを超えた
領域では相対リスクが全く上昇していないことが認められ,白内障について,線量
反応関係を肯定することが困難であることが示唆されている。また,同報告書(5
頁)には,調査年齢が60歳を超えると有意差が認められなくなると記載されてお
り,ここで扱われている白内障が放射線白内障ではなく,老人性白内障であること
を示唆しているのであって,同報告書を基に放射線白内障が確率的影響の下にある
ということはできない。
また,原告らは,津田論文を根拠に白内障の線量反応関係,低線量での後嚢下混
濁の発生及び遅発性の放射線白内障の可能性について主張する。
しかし,津田論文では,混濁が後嚢下に存在すれば放射線白内障であり,皮質に
存在すれば老人性白内障であるとの前提で検討しているものと思料されるところ,
これらの前提は,同論文の著者らの仮定にすぎず,老人性白内障においても,混濁
が後嚢下にはじまる可能性があるとの一般的な眼科学の見解とは異なるものである。
そして,津田論文の著者らは,皮質混濁と後嚢下混濁の所見を混同して解析して
いるため,後嚢下混濁だけの群と後嚢下混濁・皮質混濁の両方がみられる群が重複
することになる。その結果,老人性白内障で皮質混濁から発し,後嚢下混濁に至っ
た者も後嚢下混濁のみみられる者と同様に扱われることになり,放射線白内障と老
人性白内障を鑑別した分析を行うことができなくなっており,同論文に示された線
量反応関係は正確性に乏しい。
さらに,津田論文では,著者ら自身,結果についての明瞭な解釈を回避しており,
今後の検討の必要性を示している。
(エ) また,原告らは,原告Gの後嚢下の混濁が顕著であったとする佐野医師の報
告書を提出する。
同報告書においては,原告Gの「左目水晶体の混濁は前嚢下にも及んでいたもの
の混濁の範囲は小さく,これに比して後嚢下の混濁の範囲は著しく大きく,顕著」
であったと記載されているが,このように著しく大きく顕著であったという重要な
所見は診療録に残されておらず,このような記載をしないことは,臨床的な常識か
らは理解し難い上,認定申請書に添付された意見書及び健康診断個人票には,いず
れも後嚢下混濁に関する記載がなく,上記報告書の記載と全く異なる所見が示され
ている。これについて,佐野医師は,意見書及び健康診断個人票の記載は自己及び
検査技師による誤記であるとするが,このように眼科的に重要な所見を医師と検査
技師が同時に誤記するということは,医学的にのみならず一般常識からしても到底
理解できないものであり,同報告書には信憑性がないというほかない。
(2) 小括
以上のとおり,原告Gの申請疾患である白内障は,発症時の年齢からしても,老
人性白内障とみるのが素直であり,放射線起因性を見いだすことはできない。した
がって,原告Gの申請疾患に関する原爆症認定申請を却下した処分に誤りはない。
〔原告Hについて〕
(原告Hの主張)
(1) 被爆状況
ア 被爆時の場所,状況等
原告Hは,広島で被爆した時,第2総軍司令部参謀部通信班にて兵役に就いてお
り,原爆が投下されたときは,夜勤明けでまさに眠りにつこうとしたところであっ
た。原告Hが被爆した場所は,泉邸(縮景園)の対岸にある兵舎の中であり,爆心
地から1.5劼涼賄世任△辰拭
原告Hは,窓際の寝台に毛布を頭からかぶって横になったところ,その瞬間,頭
から毛布をかぶっているにもかかわらず,足元のほうに白く,赤みのある巨大な火
柱が見え,巨大な火の玉が瞬間的に大きくなり,その中に包み込まれるような感覚
を受けたこと,次の瞬間,爆風で3m以上飛ばされ,兵舎がガラガラと崩れるのが
感じられたことを鮮明に記憶している。
兵舎の中とはいえ,原告Hは,毛布をかぶった状況でも閃光を浴びているのがは
っきりわかる状況で,爆風も受けているという被曝状況からすれば,建物などによ
る遮蔽は大きくなく,1.5劼箸いα蠹な近距離で被爆した原告Hについては,
初期放射線だけでみても,被曝線量は相当大きい。
イ 被爆当日の行動
原告Hは,被爆後気を失い,しばらくして気が付いて体を見ると,右胸に1.5
僂曚匹侶蠅開いており,呼吸をするたびに血がブクブクと噴き出しており,左臀
部からも出血しているのに気付いた。また,耳は聞こえず,頭の中にはがんがんと
いう音が鳴り響いていた。周囲を見ると,辺りの者がけがをしており,なんとか助
けようと外に助けを呼びにいった。その際,黒い雨を浴びており,軍服の中までび
しょ濡れとなり,シャツも薄墨で塗ったような灰色になった。
爆心地から相当近距離の場所でこのような救援活動をしたことや,黒い雨を浴び
たことなどからすれば,原告Hは,放射性降下物や誘導放射線などによる放射線も
相当量浴びたことは明らかであり,その後も内部被曝などによる影響を受けている
可能性が極めて高い。
その後,兵舎のあたりで救援活動を行っていたが,兵舎が燃えてしまったことか
ら,ほど近い避難場所の二葉の里に避難した。二葉の里では,きわめて簡略なもの
であったが,臀部のけがなどにつき,治療を受けることができた。
ウ その後の行動
原告Hは,被爆の翌日(8月7日)こそ1日休んだが,その翌日(8月8日)か
ら,軍の命令に従い,司令部配下の各部隊・施設間の通信網作成のための架線工事
に従事することになった。
各施設まで架線するため,原爆投下後間もない広島市内を歩き回った。広島が焼
け野原になってしまったことから,わかりやすい線路を通って回線を引き,爆心地
付近を通ったり,回線を引いたりすることもしばしばであった。このような作業は,
10月下旬まで2か月以上続いた。その間,一緒に架線工事に従事していた者の中
には,やけどやけがもないのに,気分が悪いなどといって突然死んでしまう者など
もおり,通信班の生き残りで架線工事に従事していた同僚の半分近くが作業中に死
亡してしまった。
このような,原爆投下後間もない広島市内で2か月以上に及ぶ作業をしたことに
より,原告Hには,残留放射線による被曝や,粉塵等による内部被曝が相当程度あ
り,その影響がその後もあったと推測される。
(2) 急性症状等
原告Hは,二葉の里に避難する際に,食糧倉庫に乾パンがあるのを発見し,持っ
て行ったが,吐き気がひどく,乾パンを食べることができなかった。少し食べると
黒い血が混じった胃液を吐いてしまう状況であった。
また,翌日ころから下痢の症状が現れ,血ばかりが出るような状況がしばらく続
いた。原告Hは,アミーバ赤痢にかかったものと考え,消し炭ばかりを食べてしの
いでいたところ,1週間ほどすると黒い下痢便が出るようになり,その後,次第に
黒い普通の便になってきた。そこで,消し炭のほかに少しの食物を食べることがで
きるようになり,やがて普通の食事ができるようになった。消し炭は燃えた家から,
炭になった部分を取ってきて食べており,それによる内部被曝の影響も強く懸念さ
れる。
また,被爆から2,3日後より,頭部,陰部,眉毛の脱毛が始まり,毛髪などは
3分の2ほどの毛が抜けてしまい,ぱらぱらと髪が残る程度の状況となった。さら
に,同じころ,腕,腿,胸,腹などに直径7,8僂らいの紫斑が現れた。
このような脱毛や紫斑は,10月下旬に広島市を離れるころまで続いていた。
上記のような原告Hの被爆後の症状は,いずれも放射線被曝による典型的な急性
症状に該当する。
原告Hは,被爆時まで軍人として就役しており,健康状態なども問題なく,上記
のような症状が生じる原因はほかに考えることはできない。また,原告Hは,1.
5劼箸いα蠹な近距離で,遮蔽も大きくない状況で被爆しており,初期放射線に
よる被曝線量も相当な量であったと考えられることからしても,上記の症状が放射
線被曝による急性症状であることは疑いない。
(3) その後の症状の経過
ア 被爆以前の健康状態等
原告Hは,被爆以前には大病等もしたことが無く,徴兵検査にも問題なく合格し,
兵役に就いてからも厳しい訓練や実務を問題なくこなすなど,特に健康状態に問題
はなかった。むしろ,過酷な訓練や勤務が行われる部隊に配属され,その中できち
んと任務をこなしており,健康状態は良好であった。
イ 除隊後しばらくの生活状況や体調等
原告Hは,10月下旬から大阪市で1か月ほど過ごしたが,その間,片耳しか聞
こえず,耳だれのようなものが出る状況であった。大阪市で病院に通い,耳の治療
を受けたが,結局,片耳が聞こえず,蝉の鳴き声のようなジンジンという音は治ら
なかった。
その後,11月に軍隊を除隊となり,家族の疎開先である豊橋市に帰ることとな
り,豊橋市では家の農作業を手伝うなどしていたが,倦怠感があり,体がだるく,
朝起こされても起きられないような状況であった。
翌年の昭和21年8月には,三河三谷の織物工場に就職し,寄宿舎生活をするこ
とになり,そこで2年ほど働いたが,ここでも倦怠感があり,朝起きることができ
ずに遅刻してしまうことがたびたびだった。
ウ 結婚から現在までの状況
原告Hは,昭和23年10月,愛知県木曽川町にあるH家に婿養子として迎えら
れることとなった。しかし,結婚してからも倦怠感があり,体がだるく,朝起きる
ことができないような状況は続いていた。また,片耳が聞こえず,ジンジンという
音が聞こえるという状態も続いていた。これらの状態は,現在に至るも続いている。
そのほか,原告Hは,結婚後,次のような病気などに苦しんできた。
(ア) 昭和30年ころ,睾丸が腫れて大変痛んだため,木曽川町立木曽川病院を受
診した。そこでは,結核性睾丸炎と診断され,睾丸を一つ摘出することとなった。
しかしながら,その後,摘出した睾丸を検査したところ,結核菌は発見されなかっ
たと医師から聞かされた。医師によれば,原告Hの睾丸の症状につき,このような
症状は結核以外考えられないとのことであった。
(イ) 原告Hは,被爆時に左臀部にガラスが入り,被爆直後には幸いにしてそれを
衛生兵によって摘出してもらうことはできたが,器材や薬品もない状況での不十分
な処置であり,その後もずっと左臀部の当該部分がうずき,触るとぶよぶよする状
態であった。その左臀部が,上記睾丸の摘出を受けてから1,2年後の時期に腫瘍
となり,急激に大きくなった。そこで,木曽川外科で診察を受け,手術をすること
になった。手術は,その部分の肉を取るものであり,その後1週間ほど入院した。
また,左臀部の手術から1年ほど後,右臀部にも同じような腫瘍ができ,上記外
科で同様の手術を受けた。右臀部にもそのような腫瘍ができた原因は不明であった。
(ウ) 原告Hは,昭和60年ころより激しい腹痛を覚えるようになり,嚢胞性膵腫
瘍と診断された。この点は,後に詳述する。
(エ) 昭和62年ころから急に目が悪くなり,一宮市の佐野眼科医院で診療を受け,
両目白内障と診断された。原告Hの白内障については,後嚢下に混濁が認められる
とのことで,原爆による放射線被曝が原因と思われ,原爆症の認定申請を行ったが,
却下され,現在,異議申立てに対する審査を待っている。
(オ) 原告Hは,平成10年ころから右肩に違和感を覚え,その後,右肩に鞄等の
荷物を掛けると大変痛むようになったため,村上記念病院の外科にて診察を受け,
右肩の異物を摘出する手術を受けた。直径約2僂曚匹寮椎澆らいの大きさの異物
が摘出された。この手術の結果,原告Hは右手にしびれが残り,食事中に箸を落と
したり,字を書くときにペンを落としたりするようになった。
(カ) 平成11年ころ,左脚がむくみ,村上記念病院で診察を受けたところ,左下
腿静脈瘤と診断され,手術を受けた。
(キ) 原告Hは,被爆によって右下顎部に異物が入ったため,被爆後より,時々よ
だれが出るということや,食べ物を飲み込むのに苦労し,食べるのに時間がかかる
ことがあった。また,寝るときに右顎が下になったりすると,痛みで目が覚めるこ
ともあった。このような右下顎部の異物につき,平成14年8月に岩田歯科医院口
腔外科にて,エックス線写真をとってもらい,異物の状況を検査してもらったとこ
ろ,異物が神経に近接して存在しているため,摘出するのは危険であり,そのまま
にしておいた方がよいと言われた。そのため,現在も右下顎部の異物はそのままで,
痛みを我慢する日々が続いている。
(4) 現在の状況
ア 現在の病状
被爆時に右下顎部に入った異物は,神経に近接しているため摘出が困難であり,
現在もそのままであるため,痛みを我慢する日々が続いている。また,被爆によっ
て片耳が聞こえず,頭の中でジンジンというような音が響くという症状は,被爆直
後から現在まで継続している。
昭和60年に発症した膵嚢胞,昭和62年に発症した白内障は現在も治療中であ
り,平成10年に右肩の異物を摘出する手術を受けると右手にしびれが残った。
イ 申請にかかる疾病
原告Hが原爆症認定を申請したのは,嚢胞性膵腫瘍である。現在の診断基準によ
れば,嚢胞性膵腫瘍のうち真性嚢胞の一つである分枝型膵管内乳頭粘液腫瘍(「I
PMT」という。)に適合する。現在のところ,良性腫瘍と診断されるものの,悪
性化の可能性が否定できないため,経過観察が必要である。
被告らは,原告Hの申請にかかる疾病は仮性嚢胞であると主張する。
しかし,超音波内視鏡検査の結果,原告Hの膵嚢胞が多房性であることが明らか
であり,高齢で男性であること,主膵管との交通が存在すること,仮性嚢胞に特徴
的な臨床症状が見られないことから,原告Hの疾病が仮性嚢胞ではなく真性嚢胞で
あり,具体的にはIPMTであることは明らかである。
(5) 放射線起因性の要件該当性
ア 原告Hが放射線に被曝したこと
原告Hは,爆心地から1.5劼諒室貌發波鑁した。頭から毛布を被っていても
足元の方に巨大な火柱が見え,火の玉に包み込まれるような感覚を受け,爆風で3
m以上飛ばされて意識を失った。右胸に1.5僂曚匹侶蠅開き,左臀部にガラス
が刺さり,顎にも異物が混入した。その後,懸命に救護活動を行っていたところ,
黒い雨を浴びた。被爆した日の夕方から下痢,食欲不振,倦怠感に襲われ,2,3
日後より脱毛が始まってほとんどの毛が抜けてしまい,また,腕,腿,胸,腹など
に紫斑が現れた。
また,被爆の2日後から10月下旬ころに大阪に引き上げるまで2か月以上,通
信回線を引くために,爆心地付近を含む文字通り広島市内の焼け跡中を連日歩き回
った。
このように,原告Hは,原爆の爆発によって直接多量の放射線を浴びた上,黒い
雨や通信線を引くための作業によって,放射性降下物や誘導放射線によっても多量
に被曝したことが明らかである。それは,生存するのが難しいくらいの放射線量で
あった。
イ 原告Hの疾病と放射線起因性
(ア) IPMTと放射線被曝との関連性に関する知見は得られていないが,放射線
による有意な影響が否定されるものではなく,症例が少ないために統計に表れてお
らず,未解明な状態にあると考えられる。
(イ) IPMTは前がん病変であるが,罹患リスクの特徴の一つに腹部放射線照射
歴がある。
この点,原告Hは,近距離被爆者であり,腹部にも相当量の放射線が照射された
と考えられる。加えて,被爆後も,黒い雨を浴び,2か月間も広島市内で通信回線
の回復作業を行っており,残留放射能による内部被曝も相当線量に達していること
が確実である。実際,原告Hは,下痢や嘔吐,脱毛といった典型的な急性症状を発
症し,その後も,いわゆる原爆ぶらぶら病に苦しんできた。
(ウ) IPMTが前がん病変であることから,膵臓がんの過剰相対リスクに有意性
が認められるのであれば,IPMTについても過剰相対リスクに有意性が認められ
ることが推測される。
この点,放影研の「寿命調査第9報第3部」(甲C8号証)において,長崎原爆
被爆者の腫瘍発症に関して膵臓がんの過剰相対リスクが統計的に有意であったとの
報告がなされている。同報告は,長崎腫瘍登録資料を利用して,長崎の放影研寿命
調査対象者における悪性腫瘍の発症率を調査したものであるが,長崎の登録の質は,
広島を含め他の登録のそれよりも勝っており,信頼性は高い。
また,広島大学原爆放射線医科学研究所によると,被爆者の膵臓がんに関する過
剰相対リスクに有意性が認められた。
(エ) 原告HのIPMTは,現在のところ良性腫瘍と診断されるが,前がん病変で
あり,悪性化の可能性が否定できないとされている。同じく良性腫瘍の一つとされ
る大腸ポリープは,大腸がん発生までの多段階ステップの重大な中間状態であるこ
とが明らかにされているところである。
ところで,放射線ががんの発現に及ぼす主要な機構としては遺伝子の傷害が考え
られており,良性腫瘍においても放射線が同様の作用を及ぼすことが十分に考えら
れるとされる。聞間証人によれば,放射線が細胞の中の生存情報,遺伝子情報を傷
つけるために,本来の姿から増殖傾向を持ってしまうのであり,良性腫瘍は,これ
を抑制する遺伝子の働きがまだ残されているため,増殖が抑えられているに過ぎな
い。
この点,放射線被曝と良性腫瘍の関連については,放影研の「成人健康調査第6
報」(甲C9号証)によると,放射線量に伴って良性腫瘍の有病率は有意に増加し,
200rad(2Gy)以上の群では0rad(0Gy)群の2倍にも達し,この傾向は近年
に至るほど強く見られ,線量に伴う増加はどの年齢群にも観察されるが,被爆時年
齢10歳代及び20歳代では一貫性が高いとされている(同17頁)。また,150
0m以内で被爆した人と非被爆者との間に良性腫瘍の罹患率について有意な差が見
られたとの報告も存在する。甲状腺や下垂体,あるいは子宮筋腫など一定の疾病に
ついては,良性腫瘍ではあっても放射性起因性が肯定されており,医師団意見書で
は,これを「放射線被曝による良性腫瘍の発生の可能性を示唆する所見とも考えら
れる」と評価しているところである。
このように,良性腫瘍だからといって,IPMTについて放射性起因性が否定さ
れる理由はなく,むしろ,原告Hのように多量の放射線を浴びた場合は,遺伝子が
傷つけられて発症したことが否定されない限り放射性起因性が肯定されるべきであ
る。
(オ) 原告Hの主治医である小島孝雄博士も,原告HのIPMTと放射線被曝との
関連性は否定されないと診断した。理論的にも,被爆を体験した原告Hの症状につ
いて,原因又は素因の上で,被爆と全く無関係であると断定することは,例外的な
場合を除いて,極めて困難である。原告Hのように,外部・内部とも多量に被爆し
た場合,新生物の発症が放射線に起因することは明らかである。
(カ) このように,原告Hが原爆症認定を申請した嚢胞性膵腫瘍(IPMT)の放
射性起因性は明らかである。
(6) 要医療性の要件該当性
原告Hが罹患しているIPMTは,現時点では良性腫瘍と診断されるものの,悪
性化の可能性が否定できず,経過観察が必要である。また,原告Hは,左腹部から
左背部に痛みを訴えており,特に,脂肪分の多い食事や過食した後に痛みが強くな
るため,内服薬が処方されている。
(被告らの主張)
(1) 原告Hの申請疾患に放射線起因性が認められないこと
ア 被爆状況
(ア) 被爆地点
原告H(大正13年12月18日生,男性)は,爆心地から1.5厠イ譴森島
市大須賀町の第2総軍司令部参謀部通信班兵舎内で被爆した。
(イ) 推定被曝線量
審査の方針別表9(広島)によれば,広島に投下された原爆による被曝線量は,
爆心地から1500mの地点では0.5Gyとされ,原告Hは兵舎で被爆したとされ
ていることから,これに建物による遮蔽を考慮して透過係数を0.7とすると,同
原告の初期放射線による被曝線量は0.35Gyと推定される。
また,原告Hには,原爆爆発後72時間以内に爆心地から700m以内の区域へ
の入市や,広島市己斐地区又は高須地区に滞在又は居住した経過は認められないこ
とから,放射性降下物や誘導放射能による残留放射線被曝の影響については考慮を
する必要はない。
原告Hは,被爆後救護活動に従事し,黒い雨に打たれた旨供述するが,放射性降
下物や誘導放射線による影響は,極めて限られたものであることは,前述のとおり
である。
よって,原告Hの推定被曝線量は,0.35Gyと推定される。
イ 原告Hが述べる被爆後の症状は,被爆による急性症状の所見とは相いれない
ものであること
原告Hは,被爆直後から嘔吐が始まり,7日の夕方から,下痢,食欲不振,倦怠
感に襲われ,下痢については,血ばかりが出る状態が1週間ほど続き,被爆の2,
3日後から,頭部,陰部,眉毛の脱毛が始まり,同じころ,腕,腿,胸,腹などに
紫斑が現れたと供述する。
しかし,原告Hの被曝線量は,0.35Gy程度と推定され,上記各症状が放射線
被曝に起因するものということのできないことは,明らかである。仮に,原告Hが,
上記のような急性症状としての下痢等が起こり得るレベルの被曝をしているならば,
感染症等の重大な合併症を発症しているはずであるが,そうした供述は一切認めら
れない。原告Hが述べる被爆後の症状は,被爆による急性症状の所見とは相いれな
いものである。
被爆後の悲惨な状況下で原告Hが極度の精神的ストレスに悩まされていたことは
容易に想像され,これが原因となって脱毛が発症したことも十分に考えられる。特
に,原告Hが広島を離れる昭和20年10月下旬まで脱毛が進行していたとの原告
Hの供述を考え合わせると,脱毛の原因が極度の精神的ストレスであったことを強
く推認せざるを得ない。また,原告Hは,睡眠不足の中で過酷な援護活動に従事し
ており,その衛生状態・栄養状態は相当悪かったものと認められ,下痢や血便が感
染によるものであったとしても,医学的に何ら不合理ではない。
したがって,原告Hが急性症状として主張する症状が放射線性のものでないこと
は明らかである。
ウ 申請疾患の放射線起因性
(ア) 申請疾患
原告Hの認定申請書及び同申請書添付の意見書の記載によれば,同原告の申請疾
病は「のう胞性膵腫瘍」と認められ,同意見書には,昭和60年(61歳)より,
経過観察中と記載されている。
(イ) 原告Hの申請疾患に放射線起因性は認められないこと
a 「のう胞性膵腫瘍」は,臨床診断名として用いられることはまれであり,一
般的には膵嚢胞と呼ばれるものである。実際にも,腹部CT結果表(乙C4号証)
には,「膵体部にCT値0〜2,径20个梁腓さの低濃度の腫瘤」である旨記載
され,膵嚢胞として診断されている。膵嚢胞とは,膵液,粘液,血液,壊死物質な
どを内容として含み,嚢胞壁に覆われた腔(嚢胞)を膵内部あるいは膵周囲に形成
する病変の総称である。
原告Hの場合,〃磴靴な痛という炎症症状を呈していること,⇔廟と診断さ
れていること,さらにI楕册睇瑤裡達埣諭い垢覆錣船魯Ε鵐坤侫ールド単位が0
〜2であり,内部はほとんど水や液状成分で占められていることからすれば,腫瘍
のような実質的な組織が存在しないと考えられるのであって,原告Hの膵嚢胞は,
膵嚢胞の中でもその大部分を占める仮性嚢胞で,膵炎を成因としたものである可能
性が高く,腫瘍性のものとは考え難い。
このような膵嚢胞は,放射線の確率的影響として生じる悪性腫瘍ではなく,また,
確定的影響とする科学的知見も一切存在しない。その他,原告Hの被曝線量,既往
歴,環境因子,生活歴等を総合的に検討しても,原告Hの「のう胞性膵腫瘍」,す
なわち膵嚢胞については,原爆放射線に起因すると認めることはできない。
b これに対して原告側証人の聞間医師は,原告Hの膵のう胞性疾患がIPMT
(膵管内乳頭粘液性腫瘍)であること肯定している。
しかし,IPMTの典型的なCT像(乙全94号証(5頁)の一番上の写真)は,
複数の輪郭が比較的はっきりした黒い楕円形の病変が集束したもので「ブドウの房
のよう」と表現されるものである。そして,聞間証人もこのIPMTの典型的なC
T像でこの多房性の病変の輪郭を記しているが,この多房性病変は,原告Hの膵臓
の病変を示したCT像(乙C7号証)で示される単一の楕円形の病変(単房性)と
は明らかに異なっている。
さらに,IPMTは膵管から発生する病変であり,膵管が拡張するものである。
したがって,乙全94号証(5頁)の一番上のCT像のように,膵管が病変化する
ため,本来の膵臓中心部に描出される細い線状の膵管が見えてこない。ところが,
聞間証人自身が原告HのCT像に記したように,原告Hの場合は膵臓中心部の黒い
線状の膵管は病変とは別に描出され,病変とは連続していない。そして,その状態
は平成7年(1995年)5月19日と9年後の平成16年(2004年)4月2
6日とで変化がないのである。このように,原告HのCT像が膵臓の病変はIPM
Tでないことを明らかに示している。
(2) 小括
以上のとおり,原告Hの申請疾患には放射線起因性を見いだすことはできない。
したがって,原告Hの申請疾患に関する原爆症認定申請を却下した処分に誤りはな
い。
3 争点(2) 国家賠償責任の成否について
(原告らの主張)
(1) 被告厚生労働大臣の違法行為について
ア 認定行政の誤り
被告厚生労働大臣は,被爆者援護法に基づいて原告らの各原爆症認定申請を速や
かに認める決定をすべきであったにもかかわらず,a 誤った認定基準を作成し,
これに基づいて誤った却下処分を下したことに加え,b 行政手続法に則った審査
基準を設けることもなく,c 申請から却下に至るまでいたずらに長期間を要し,
d しかも処分の理由を明示することなく却下処分を下すという行政手続法に反す
る処分を行っている。
これらの被告厚生労働大臣の行為は,以下のとおり,国家賠償法1条1項の違法
行為に該当することが明らかであるから,被告国は同項に基づき,原告らに対して
その損害を賠償する義務がある。
(ア) 誤った認定基準(審査の方針)の機械的適用による却下
a 誤った認定基準
被告厚生労働大臣の線量認定基準であるDS86には,実測値に合わないなどの
重大な欠陥があること,また,起因性判断について被告厚生労働大臣が用いる原因
確率は解析方法に由来する限界があること,及び集団データ解析の結果を個々の被
爆者に当てはめるのは適切でないにもかかわらず,予め定めた審査の方針を原告ら
に機械的にあてはめて原告らの原爆症認定申請を却下したことが基本的に間違って
いる。
b 行政手続法5条に反し審査基準を設けていないこと
行政手続法5条1項は「行政庁は,審査基準を定めるものとする。」とし,同条
2項は「行政庁は,審査基準を定めるに当たっては,許認可等の性質に照らしてで
きる限り具体的なものとしなければならない。」と規定している。これは,処分庁
の判断の客観性・合理性を担保して,その恣意を抑制する趣旨である。
しかし,被告厚生労働大臣は,審査の方針が,あくまでも医療分科会の委員が審
査に当たり,共通の認識として活用する趣旨のもので,かつ,基本的な考え方を示
したものにすぎないとしており,審査の方針が行政手続法5条に定める審査基準と
して位置づけられていないことは明らかである。
よって,原告らに対する本件各却下決定は,審査基準を設けることを規定してい
る行政手続法5条1項に違反することが明らかである。
c 審査の遅れ
行政手続法7条は「行政庁は,申請がその事務所に到達したときは遅滞なく当該
申請の審査を開始しなければなら」ないと規定する。
しかし,本件においては,原告らの申請から却下処分までの期間は以下のとおり
長期間に及ぶものであり,同条項に違反することは明らかである。
すなわち,申請から却下通知までの日数は,原告F,原告Gが200日を越えて
おり,原告Hでは300日を越えている。原告Eに至っては,申請から却下通知ま
での間に300日以上,異議申請から棄却処分までは実に5年以上の日時を要して
いる。
このように原告らすべてが申請から却下まで長期間放置されたことにより,大き
な精神的苦痛を被った。
授益処分の申請者が相当期間内に応答処分されることにより焦燥,不安の気持ち
を抱かされないという利益は,内心の静穏な感情を害されない利益として,不法行
為法上保護の対象となるのであって(最高裁平成3年4月26日判決・民集45巻
4号653頁),原告らの原爆症の認定申請の手続遅延について被告厚生労働大臣
がこれを解消するための努力を尽くした形跡が認められない本件においては,被告
厚生労働大臣には,不当に長期間にわたらないうちに応答処分すべき作為義務に違
反した違法があり,かかる手続の遅延によって,焦燥,不安の気持ちを抱かされな
いという利益を侵害されたことが原告らの損害である。
d 理由の不開示
行政手続法8条1項本文は「行政庁は,申請により求められた許認可等を拒否す
る処分をする場合は,申請者に対し,同時に,当該処分の理由を示さなければなら
ない。」とし,同2項は「前項本文に規定する処分を書面でするときは,同項の理
由は,書面により示さなければならない。」と規定する。拒否処分に付すべき理由
としては,いかなる事実関係に基づき,いかなる判断経過をたどって原爆症認定が
拒否されたかを,申請者がその記載自体から了知できるものでなければならず,単
に抽象的・一般的に審査結果のみを記載するだけでは,不十分である。
しかし,本件における原告らに対する認定却下通知には,実質的な理由は全く明
らかにされておらず,審査会の審議の結果,原爆症とは認定しないという結論のみ
が記載されているだけであり,審査会においていかなる事実を前提にいかなる審議
がなされ,認定却下という処分に至ったかについては全く記載されていない。
なお,行政手続法8条1項ただし書には「法令に定められた許認可等の要件又は
公にされた審査基準が数量的指標その他の客観的指標により明確に定められている
場合であって,当該申請がこれらに適合しないことが,申請書の記載又は添付書類
その他の申請内容から明らかであるときは,申請者の求めがあったときにこれを示
せば足りる」とされているが,本件の場合には「審査基準が数量的指標その他客観
的指標により明確に定められている場合」でないことは明らかであり,また「当該
申請書の記載又は添付書類から明らかであるとき」にも該当しないことも明らかで
ある。
よって,本件各処分は行政手続法8条1項,2項にも違反するといわなければな
らない。
e 違法な却下処分と損害賠償
本件各処分には,上記aのような実体的な違法のみならず,bないしdのような
手続的違法も存在することから,被告厚生労働大臣は,その職務を行うについて,
故意又は過失により原告らに損害を加えたことは明らかである。したがって,被告
国は国家賠償法1条1項に基づいて原告らに対してその損害を賠償する責任を免れ
ない。
イ 司法判断を無視して続けられる認定行政
(ア) 司法判断の無視
被告厚生労働大臣は,DS86等の線量推定方式の誤りや原爆症の未解明性を基
に,被爆者の被爆状況を個別具体的に検討して総合的に判断すべきであるとした司
法判断の度重なる指摘を無視し,実際の運用を一切変えようとしなかった。
そればかりか,被告厚生労働大臣は敗訴が確定した平成12年最高裁判決の後に,
これを当てはめると上記最高裁判決の原告でさえ原爆症と認定されないことになる
原因確率を内容とする審査の方針を導入し,それに基づいて原告らの原爆症認定申
請に対して次々と却下処分を行ったものである。
(イ) 審査の方針の機械的な適用による却下処分
被告らは,原因確率論を基準とする審査の方針は,あたかも従前の認定基準を改
善したかのように主張しているが,その内容は非科学的であり,不合理であるばか
りか,実際の運用でも残留放射線や内部被曝を全く無視し,被爆距離を最重要視し
て原因確率を機械的にあてはめて判断しており,個別的な検討を行っているもので
はない。
本件に先立って,大阪地方裁判所及び広島地方裁判所が相次いで被爆者の訴えを
全面的に認める判決を下しており(甲全70号証,92号証),これは審査の方針
を機械的に当てはめている実態に是正の手を加えたものにほかならない。
本件における原告らに対しても,上記各事件の原告らに対するのと同じ審査の方
針の機械的適用という取扱いがなされていたことはいうまでもない。
以上により,被告国は国家賠償法1条1項に基づく責任を負わなければならない。
(2) 損害
ア 慰謝料200万円
原告らは,いずれも過酷な被爆体験に加え,60年間にわたって心身の不調に悩
まされ,高齢を迎える中でそれぞれの申請疾病を発症し,医療を要することから,
被告厚生労働大臣によって当然に原爆症と認定され,必要な給付を早急に受けるべ
きであるにもかかわらず,長年の間放置され,結局は非科学的で,不合理・不明確
な基準によって本件各処分を下され,多大な精神的損害を被った。
そのため,原告らはいずれも原爆症で苦しんでいる中,高齢にもかかわらず,本
件訴訟を提起することを余儀なくされた。
被告厚生労働大臣の本件各処分が取り消されたとしても,これとは別に,各原告
が被った筆舌に尽くせない程の精神的苦痛を慰謝するには,少なくとも各金200
万円を支払うのが相当である。
イ 弁護士費用 100万円
原告らは,上記のように当然原爆症の認定をされるべきであったのに,違法にも
申請を却下されたために裁判を起こさざるを得なくなった。そして,本件が一般事
件と比べ特殊かつ複雑な事件であることを考慮するならば,被告厚生労働大臣の実
体上及び手続上の違法行為と相当因果関係のある弁護士費用は,各原告についてそ
れぞれ100万円を下らない。
(被告らの主張)
原告らの主張は否認ないし争う。
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